晴大の人気は相変わらず続いているけれど、一年のときの〝△△の件〟と〝晴大の失恋の噂〟が影響しているようで、誰も晴大に近づいてこようとはしなかった。それは晴大には特に何の問題もなかったけれど、以前にも増して女っ気が無くなってしまったのを寂しく感じてもいた。
数ヶ月前までは丈志が〝クラスの女子が〟と頻繁に楓花や舞衣の話をしに来ていたけれど〝久々に会ってこんな話を聞いた〟とはならなかったし、廊下で楓花に会うこともなかった。楓花は放送部を続けているようで昼の放送で何度か声は聞いたけれど、会いに行っても舞衣や他の部員に不思議がられるだろうし、断られた密会をまたわざわざ佐藤を通してお願いする気にはなれなかった。
楓花に姿を見てもらうのは、体育祭しかない。そして誰にも不思議がられずに楓花を見られるのも、いまは体育祭しかない。
目立つことはそれほど好きではなかったけれど、晴大はまた前日の準備にバスケットボール部員として協力した。あるとき『キーンッ』という嫌な機械音が響いてグラウンドを見渡すと、テントを立てた本部席近くで放送部の副顧問が慌てているのが見えた。近くに部員たちの姿はなかったけれど、音を聞いてからか、バタバタと何人かが走って現れた。
部長が誰かは聞いたことがないけれど、楓花も舞衣も違うらしい。それでも部長も副部長もあまり部活には参加していないようで、行事でのマイクセットはだいたい舞衣が中心になっていると聞いたことがある。嫌な音は鳴らなくなって、音楽が正しく流れるか確認をしてから放送部メンバーはグラウンドからいなくなった。
「あいつら機械に詳しいんかな?」
聞いてきたのは、同学年のバスケットボール部の佳雄だ。
「さぁ……。先生のほうが詳しいんちゃうん? 女ばっかやし」
機械に強くなりたくて放送部に入る、とは聞いたことがない。部員たちが目立つことが好きなようにも見えなかったし、放送室にいるほうがクラスでの余計なことに巻き込まれなくて済む、と楓花は話していた。大会に出ている様子もないし、全員で集まることもほとんどないらしい。放送部はおそらく、帰宅部を除いてこの学校でいちばん楽なクラブだ。
荷物を置いていた体育館からの帰りに放送室の前を通ったけれど、既に部員たちの気配はなかった。──けれど正門を出てから佳雄と歩いていると、前のほうに楓花と舞衣の姿が見えた。
「あいつら何か喋りながら歩いてんな? ……明日の練習?」
「おまえ、あの二人と知り合いなん?」
「去年、同じクラスやったわ。渡利、知らん?」
「いや? 知ってる。……天野さんは喋ったことないけど」
晴大が何とか平静を装おうとしているのを置いて、佳雄は楓花に話しかけに行ってしまった。明日の練習をしながら帰っている、という会話が聞こえてきて、どの競技を担当するのか聞いている頃に晴大も三人に追い付いてしまった。
「あっ──」
晴大に最初に気づいたのは舞衣だった。楓花も確実に晴大を視界に捉えているけれど、何も反応しない。
「長瀬さんは、どこやるん?」
佳雄が聞くと、楓花は晴大のほうは見ずに話し出した。
「何やったかな……。一年の綱取りと、ええと……障害物と、部活対抗リレー」
「お? 俺は出んけど、渡利、部活対抗出るよな?」
「そうやな……」
一年前にも出ているので、楓花も予想はしていたのかもしれない。部活対抗リレーは体操服からそれぞれのユニフォームに着替えるので、袴を穿く剣道部はどちらかというと不利だ。ちなみにバスケットボール部のユニフォームは晴大には似合っているようで、似合わない、と嘆く佳雄が羨ましそうにしていた。
「渡利君て足速いもんなぁ。去年も、何人か抜いたよなぁ?」
予想外に、聞いてくれたのは楓花だった。久々に話せて嬉しかったけれど、佳雄にも舞衣にも注目されているので笑顔になりすぎてはいけない。晴大はまだ失恋で落ち込んでいると噂があるので、相手が楓花だと気付かれてもいけない。
「──二人やな。あれクラス対抗やったけど」
「今年も抜いてくれよ。おまえアンカーやろ?」
それから間も無くの交差点でもとの二人組に分かれた。晴大はもう少し楓花と話したかったけれど、佳雄が先を急ごうとするし、楓花も舞衣と行ってしまった。だからバレンタインのときのように楓花を見ているわけにもいかず──、リレーで独走できれば楓花にもマイクで応援してもらえるだろうか、と一人で妄想する。
今回は体育委員ではなかったので競技での誘導はなく、晴大はずっとクラスの席にいた。クラスメイトが出ている競技はもちろん応援して、それ以外はだいたい本部席の楓花を見ていた。リレーのスタート地点が本部前なので、特に怪しまれることはなかった。
