優しさっていうのは、みんなが当たり前に持っているものだと疑わなかった幼少期。けれどそれは周りの人がたまたまそうだっただけで、全員がそうとは限らない、とは小学校に入った頃になんとなく分かった。中学に入ると、特に男子はやんちゃをしたくなるようで、わざといじわるをするのを見ることも増えた。でも私は、そうはならなかった──。
※
中学生になった、というだけで大人になった気になる思春期の真っ只中。新しい制服を着て学校に行くだけで周りからの見られ方も変わった気になるけれど、本人たちはほとんど何も変わっていない。それなのに、中学生だから、と責任を負わされるようになるし、試験の結果次第では進学先に影響してしまう。
「楓花ちゃーん、おはよう!」
朝の通学路、後ろから長瀬楓花を呼んだのは、小学校からの友人の天野舞衣だ。舞衣とは一番仲良かったせいか、同じクラスに振り分けられていた。ちなみにクラスは小学校のときの五倍ほどあるので、全員の顔を覚えるのにはかなりの時間がかかりそうだ。
「舞衣ちゃんも歩きなん?」
「そう。あと百メートルくらい遠かったらチャリ通やのに」
「ははっ、私も」
校内の自転車置き場の都合で自転車通学できる地域が限られて、楓花も舞衣もギリギリ圏外なので認めてもらえなかった。徒歩通学は辛いし後ろから自転車に抜かされるのも悔しいけれど、友人と話をできるので楽しい時間でもある。
「舞衣ちゃんはクラブ決めた?」
「ううん、まだ。美術部とか吹奏楽とか楽しそうやけど、茶道も良いなぁ、って思ったりして」
「茶道かぁ。お茶ってさぁ、苦くない?」
「あー、苦いかも……でも、お菓子食べれるらしいから」
今はそれしか見えていない、と笑う舞衣は、文化系クラブの中からどれかを選ぶつもりにしているらしい。
「楓花ちゃんは? ピアノ上手いし、音楽?」
「できたらやりたいけど、楽器って吹奏楽だけやん? 小学校のときトランペットやったことあるけど、音なかなか出んかって、そっから苦手なんよなぁ」
「ピアノやったら、合唱部の伴奏とかは?」
「……歌は好きやけど、合唱はなぁ、あんまりかなぁ」
楓花も舞衣と同じく文化系クラブを考えているけれど、まだ決まっていない。学校とは別にピアノを習っているのでそれとは被らないように、できれば体力を使わずに楽しめるものが良い。
教室に到着して席に着き、舞衣を含めた近くの席のクラスメイトと話をしていた。話題はやはりクラブのことや、授業によって先生や教室が変わることへの不安だ。小学校のときは何も気にしていなかったのに中学になると上の学年の人は〝先輩〟と呼ばないと怒られるだとか、特に体育系クラブの上下間系は厳しいらしいとか、女子生徒たちは話し始めるとなかなか止まらない。
「このクラス……格好良い子おらんなぁ」
教室を見回してから舞衣がポツリと言った。
クラスメイトたちには申し訳ないけれど、本当に、クラスに格好良いと思える男子生徒はいなかった。話していて楽しいとか、友達としてなら一緒にいても良いとか、そういう人はいるけれど、恋愛対象になりそうな人は残念ながらいない。楓花は小学校のときは何人か気になる同級生はいたけれど、彼らに恋愛感情はなかったし、中学生になった途端になぜか全く気にならなくなってしまった。
そして今度は、友人たちの知り合いの中での〝これから格好良くなりそうな人〟の議論が止まらなくなってしまった。その人はどこのクラスにいるだとか、クラブは何をしそうだとか、先程よりも盛り上がってしまう。
「楓花ちゃんはどう思う?」
聞いてきたのは違う小学校だった人だけれど、話をしているメンバーほとんどが幼稚園が同じだったので出てくる名前も同じになってしまう。
「もういてないんちゃう? あとは○○小の子やわ……」
楓花がなんとなく教室の様子を見ると、近くにいた男子生徒と目が合ってしまった。
「……なに?」
「いや……○○小って聞こえたから何かと思って」
「あ、波野君って○○小やったっけ?」
「そやで?」
波野丈志とは席が前後だったのもあって、入学式の日に話しかけられた。話しやすくて性格も良さそうだったけれど、残念ながら外見が普通すぎて楓花の好みではなかった。
「○○小出身の子ってどんなんかなぁ、って話をしてて」
