Pure─君を守りたかったから─

 中学になると男女ともに、特に男はあまり自分のことを話さなくなる、となんとなく思っていた。俺は特に意識しなかったが、もともと口数が多いほうではなかったので、自然と感情表現が苦手になってしまった。特に何かを伝えたい相手はいなかったので問題なかったが、音楽室で出会った彼女にだけは、芽生えてしまった感情をどうにか伝えたかった──。

  ※

 晴大は楓花のことを、初めは本当に気にしていなかった。学年で可愛い女子生徒のトップテン(友人たちの総評)には入っていなかったし、リコーダーを教えてもらう以外に接点がないので、彼女のことを知りようもなかった。それが楓花を異性として意識するようになったのは、丈志からときどき噂を聞いて、リコーダーを教えてもらうときに世間話をするようになってからだ。
 秘密を守ってくれていることでまず信頼するようになり、他の女子生徒たちとは違って晴大を見ても特に騒がないことで、周りに流されない人間だと思った。昼休みの放送や文化祭の朗読の声からも、嫌な感じは全くしなかった。むしろ二人で話しているときの空気が穏やかすぎて、月に一度ほどの練習の日が楽しみになり、学年のどんな美女よりも楓花のことを気にしてしまっていた。
「渡利君、はい、これ」
「ん? あ──ありがとう」
「私もあげるわ」
「お、おう……」
「渡利、モテモテやな。誰かと付き合うん?」
 バレンタインの朝、教室に入るとほとんどの女子生徒がチョコレートを持ってきてくれた。嫌な気はしなかったけれど、正直、どれも要らなかった。貰ったものを置いて帰るわけにもいかなかったので全て鞄に入れると、箱のせいでカクカクと膨らんでしまった。
「もう入らんぞ……。あ、そうや」
 友人たちと話しながら思い立って、晴大は教室を出て職員室へ行った。昼休みは教室で過ごすので仕方なかったけれど、放課後はクラブに行って女子生徒に集まられるよりも、隠れて静かに過ごしていたかった。だから佐藤に頼んで急きょ、楓花を練習に呼び出してもらった。
 その理由は、半分は嘘だ。
 楓花を呼び出してもらった本当の理由は、単純に彼女に会いたかったからだ。晴大は既に楓花のことを好きになってしまっていた。出会った頃は何も思わなかったけれど、気になりだしてからだんだんと可愛いと思えてきていた。楓花が晴大のことを人気だと認めているのを知っていたので、もしかすると楓花も晴大のことが好きなのでは、と少し期待していた。
 しかし晴大の期待は完全に空振りに終わってしまった。楓花に会えたのは良かったけれどチョコレートは貰えなかったし、もしも楓花が良いと言えば一緒に帰って告白しようか──、という作戦も実行できなかった。
 楓花は他の生徒たちの前で晴大と一緒に行動するのを嫌がったので、晴大はしばらく時間を置いてから学校を出た。ため息をつきながら歩いていると後ろから自転車のベルの音が聞こえた。
「渡利、いま帰り?」
「うん。……波野、今日ひま?」
 予定がない、と言う丈志と遊ぶことになって、自転車の後ろに乗せてもらった。ノーヘルはもちろん、そもそも二人乗りが禁止されていたので、先生に見つからないように注意していた。
「あっ」
 いきなり丈志が叫んだので降りようとしたけれど、丈志はそのまま走り続けた。
「誰か歩いてる……俺のクラスの奴や」
 先生ではなく、先に学校を出た楓花だった。丈志はお菓子をねだっていたけれど、楓花は本当に何も持っていなかったらしい。去り際に楓花を見ていたのはリコーダーの件もあるけれど、どうして何もくれなかったのか、と訴えたつもりだった。
 晴大が楓花を見ている間、楓花も──おそらく晴大を見ていた。楓花が何を考えていたかは分からないし、顔は少しだけ強ばって見えた。もしかすると、丈志が変なことを聞いてこないか警戒していたのだろうか。けれどそれも、答えは分からなかった。
「──え? 終わり?」
 数日後、用事で職員室に行くと、佐藤に呼ばれた。楓花からの要望で、リコーダーを教えてもらうのは終わりになったらしい。
「なんで?」
「もう渡利君は、最初の頃に比べたらだいぶ吹けるようになったから、って言ってたよ」
「えー……」
「友達に先に帰ってもらうのもしんどい、って言ってたわ。私も授業で何回か聴いたけど、渡利君ほんまに上手くなったよ」
 晴大は〝上手くなった〟とは(にわか)には信じられなかった。確かに練習を始める前よりはマシになっているけれど、人前で一人で吹ける自信はない。教科書に載っている運指表はだいたい覚えたし簡単なリズムも理解したけれど、勝手に練習を終えられたことは納得できなかった。
 それまでは廊下ですれ違うと楓花はほんの一瞬だけ晴大を見ていたけれど、練習しなくなってからは楓花に避けられているような気がした。遠くに姿を見つけるとどこかに隠れてしまったし、どうしても近くを通るときも、まるで晴大を知らないような感じだった。
「っお──ぃ……」
 楓花を呼び止めたくても、同級生たちがいる前ではそれも叶わなかった。晴大と楓花は〝面識があって一度だけ挨拶をした程度〟の設定なので、楓花が止まってくれたとしても話すことがない。友人たちも不思議に思うので、呼ぼうとする声はいつも(むな)しく消えた。
「なんか……雰囲気変わった?」
 教室での休み時間、一人で頬杖をついているとクラスの女子生徒たちが晴大の噂をしていた。晴大は──体を動かす体育やクラブでは活躍しているけれど──もともと群れることを好まなかったのが、更に人を寄せ付けなくなった。
「考え事してんかな? えっ、恋? わぁー。バレンタインいっぱい貰ってたしなぁ。お返しの悩み? あっ、……もしかして好きな子からバレンタイン貰えんかって凹んでんのかな?」
 大正解すぎて、晴大は表情を変えずにじろっと声がするほうを見た。言ったクラスメイトは気まずそうに口を塞いで大人しくなった。
 楓花から何も貰えなかったことと、練習をやめられたことに確かに凹んでいた。何ともなかった相手のはずなのに、気になりだすと想いは止まらなかった。会いたくて、話したくて、けれど楓花が嫌がることはしたくなかった。
「おーい渡利、おまえほんまに失恋したん?」
「……ほっとけ」
「うわ、これマジなやつやん。誰? 学校の子?」
「ふん。言うわけないやろ」
「えー、誰? 教えろよー。おまえが好きになるって、よっぽど可愛いんちゃうん? 誰?」
 クラスメイトは可愛い女子生徒の名前を挙げていくけれど、その中に楓花の名前は登場しなかった。晴大はいまは楓花の顔も好きだけれど、最初に惹かれたのは中身だ。
「その子とさぁ、話したことあるん?」
「……たまにな」
「誰やろ……クラスの奴はちゃうよな。なぁ、バレンタインに貰ったやつ、全部食べたん?」
「たぶん?」
「なに、たぶん、って」
「あの日、波野と遊んだからな。……全部あいつの家に置いてきた」
 最後の言葉を小さく言ったのは、くれた女子生徒が何人か教室にいたからだ。彼女たちのことも好きではないけれど、晴大が食べていないと知るのはさすがに可哀想だと思った。