晴大の人気に、また火がついてしまった。
体育祭での活躍を見てから同級生たちの間で再認識され、他の学年にも少しずつ広まっていった。良い評判なので嫌ではなかったけれど、晴大はそれほど得意にはならなかった。
「あっ、渡利先輩……」
下校途中、前を歩いていた一年生の女子生徒たちが晴大を見かけて足を止めた。
「……ん? なに?」
「あ、べ、別に何も……」
彼女たちは晴大を見かけて驚いただけのようで、晴大はそのまま歩き続けた。顔を知られるのは嬉しいけれど、無駄に声をかけられるので少々鬱陶しい。
「おーい渡利、テストどうやった?」
キイィィ、と自転車のブレーキをかけながら隣で止まった丈志は、住んでいるところが晴大より遠い。どちらかというと真面目ではあるけれどきちんとルールを守るほうでもなく、適当にゆるくくぐり抜けている。だからいつも自転車に乗せてくれるし、悪知恵もいくつか聞いた。たまに調子に乗ると発想がおかしくなるけれど、晴大は友人たちの中で丈志をいちばん信頼していた。
「テスト? 別に?」
「そんなこと言って、また満点あったんちゃうん?」
期末試験の結果が返却され、クラスメイトたちはそれぞれ点数に嘆いたり喜んだりしていた。離れた席から晴大を見ていた丈志は、晴大が特に感情を出さなかったので〝良い結果が多い〟と思っているらしい。
「満点はないけど……思ってたくらいやな」
平均で八割以上は取れていた、と丈志に言うつもりはない。
期末試験は五教科のほかに体育や芸術分野の試験もあって、もちろん、音楽の試験もあった。授業時間を使って行われる実技で、歌は特に問題なく通った。リコーダーの試験のときはだいたい晴大は欠席してきたけれど、二年になって初めてきちんと受験した。名前を呼ばれて一人で佐藤の前に行くと、晴大が吹き始める前に質問された。
「あれから──教えてもらったん?」
「いえ……去年で終わってます」
「ほんまにやめたんやねぇ……。はい、どうぞ」
試験の前には楓花に教えてもらったことを復習したし、楽譜も一応は読めるようになった。晴大はこれまでゆっくりとしか練習してこなかったけれど、クラスメイト全員から注目されていたのもあって、他の生徒たちと同じ速さで吹いた。吹き終わっても背後から〝リズムが変〟などの言葉は聞こえず、佐藤も笑顔で席に戻らせてくれた。
一年前は楓花と月に一度ほど会っていたけれど、それは完全に過去のものになってしまった。人前で一人でリコーダーが吹けるようになったことのお礼をしたいけれど、まず二人で話す機会がない。偶然に会えば話してくれるけれど必ず他に誰かがいるし、遠くから見られるようにはなったけれど楓花の表情からは何もわからない。いっそのこと教室か放送室に会いに行こうかとも考えたけれど、それは楓花に迷惑をかけてしまう。
「二学期なったらさー、キャンプあるよな。渡利、あっ、おまえいい加減、吹っ切れたよな?」
少しずつ諦め始めてはいるけれど、楓花のことを考えない日はなかった。体育祭で顔を合わせてからは話す機会がなく、丈志の会話にも名前すら登場しない。もちろん、バスケットボール部の佳雄からも、楓花の名前を聞くことはない。
「キャンプって非日常やし、肝試しやるって言ってたし、可愛い子おるかもな」
晴大の気持ちを聞かずに丈志は、クラスの女子生徒の名前を挙げ始めた。確かに可愛いと噂される人たちではあるけれど、晴大は興味がない。
「おまえ、どんな子がタイプなん?」
「……うるさいのは嫌やな。あと、あんまり甘えへん奴。俺がもし海外行っても耐えれる奴」
「海外? おまえ引っ越すん?」
「引っ越せへんけど、親がたまに仕事で行くから、俺も付いて行くようになるかもしれん」
「おまえのお父さん、レストランの社長とか言ってたよなぁ?」
「波野、それ誰にも言ってないやろな?」
「言ってない言ってない」
晴大の父親が会社を経営していることを、晴大は同級生たちには秘密にしていた。知っているのは丈志と、ほんの一部の先生たちだけだ。もしも誰かに知られると、また余計な注目をされてしまって困る。丈志には簡単に話しているけれど、どこの会社かは秘密だ。
「海外かぁ。俺も行ってみたいな。アメリカ行きたいな。ハロー、って。空港でさぁ、サイトー寝具店デース、って言うんやろ?」
「……それ、たぶん通じへんぞ」
英語を習い始めたとき、先生がそんな説明をしていた。『掘った芋いじるな』も聞いたし、実際に英語を教えに来ていた外国人にもなんとか通じてクラスメイトたちは喜んでいたけれど、そんなものでは実際は会話は成り立たない。
