夏休み中、登校日に晴大が楓花と会うことはなく、そのまま二学期を迎えてしまった。海に遊びに行ったとか、テーマパークで人混みに疲れたとか、楽しそうに思い出を話すクラスメイトが多かったけれど、晴大はクラブの試合以外はどこにも行かなかった。何度か丈志と遊んだけれど、それも屋内だったので日焼けのしようがない。
「渡利君、白いなぁ。焼けてないやん。どこも行ってないん?」
「いや? 試合あったし、波野とも遊んだで」
 珍しく女子生徒が話しかけてきたけれど、晴大は特に何も気にしなかった。他の女子生徒たちが遠巻きに見ているけれど、彼女との関係が変わる予定はない。
「あっ、試合ってもさぁ、バスケって体育館か。そりゃ焼けへんな」
 女子生徒は笑いながら離れていき、晴大は少しだけ一人になった。提出する宿題を鞄から出して、机の中に入れた。小学校のときは漢字練習や工作、日記と毎日のように忙しかったけれど──晴大は最終日にまとめてするタイプではなかった──、中学からはドリルが数冊と読書感想文だけだったので早めに終わらせた。それ以降は全く内容を確認していないけれど、ミスがあるかどうかは特にどうでも良かった。晴大は学校の授業は問題なく着いていけているのでドリルで躓くこともなく、読書感想文もすらすらと書いた。
 始業式のあとのホームルームで、キャンプの話を具体的に聞いた。レクリエーションが中心のスケジュールで、翌日の昼ご飯にまた友ヶ島のときのようにカレーを作るらしい。
 晴大は料理はそれほど得意ではないけれど、カレーの作り方はだいたい知っている。材料を切って鍋で炒め、水とルーを入れれば完成だ。細かいことを気にしなければ、それなりに食べられるものは完成する。
「えっ、渡利君、上手(うま)ー。リンゴみたいなってるやん」
「ん? ああ、これ? ははっ、ほんまやな」
 ジャガイモの皮むきを任され、無意識にくるくると回しながら包丁で皮を長く紐状に剥いていた。剥き終わったジャガイモを切っていると、皮を誰かに持っていかれた。クラスメイトたちを中心に、皮の回りに輪ができてしまっていた。
 そんな剥き方になったのは、考え事をしていたからかもしれない。
 キャンプ施設に到着してから何度か遠くに楓花を見かけた。初めて見る私服が可愛かったのはさておき、いつも男と楽しそうに笑っているのが気になってしまった。クラスメイトだったし、二人の噂は全く聞かなかったけれど、楓花が晴大ではない誰かと仲良くなることがものすごく嫌で、それでも何も行動を起こせなかった。悩みすぎて、リンゴを剥くようにジャガイモを剥いてしまった。
「あれ? 渡利、寝てる?」
「……寝かせろ」
 帰りのバスで、晴大は丈志の隣の窓側の席でずっと目を閉じていた。
「うそやー、昨日のこと聞きたかったのに」
「うるせぇ」
 昨夜、班単位での肝試しのあと、晴大はクラスの女子生徒◇◇に呼び出されてしまった。思った通りに告白されたけれど、晴大は△△のときと同じく無理だと言った。◇◇は気まずくなって学校に来にくくなるかもしれないと思ったけれど、それは晴大には問題ではなかった。晴大がいま告白されて良い返事をするのは楓花だけだ。けれど楓花がそんなことを言ってくるとは思えなかった。無駄な会話で体力を消耗するよりは、眠ったふりをしてでも休んでいたかった。
 晴大が人気なことは楓花も知っているし、何度か告白されたことも知っているはずだ。誰にも良い返事をしていない、と正しく伝わっていれば良いけれど、もしも間違って噂されてしまうと、ますます楓花と距離ができてしまう。
「なぁなぁ渡利君」
 学校での授業の日々に戻った初日、晴大はクラスの女子生徒数人に囲まれた。
「……なに?」