「別に普通ちゃう? まぁでも多いからなぁ。覚えんの大変やろな」
全員を覚えられるかは分からないけれど、せめて何人か友人は作りたい。
クラスでの自己紹介は既に終えていて、楓花は全員と仲良くなれそうな気がしていた。性格が悪そうな人は今のところいなかったし、男女ともに何人かはわざわざ改めて挨拶しに来てくれた。
楓花がピアノを弾くことはいつの間にか舞衣がクラスメイトたちに広めていたようで、それが先生たちにも伝わって合唱部から誘いが来たけれど、楓花は最終的に舞衣と一緒に放送部に入った。登校時の十分程と昼休みに音楽を流すのが主な活動で、たまに文化祭や体育祭のときにマイクをセットしてアナウンスも担当するらしい。
「放送部入ってくれたん? ありがとう、よろしくなぁ」
二年生や三年生には敬語を使って〝先輩〟と呼ばないといけない──と思っていたけれど、放送部は全員が女子生徒で、先輩たちは非常に緩かった。それも三年生数人しかいなかったので、ほとんど顔を合わせないうちに引退してしまって、楓花たち新入部員だけが残ることになった。
「楽といえば楽やけど……」
先輩として頼れる存在を近くで感じてみたかったので、楓花は少しだけ残念だった。二年生が新たに入ってくるとは思えないので、一年後に後輩ができるのを──自分が先輩として頼られるのを少しだけ楽しみにしていた。
「楓花ちゃんさぁ、今日はピアノじゃなかった?」
「そう。だから早く始まってほしい」
楓花と舞衣が話しているのは、放課後の放送室だ。クラブ全員が集まる日が月に一度あるけれど、女性の顧問が保健室の先生のために部室になっている保健室になかなか入れず、メンバーも揃っていなかったので放送室で時間を潰していた。
コンコン──。
「保健室まだ使われへんから、違う部屋でやるわ」
顔を出した男性の副顧問が、放送室に集まっていたメンバーに隣の部屋に入るように言った。
「隣? 隣って小会議室じゃないん?」
「今日は誰も会議せぇへん。あ──カギ開いてる……? 奥、誰もおらんよな?」
「奥?」
電気がついていないことは廊下からも確認できたので、副顧問の言葉の意味が誰も分からなかった。
「奥に部屋あんねん」
「わっ、すごっ、秘密部屋みたい」
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中学生になった、というだけで大人になった気になる思春期の真っ只中。新しい制服を着て学校に行くだけで周りからの見られ方も変わった気になるけれど、本人たちはほとんど何も変わっていない。それなのに、中学生だから、と責任を負わされるようになるし、試験の結果次第では進学先に影響してしまう。
「楓花ちゃーん、おはよう!」
朝の通学路、後ろから長瀬楓花を呼んだのは、小学校からの友人の天野舞衣だ。舞衣とは一番仲良かったせいか、同じクラスに振り分けられていた。ちなみにクラスは小学校のときの五倍ほどあるので、全員の顔を覚えるのにはかなりの時間がかかりそうだ。
「舞衣ちゃんも歩きなん?」
「そう。あと百メートルくらい遠かったらチャリ通やのに」
「ははっ、私も」
校内の自転車置き場の都合で自転車通学できる地域が限られて、楓花も舞衣もギリギリ圏外なので認めてもらえなかった。徒歩通学は辛いし後ろから自転車に抜かされるのも悔しいけれど、友人と話をできるので楽しい時間でもある。
「舞衣ちゃんはクラブ決めた?」
「ううん、まだ。美術部とか吹奏楽とか楽しそうやけど、茶道も良いなぁ、って思ったりして」
「茶道かぁ。お茶ってさぁ、苦くない?」
「あー、苦いかも……でも、お菓子食べれるらしいから」
今はそれしか見えていない、と笑う舞衣は、文化系クラブの中からどれかを選ぶつもりにしているらしい。
「楓花ちゃんは? ピアノ上手いし、音楽?」
「できたらやりたいけど、楽器って吹奏楽だけやん? 小学校のときトランペットやったことあるけど、音なかなか出んかって、そっから苦手なんよなぁ」
「ピアノやったら、合唱部の伴奏とかは?」
「……歌は好きやけど、合唱はなぁ、あんまりかなぁ」
楓花も舞衣と同じく文化系クラブを考えているけれど、まだ決まっていない。学校とは別にピアノを習っているのでそれとは被らないように、できれば体力を使わずに楽しめるものが良い。