「何て言うん? おまえ英語喋れるん?」
「サイトウ寝具じゃなくて、sightseeingな。波野よりは喋れると思うわ」
「マジ? 何か言って!」
「めんどい」
「えー、良いやん、何か一個!」
「──I want to be classmates with her next year」
「え? ……なんて? クラス……ネクストイー?」
真っ先に浮かんだことを一息に言うと、晴大は再び歩き続けた。丈志は〝もう一回〟とか〝イーってなに?〟とか言っているけれど、晴大は返事をしなかった。来年は彼女と同じクラスになりたい──、そんなに楓花が好きなのかと、いろんな意味で自分に笑ってしまう。
丈志が言っていたように二学期にキャンプの予定があるけれど、肝試しも夜にあるらしいけれど、楓花と一緒にならないことは既に分かっていた。全てがクラスの班行動で、館内での食事など収容人数の都合で二グループ交代制になるときも別のグループだと予想していた。
楓花とゆっくり話す時間は取れない日が続いているけれど、晴大はそれ以外の学校生活に不満はなかった。勉強にはついていけているし、クラブもそこそこに頑張れていた。女友達はいないに等しいけれど問題ではなかったし、男友達なら何人かいるのでポツンと一人で過ごすことはなかった。親友と呼べるのは丈志だけだったけれど──ときどき怪しくはあったけれど──、それで良かった。
「なぁ渡利さぁ、高校はどうするん? 何か考えてる?」
「……まだやな」
「そんだけ英語喋れるんやったらさぁ、国際コースとか?」
「いや……普通科で良いわ。先のことなんか考えてないし」
本当に、将来は英語を生かせる仕事に就く、とは考えていなかった。両親の影響で英語は得意になっていたけれど、普通に学校生活を送っていたし、普通に友人たちと遊んでいた。父親の仕事を少しは誇りに思っていたけれど、同じように働きたい、とは考えたこともなかった。
「でもさぁ、私立行くやろ?」
「どうやろな。別に公立でも良いけど」
通える範囲の公立高校は少々柄が悪いけれど、偏差値を見れば候補はいくつかあった。今から英語に絞っていかなくても、高校三年間で将来のことを考えられるはずた。
体育祭での活躍を見てから同級生たちの間で再認識され、他の学年にも少しずつ広まっていった。良い評判なので嫌ではなかったけれど、晴大はそれほど得意にはならなかった。
「あっ、渡利先輩……」
下校途中、前を歩いていた一年生の女子生徒たちが晴大を見かけて足を止めた。
「……ん? なに?」
「あ、べ、別に何も……」
彼女たちは晴大を見かけて驚いただけのようで、晴大はそのまま歩き続けた。顔を知られるのは嬉しいけれど、無駄に声をかけられるので少々鬱陶しい。
「おーい渡利、テストどうやった?」
キイィィ、と自転車のブレーキをかけながら隣で止まった丈志は、住んでいるところが晴大より遠い。どちらかというと真面目ではあるけれどきちんとルールを守るほうでもなく、適当にゆるくくぐり抜けている。だからいつも自転車に乗せてくれるし、悪知恵もいくつか聞いた。たまに調子に乗ると発想がおかしくなるけれど、晴大は友人たちの中で丈志をいちばん信頼していた。
「テスト? 別に?」
「そんなこと言って、また満点あったんちゃうん?」
期末試験の結果が返却され、クラスメイトたちはそれぞれ点数に嘆いたり喜んだりしていた。離れた席から晴大を見ていた丈志は、晴大が特に感情を出さなかったので〝良い結果が多い〟と思っているらしい。
「満点はないけど……思ってたくらいやな」
平均で八割以上は取れていた、と丈志に言うつもりはない。
期末試験は五教科のほかに体育や芸術分野の試験もあって、もちろん、音楽の試験もあった。授業時間を使って行われる実技で、歌は特に問題なく通った。リコーダーの試験のときはだいたい晴大は欠席してきたけれど、二年になって初めてきちんと受験した。名前を呼ばれて一人で佐藤の前に行くと、晴大が吹き始める前に質問された。
「あれから──教えてもらったん?」
「いえ……去年で終わってます」
「ほんまにやめたんやねぇ……。はい、どうぞ」
試験の前には楓花に教えてもらったことを復習したし、楽譜も一応は読めるようになった。晴大はこれまでゆっくりとしか練習してこなかったけれど、クラスメイト全員から注目されていたのもあって、他の生徒たちと同じ速さで吹いた。吹き終わっても背後から〝リズムが変〟などの言葉は聞こえず、佐藤も笑顔で席に戻らせてくれた。
