二年のクラス替えで、晴大と違うクラス、しかも離れたクラスになって良かったと思う。もしも近くだったら頻繁に会うことになっていたし、同じクラスだった場合は──晴大から何を言われるか、少し怖かった。
 晴大にリコーダーを教えなくなったのは、彼が本当に上達して教える必要がなくなったから。佐藤にはそう伝えたけれど、本当は、晴大のことを本気で好きになってしまうのが怖かったからだ。晴大はそれまでのイメージと反対にものすごく素直で、楓花の言うことをちゃんと聞いてくれた。真剣に練習している姿を見ていると可愛く思えてきて、いつしかそれは恋心に変わってしまっていた。彼とこのまま仲良くなるのも、仮に告白したとしてフラれるのも怖かった。自分の気持ちに気付かないふりをして、距離を置きたかった。
「うそぉっ! そんなことある?」
「どうしたん?」
「渡利君が失恋したんやって」
「えっ……、なにそれ、どういうこと?」
 晴大が失恋したらしい、とは年度末に聞いた。相手が誰かは分からないまま新年度になって、廊下で何度か見かけた彼は確かに落ち込んでいた。バレンタインに貰えなくて凹んでいるらしい──ということは、晴大には貰える自信があったらしい。彼に好きな人がいる気配を、楓花は全く感じなかった。鞄が膨らむほどチョコレートを貰っていたけれど、その中に欲しいものは一つもなかったらしい。
 距離を置いてはいたけれど、教室でクラスメイトたちとは何度も晴大のことが話題になっていた。彼のことを知っているように話すと怪しまれるので、彼女たちと同じように〝晴大は完璧でキラキラしているという妄想〟を演じていた。そんなうちに彼に対する恋心は少しだけ薄れ、彼が失恋した噂もあって話すことができた。
「今年も抜いてくれよ。おまえアンカーやろ?」
「うん。前の奴らにもよるけどな」
「アンカーかぁ。一番目立つやん?」
 楓花の隣で舞衣が目を輝かせて晴大を見ていた。
「楓花ちゃん、渡利君の応援するよなぁ?」
「いやぁ……不公平なことはできへん……。先頭ぶっちぎるとか、最下位やったら分からんけど」
 言いながら晴大のほうを見ると彼は少し顔を歪めながら唸り、佳雄と何か作戦を話していた。
 体育祭当日、放送部副顧問や他の先生からも〝一つのチームだけを応援することはないように〟と釘を刺されたので晴大のバスケットボール部を応援することはできなかったけれど、実況する楓花の目の前で晴大は三人抜いて一着でゴールした。無意識に彼を目で追ってしまい、そのままじっと見つめてしまっていた。
「楓花ちゃん、渡利君となに見つめ合ってんの?」
「えっ、違っ、ボーッとしてた」
「そう?」
「渡利君が私なんか見つめるわけ無いやん」
 ははは、と笑い、先生が順位を発表するのを聞きながら席を立って、フォークダンスの準備に向かった。本当に晴大に好かれているとは思っていなかったし、そうだとしても受け入れられなかった。楓花と晴大は少し顔見知りの同級生──それだけだった。
「ほんまに? 楓花ちゃん、信じるで?」
「うん、ほんまやって。舞衣ちゃん、頑張って」
 晴大とは本当に何もないのか、と舞衣に確認されたので、何度も否定した。あれ以来、晴大とは体育祭の前日以外は話していないし、彼からそんな話をされたこともない。晴大が格好良いのは認めるけれど、付き合いたいと思ったことはない。
「でも、好きやろ?」
「っ──、嫌いでは、ないけど」
「ほらーっ」
「でも、ほんまに、狙ってないから、これは、ほんま」
 だから高校生になったら好きにすれば良い、と楓花は舞衣に言った。楓花はおそらく私立の女子校に進学するので、通学時間の関係で晴大とは顔を合わせなくなる。
「舞衣ちゃんもチャンスあるって。だって、渡利君、好きな子からバレンタイン貰えんかったんやろ? 舞衣ちゃんも渡してないやん?」
 丈志が〝楓花より舞衣が良い〟と話していることは風の噂で聞いた。楓花は丈志には特に興味がなかったので凹んではいないけれど、それは舞衣のほうが可愛いからだ、と勝手に結論づけた。丈志は晴大と仲が良いので、晴大もそう思っているかもしれない。
 夏休みが明けてキャンプに行ってカレーを作ったとき、晴大のクラスのほうで落ち込んでいる女子生徒がいた。彼女は昨夜の肝試しのあと晴大に告白して、あっさりフラれてしまったらしい。
「可哀相に……」
「前のときと同じ理由やって。あ、でも、失恋したって噂あったよなぁ。その子以外はあかんのやろなぁ……誰やろなぁ……」
 付き合うというのがよく分からない、というのは楓花にも理解できるけれど、年度末の失恋を秋まで引きずっているのも問題だと思った。相手には何も伝えていないようなので〝晴大ほどの人気者なら言えば良いのに〟と思うけれど、そのへんの事情も楓花には分からない。
「なぁなぁ長瀬さん、好きな奴おる?」
「え? ……急に何を聞くん?」
 文化祭が終わってから、男子生徒たちからそんなことを聞かれるようになった。しつこかったのは、前の席の男子生徒だ。
「良いやん、教えて」
「それは……」
「キャンプのときさぁ、悠成(ゆうせい)とよく一緒におったやん?」
矢嶋(やじま)君? 同じ班やったから……班長やったし」
「おい、悠成、おまえどうなん?」
 確かに楓花はキャンプ中に悠成と話すことが多かったけれど、それは彼が同じ班で、且つ班の中でも話しやすかったからだ。
「俺……? 別に……嫌いではないけど」
「おっ?」
「でも、みんなやろ? 長瀬さん話しやすいし……しっかりしてるし」
「長瀬さーん、こいつと付き合っ(てや)れ」
「えっ、なに急に?」
 悠成は話していて楽しいし、どちらかというと格好良いけれど、彼に恋愛感情を持ったことはない。それは彼も同じようで、楓花が困っているからやめろ、と周りの男子生徒たちを黙らせてくれた。
「じゃあ、俺が狙おっかなー」
「マジで? でもさぁ、長瀬さんが誰を好きなんか……良い奴すぎたら論外やで。やっぱ渡利ちゃうん? 長瀬さん、渡利は好きなん?」
 その質問に思わずむせてしまったけれど、隣で成り行きを見守っていた舞衣も同じだったのでなんとかごまかせた。
「渡利君は、まぁ……格好良いけど、別になぁ……」
「一緒に音楽できる奴が良いとか?」
「それは、別にどっちでも」
「そういえば楓花ちゃん、ピアノどうなったん? 続けるか悩んでたやん?」
「……やめた。ちょうどキリ良いとこやったし」
 少し前に、習っていた曲のレッスンが終わったところで楓花はピアノ教室をやめた。有名クラシック曲集として販売されている楽譜ではだいたい最高難易度にされている曲で、それほどのものを受験勉強と平行して練習できるとは思わなかった。
「えーっ、長瀬さんピアノやめたん? そんなら合唱コンクール誰が伴奏するん?」
「習うのやめただけで、弾けへんわけじゃないから……」
 指が動かなくなってしまうのは嫌なので、趣味程度には弾き続けるつもりだ。ピアノができるクラスメイトは他にいるので、楓花がしないといけないこともない。
「ピアノやめたんやったらさぁ、ちょっと時間あるやん? 悠成と……」
 前の席の男子生徒は悠成のほうをじっと見て、それに気付いた悠成は楓花のほうを見て少しだけ真剣な顔をした。