「なんで◇◇ちゃん、ふったん?」
 ◇◇の友人ばかりだと気づいたときには、彼女たちは顔を強ばらせていた。
「は? 別に?」
「可愛いやん? 嫌いなん?」
「いや……、別に嫌いではないけど、付き合おうとか思わんし」
「嫌いちゃうんやったらさぁ、ちょっとくらい良いやん?」
「うっさいなぁ。無理なもんは無理」
「あ……っ、まだ失恋引きずってんの?」
「っせぇ」
 相手が誰か気になる、と言いながら、女子生徒たちは晴大から離れていった。見ていた丈志が〝晴大の失恋相手〟を聞きたそうにしていたけれど、聞かれる前に晴大は『絶対、教えん』と強く言った。
「それに……俺と一緒にいるとこ見られたくない、って言ってたし」
「その子が?」
「うん。俺がこんなん(・・・・)やから、知られたらどうなるか分からん、って」
「なぁ、その子……俺の知ってる子?」
「──どうやろな」
 丈志は知っている、と言うと、候補がかなり絞られてしまう。
「なに部?」
「……言わん」
「どこ小?」
「言うか」
「何組?」
「言うわけないやろ」
「教えろよー。誰にも言わんって」
 丈志が真面目な顔をしていたので教えようかと一瞬思ったけれど、やはりそれはやめることにした。もしも丈志が楓花と話したときに晴大の話題でにやけられても困る。
「あー……もしな……もし付き合うことになったら、教えるわ」
「お? 約束やからな?」
「──いつになるか分からんけどな」
 本当に、いつになるかはわからない。中学の間にそうなるのが一番良いけれど、楓花は晴大と〝外〟では仲良く話したがらない。楓花の友人の舞衣も〝恋人を作るなら高校から〟と言っていたし、楓花もその考えになっているかもしれない。
 そもそも、楓花の気持ちが全くわからない。いま告白しても良い返事をもらえる保証はないし、それが同級生たちに知られてしまうと──〝なぜ晴大がダメなのか〟と楓花が困ってしまうかもしれない。
 一年前にベレー帽を嫌がっていた楓花たち放送部は、今年は文化祭での登場はなかった。舞台の横の司会席に交代で座っていただけだったので、ずっと見ているわけにもいかなかった。楓花のクラスは劇をすることになっていたけれど楓花の出番はなく、舞衣と一緒に音響を担当していたらしい。それは、劇が終わってから楓花と舞衣が体育館の放送室から出てきたのを見たのでわかった。
「そういえばさぁ」
 文化祭が終わった後のクラブ中、佳雄が晴大を見ていた。
「おまえ最近、休めへんよな。去年たまに休んでたけど」
「……そうやな。どうかしたん?」
 それは楓花にリコーダーを教えてもらう日が無くなったからだ。
「いや……女子が噂してたやん? 学校の八番目の不思議とか言って」
「ああ……最近聞けへんな」
 放課後、晴大の靴はあるのにどこにも姿がない、という噂は二年になってから聞かなくなっていた。秘密を知られたくなかったので晴大には都合が良かったけれど、楓花と話せないことはストレスでしかない。
「あれ、何やったんやろな」
「知るか」
 楓花──失恋相手と会っていた、と丈志には教えたけれど、佳雄にまで教えるつもりはない。
「おまえ噂されたり不思議にされたり、忙しいよな」
「……俺は何もしてないけどな」
「最近また違う噂あるの知ってる?」
「違う噂? 俺の?」
「ううん、女子の」
「さぁ……」
「俺の近くの席の奴らで言ってたんやけど、長瀬さんて実はめっちゃ可愛い、って噂」
「長瀬さん……放送部の?」
 文化祭や体育祭でアナウンスする姿を見た男子生徒たちに、楓花は注目されているらしい。佳雄が〝横顔が〟とか〝真剣な顔が〟とか〝たまに出る笑顔が〟とか話すのを聞きながら、晴大は顔をひきつらせてしまった。