教室に到着して席に着き、舞衣を含めた近くの席のクラスメイトと話をしていた。話題はやはりクラブのことや、授業によって先生や教室が変わることへの不安だ。小学校のときは何も気にしていなかったのに中学になると上の学年の人は〝先輩〟と呼ばないと怒られるだとか、特に体育系クラブの上下間系は厳しいらしいとか、女子生徒たちは話し始めるとなかなか止まらない。
「このクラス……格好良い子おらんなぁ」
教室を見回してから舞衣がポツリと言った。
クラスメイトたちには申し訳ないけれど、本当に、クラスに格好良いと思える男子生徒はいなかった。話していて楽しいとか、友達としてなら一緒にいても良いとか、そういう人はいるけれど、恋愛対象になりそうな人は残念ながらいない。楓花は小学校のときは何人か気になる同級生はいたけれど、彼らに恋愛感情はなかったし、中学生になった途端になぜか全く気にならなくなってしまった。
そして今度は、友人たちの知り合いの中での〝これから格好良くなりそうな人〟の議論が止まらなくなってしまった。その人はどこのクラスにいるだとか、クラブは何をしそうだとか、先程よりも盛り上がってしまう。
「楓花ちゃんはどう思う?」
聞いてきたのは違う小学校だった人だけれど、話をしているメンバーほとんどが幼稚園が同じだったので出てくる名前も同じになってしまう。
「もういてないんちゃう? あとは○○小の子やわ……」
楓花がなんとなく教室の様子を見ると、近くにいた男子生徒と目が合ってしまった。
「……なに?」
「いや……○○小って聞こえたから何かと思って」
「あ、波野君って○○小やったっけ?」
「そやで?」
波野丈志とは席が前後だったのもあって、入学式の日に話しかけられた。話しやすくて性格も良さそうだったけれど、残念ながら外見が普通すぎて楓花の好みではなかった。
「○○小出身の子ってどんなんかなぁ、って話をしてて」
「別に普通ちゃう? まぁでも多いからなぁ。覚えんの大変やろな」
全員を覚えられるかは分からないけれど、せめて何人か友人は作りたい。
クラスでの自己紹介は既に終えていて、楓花は全員と仲良くなれそうな気がしていた。性格が悪そうな人は今のところいなかったし、男女ともに何人かはわざわざ改めて挨拶しに来てくれた。
楓花がピアノを弾くことはいつの間にか舞衣がクラスメイトたちに広めていたようで、それが先生たちにも伝わって合唱部から誘いが来たけれど、楓花は最終的に舞衣と一緒に放送部に入った。登校時の十分程と昼休みに音楽を流すのが主な活動で、たまに文化祭や体育祭のときにマイクをセットしてアナウンスも担当するらしい。
「放送部入ってくれたん? ありがとう、よろしくなぁ」
二年生や三年生には敬語を使って〝先輩〟と呼ばないといけない──と思っていたけれど、放送部は全員が女子生徒で、先輩たちは非常に緩かった。それも三年生数人しかいなかったので、ほとんど顔を合わせないうちに引退してしまって、楓花たち新入部員だけが残ることになった。
「楽といえば楽やけど……」
先輩として頼れる存在を近くで感じてみたかったので、楓花は少しだけ残念だった。二年生が新たに入ってくるとは思えないので、一年後に後輩ができるのを──自分が先輩として頼られるのを少しだけ楽しみにしていた。
「楓花ちゃんさぁ、今日はピアノじゃなかった?」
「そう。だから早く始まってほしい」
楓花と舞衣が話しているのは、放課後の放送室だ。クラブ全員が集まる日が月に一度あるけれど、女性の顧問が保健室の先生のために部室になっている保健室になかなか入れず、メンバーも揃っていなかったので放送室で時間を潰していた。
コンコン──。
「保健室まだ使われへんから、違う部屋でやるわ」
顔を出した男性の副顧問が、放送室に集まっていたメンバーに隣の部屋に入るように言った。
「隣? 隣って小会議室じゃないん?」
「今日は誰も会議せぇへん。あ──カギ開いてる……? 奥、誰もおらんよな?」
「奥?」
電気がついていないことは廊下からも確認できたので、副顧問の言葉の意味が誰も分からなかった。
「奥に部屋あんねん」
「わっ、すごっ、秘密部屋みたい」