そのことには楓花も気付いていたのかもしれない。晴大のクラスのほうはあまり見ていなかったし、部活対抗リレーで晴大が近くにいるときも敢えて視線を逸らしていた。
それでももちろん、楓花はアナウンスを担当していたので晴大に注目する事態が発生し──。
≪陸上部、アンカースタートしました。……サッカー部、野球部、バスケットボール部、アンカー……──≫
晴大は敢えて楓花の姿は見ないようにして、声だけを聞きながらすぐ前を走っていた野球部を抜き、スピードを上げてサッカー部も抜いた。そして──遠くに見ていた陸上部にも何とか追い付き、全校生徒に注目されながら一着でゴールテープを切った。息を切らしながら列に戻り、ふと本部席を見ると楓花と目が合ってしまった。逸らされるか、と思ったけれどそんなことはなく、楓花はしばらく晴大を見ていた。時間にするとほんの数秒だったけれど、とても長く感じた。
順位発表を先生から聞いている間に、楓花は本部席からいなくなっていた。それは最後の種目の準備をするためで、晴大も退場してから急いで着替えた。その間に行われるのは、先生たちのリレーだ。学校の先生は若く見えるけれど、お世辞にも若いとは言えない先生たちが全速力で走っているのは、見ていると可哀想になってきてしまう。
「渡利、三人も抜いたな!」
クラスメイトが待機している場所に戻ると、丈志が笑っていた。
「まだチャンスあるんちゃうん?」
「チャンス?」
「……好きな子にアピールできたやん? 見てるやろ? 一緒に帰れよ?」
確かに楓花は見ていたけれど、晴大は二人で会おうとは思わなかった。楓花が望んでいれば構わないけれど、おそらく楓花は放送機材の片付けがあるし、帰りは舞衣と一緒になるはずだ。
「無理」
「おまえ嫌われたん?」
「さぁな。二年になってから、会ってくれへんし」
「えっ、マジ?」
二年になってから楓花と話したのは、昨日の帰りだけだ。話してくれたから楓花は気が変わったのか、と思ったけれど、グラウンドで近くを通っても特に何も言ってこなかった。
「次さぁ、フォークダンスやん? 同じ円なん?」
「いや? おらん」
フォークダンスの円を作るクラスの組み合わせはランダムだったけれど、楓花とは違う円になって踊れないことは練習のときに知った。晴大と踊ることになった女子生徒たちは喜んでいたけれど、晴大は何も嬉しくなかった。
数ヶ月前までは丈志が〝クラスの女子が〟と頻繁に楓花や舞衣の話をしに来ていたけれど〝久々に会ってこんな話を聞いた〟とはならなかったし、廊下で楓花に会うこともなかった。楓花は放送部を続けているようで昼の放送で何度か声は聞いたけれど、会いに行っても舞衣や他の部員に不思議がられるだろうし、断られた密会をまたわざわざ佐藤を通してお願いする気にはなれなかった。
楓花に姿を見てもらうのは、体育祭しかない。そして誰にも不思議がられずに楓花を見られるのも、いまは体育祭しかない。
目立つことはそれほど好きではなかったけれど、晴大はまた前日の準備にバスケットボール部員として協力した。あるとき『キーンッ』という嫌な機械音が響いてグラウンドを見渡すと、テントを立てた本部席近くで放送部の副顧問が慌てているのが見えた。近くに部員たちの姿はなかったけれど、音を聞いてからか、バタバタと何人かが走って現れた。
部長が誰かは聞いたことがないけれど、楓花も舞衣も違うらしい。それでも部長も副部長もあまり部活には参加していないようで、行事でのマイクセットはだいたい舞衣が中心になっていると聞いたことがある。嫌な音は鳴らなくなって、音楽が正しく流れるか確認をしてから放送部メンバーはグラウンドからいなくなった。
「あいつら機械に詳しいんかな?」
聞いてきたのは、同学年のバスケットボール部の佳雄だ。
「さぁ……。先生のほうが詳しいんちゃうん? 女ばっかやし」
機械に強くなりたくて放送部に入る、とは聞いたことがない。部員たちが目立つことが好きなようにも見えなかったし、放送室にいるほうがクラスでの余計なことに巻き込まれなくて済む、と楓花は話していた。大会に出ている様子もないし、全員で集まることもほとんどないらしい。放送部はおそらく、帰宅部を除いてこの学校でいちばん楽なクラブだ。
荷物を置いていた体育館からの帰りに放送室の前を通ったけれど、既に部員たちの気配はなかった。──けれど正門を出てから佳雄と歩いていると、前のほうに楓花と舞衣の姿が見えた。
「あいつら何か喋りながら歩いてんな? ……明日の練習?」