一年前は楓花と月に一度ほど会っていたけれど、それは完全に過去のものになってしまった。人前で一人でリコーダーが吹けるようになったことのお礼をしたいけれど、まず二人で話す機会がない。偶然に会えば話してくれるけれど必ず他に誰かがいるし、遠くから見られるようにはなったけれど楓花の表情からは何もわからない。いっそのこと教室か放送室に会いに行こうかとも考えたけれど、それは楓花に迷惑をかけてしまう。
「二学期なったらさー、キャンプあるよな。渡利、あっ、おまえいい加減、吹っ切れたよな?」
少しずつ諦め始めてはいるけれど、楓花のことを考えない日はなかった。体育祭で顔を合わせてからは話す機会がなく、丈志の会話にも名前すら登場しない。もちろん、バスケットボール部の佳雄からも、楓花の名前を聞くことはない。
「キャンプって非日常やし、肝試しやるって言ってたし、可愛い子おるかもな」
晴大の気持ちを聞かずに丈志は、クラスの女子生徒の名前を挙げ始めた。確かに可愛いと噂される人たちではあるけれど、晴大は興味がない。
「おまえ、どんな子がタイプなん?」
「……うるさいのは嫌やな。あと、あんまり甘えへん奴。俺がもし海外行っても耐えれる奴」
「海外? おまえ引っ越すん?」
「引っ越せへんけど、親がたまに仕事で行くから、俺も付いて行くようになるかもしれん」
「おまえのお父さん、レストランの社長とか言ってたよなぁ?」
「波野、それ誰にも言ってないやろな?」
「言ってない言ってない」
晴大の父親が会社を経営していることを、晴大は同級生たちには秘密にしていた。知っているのは丈志と、ほんの一部の先生たちだけだ。もしも誰かに知られると、また余計な注目をされてしまって困る。丈志には簡単に話しているけれど、どこの会社かは秘密だ。
「海外かぁ。俺も行ってみたいな。アメリカ行きたいな。ハロー、って。空港でさぁ、サイトー寝具店デース、って言うんやろ?」
「……それ、たぶん通じへんぞ」
英語を習い始めたとき、先生がそんな説明をしていた。『掘った芋いじるな』も聞いたし、実際に英語を教えに来ていた外国人にもなんとか通じてクラスメイトたちは喜んでいたけれど、そんなものでは実際は会話は成り立たない。
「何て言うん? おまえ英語喋れるん?」
「サイトウ寝具じゃなくて、sightseeingな。波野よりは喋れると思うわ」
「マジ? 何か言って!」
「めんどい」
「えー、良いやん、何か一個!」
「──I want to be classmates with her next year」
「え? ……なんて? クラス……ネクストイー?」
真っ先に浮かんだことを一息に言うと、晴大は再び歩き続けた。丈志は〝もう一回〟とか〝イーってなに?〟とか言っているけれど、晴大は返事をしなかった。来年は彼女と同じクラスになりたい──、そんなに楓花が好きなのかと、いろんな意味で自分に笑ってしまう。
丈志が言っていたように二学期にキャンプの予定があるけれど、肝試しも夜にあるらしいけれど、楓花と一緒にならないことは既に分かっていた。全てがクラスの班行動で、館内での食事など収容人数の都合で二グループ交代制になるときも別のグループだと予想していた。
楓花とゆっくり話す時間は取れない日が続いているけれど、晴大はそれ以外の学校生活に不満はなかった。勉強にはついていけているし、クラブもそこそこに頑張れていた。女友達はいないに等しいけれど問題ではなかったし、男友達なら何人かいるのでポツンと一人で過ごすことはなかった。親友と呼べるのは丈志だけだったけれど──ときどき怪しくはあったけれど──、それで良かった。
「なぁ渡利さぁ、高校はどうするん? 何か考えてる?」
「……まだやな」
「そんだけ英語喋れるんやったらさぁ、国際コースとか?」
「いや……普通科で良いわ。先のことなんか考えてないし」
本当に、将来は英語を生かせる仕事に就く、とは考えていなかった。両親の影響で英語は得意になっていたけれど、普通に学校生活を送っていたし、普通に友人たちと遊んでいた。父親の仕事を少しは誇りに思っていたけれど、同じように働きたい、とは考えたこともなかった。
「でもさぁ、私立行くやろ?」
「どうやろな。別に公立でも良いけど」
通える範囲の公立高校は少々柄が悪いけれど、偏差値を見れば候補はいくつかあった。今から英語に絞っていかなくても、高校三年間で将来のことを考えられるはずた。