「おまえ、あの二人と知り合いなん?」
「去年、同じクラスやったわ。渡利、知らん?」
「いや? 知ってる。……天野さんは喋ったことないけど」
晴大が何とか平静を装おうとしているのを置いて、佳雄は楓花に話しかけに行ってしまった。明日の練習をしながら帰っている、という会話が聞こえてきて、どの競技を担当するのか聞いている頃に晴大も三人に追い付いてしまった。
「あっ──」
晴大に最初に気づいたのは舞衣だった。楓花も確実に晴大を視界に捉えているけれど、何も反応しない。
「長瀬さんは、どこやるん?」
佳雄が聞くと、楓花は晴大のほうは見ずに話し出した。
「何やったかな……。一年の綱取りと、ええと……障害物と、部活対抗リレー」
「お? 俺は出んけど、渡利、部活対抗出るよな?」
「そうやな……」
一年前にも出ているので、楓花も予想はしていたのかもしれない。部活対抗リレーは体操服からそれぞれのユニフォームに着替えるので、袴を穿く剣道部はどちらかというと不利だ。ちなみにバスケットボール部のユニフォームは晴大には似合っているようで、似合わない、と嘆く佳雄が羨ましそうにしていた。
「渡利君て足速いもんなぁ。去年も、何人か抜いたよなぁ?」
予想外に、聞いてくれたのは楓花だった。久々に話せて嬉しかったけれど、佳雄にも舞衣にも注目されているので笑顔になりすぎてはいけない。晴大はまだ失恋で落ち込んでいると噂があるので、相手が楓花だと気付かれてもいけない。
「──二人やな。あれクラス対抗やったけど」
「今年も抜いてくれよ。おまえアンカーやろ?」
それから間も無くの交差点でもとの二人組に分かれた。晴大はもう少し楓花と話したかったけれど、佳雄が先を急ごうとするし、楓花も舞衣と行ってしまった。だからバレンタインのときのように楓花を見ているわけにもいかず──、リレーで独走できれば楓花にもマイクで応援してもらえるだろうか、と一人で妄想する。
今回は体育委員ではなかったので競技での誘導はなく、晴大はずっとクラスの席にいた。クラスメイトが出ている競技はもちろん応援して、それ以外はだいたい本部席の楓花を見ていた。リレーのスタート地点が本部前なので、特に怪しまれることはなかった。
そのことには楓花も気付いていたのかもしれない。晴大のクラスのほうはあまり見ていなかったし、部活対抗リレーで晴大が近くにいるときも敢えて視線を逸らしていた。
それでももちろん、楓花はアナウンスを担当していたので晴大に注目する事態が発生し──。
≪陸上部、アンカースタートしました。……サッカー部、野球部、バスケットボール部、アンカー……──≫
晴大は敢えて楓花の姿は見ないようにして、声だけを聞きながらすぐ前を走っていた野球部を抜き、スピードを上げてサッカー部も抜いた。そして──遠くに見ていた陸上部にも何とか追い付き、全校生徒に注目されながら一着でゴールテープを切った。息を切らしながら列に戻り、ふと本部席を見ると楓花と目が合ってしまった。逸らされるか、と思ったけれどそんなことはなく、楓花はしばらく晴大を見ていた。時間にするとほんの数秒だったけれど、とても長く感じた。
順位発表を先生から聞いている間に、楓花は本部席からいなくなっていた。それは最後の種目の準備をするためで、晴大も退場してから急いで着替えた。その間に行われるのは、先生たちのリレーだ。学校の先生は若く見えるけれど、お世辞にも若いとは言えない先生たちが全速力で走っているのは、見ていると可哀想になってきてしまう。
「渡利、三人も抜いたな!」
クラスメイトが待機している場所に戻ると、丈志が笑っていた。
「まだチャンスあるんちゃうん?」
「チャンス?」
「……好きな子にアピールできたやん? 見てるやろ? 一緒に帰れよ?」
確かに楓花は見ていたけれど、晴大は二人で会おうとは思わなかった。楓花が望んでいれば構わないけれど、おそらく楓花は放送機材の片付けがあるし、帰りは舞衣と一緒になるはずだ。
「無理」
「おまえ嫌われたん?」
「さぁな。二年になってから、会ってくれへんし」
「えっ、マジ?」
二年になってから楓花と話したのは、昨日の帰りだけだ。話してくれたから楓花は気が変わったのか、と思ったけれど、グラウンドで近くを通っても特に何も言ってこなかった。
「次さぁ、フォークダンスやん? 同じ円なん?」
「いや? おらん」
フォークダンスの円を作るクラスの組み合わせはランダムだったけれど、楓花とは違う円になって踊れないことは練習のときに知った。晴大と踊ることになった女子生徒たちは喜んでいたけれど、晴大は何も嬉しくなかった。



