孤独な公女~私は死んだことにしてください

 エストマン公爵邸の筆頭執事――ポルトス・モランは現在68歳。

先々代の公爵の頃からこの屋敷に仕えており、その存在や発言は絶大な影響力を与えていた。
唯一公爵に自分の意見を言える人物でもあり、厳しいながらも人徳者であることから使用人達からの信頼も厚い。
ただし……怒らせると怖い人物としても有名だ。


 そして彼は今、激しい憤りを感じていた。

(何と、気の毒な少女なのだろう……)

目の前に立つ小さな少女は、とても哀れに見えた。
痩せ細った手足。銀色の長い髪は手入れが行き届いていないのか、ぼさぼさだった。
着ている喪服のワンピースもサイズが合っていないのか、ダブダブでみっともない有様だ。
大事そうにしっかり抱えているウサギのぬいぐるみは薄汚れ、ほつれた部分からは綿がはみ出している。


じっとサフィニアを見つめるポルトス。
ポルトスにその気は無いものの、彼が向けてくる視線はサフィニアにとって恐怖だった。何しろ先程メイド長を叱責する姿を見ていれば、怯えるのは無理ない話。
ましてや、サフィニアはまだたった6歳の少女なのだから。

「あ、あの……」

サフィニアは震えながら、先程から無言で自分を見つめてくるポルトスに声をかけた。
その言葉で、ポルトスは我に返る。

「あ、これは失礼いたしました。では、まず初めにお父上でいらっしゃいます公爵様の元へご案内いたしましょう」

サフィニアを怖がらせないように、ポルトスはニコリと笑みを浮かべる。

「おちちうえ……? 公爵様って、もしかして私のパパ……なの?」

「パパ……? ええ、そうです。お父様でいらっしゃいますよ」

返事をしながらポルトスは思った。

(何と言うことだ……この方はまともな教育も受けていないようだ。……だが、無理もない話だ。何しろ、母親は下級メイドで離宮に追いやられたのだから)

「今から……パパに会えるの?」

首を傾げるサフィニアにポルトスは頷く。

「はい、では参りましょうか」

「うん。あ、ごめんなさい。はい……」

こうしてポルトスはサフィニアを連れて、エストマン公爵が待つ執務室へ向かった。


****

 ポルトスに連れて執務室へ続く長い廊下を歩いていると、途中何人もの使用人達とすれ違った。すると彼らは皆一様にポルトスに恭しく挨拶をしていく。
その姿を見て、サフィニアは思った。

(このお爺さん……きっと偉い人なんだ……だってさっきのメイド長って人を怒ったんだもの)

思わずじっと、ポルトスを見上げると目があった。

「サフィニア様、どうかされましたか?」

「う、ううん。何でもない」

パッと視線を逸らすサフィニア。

「ところでサフィニア様。挨拶の仕方を知っていますか?」

突然ポルトスが尋ねてきた。

「うん、知ってるわ。朝は、おはようでしょ。そして昼はこんにちは。そして夜はこんばんはで、寝るときはおやすみなさいっていうんでしょ?」

「ええ、そうなのですが……初めて会う偉い方には『はじめまして、サフィニアと申
します』と言うと良いでしょう。ちょっと練習してみましょうか? 後は……そうですね。返事をするときは『はい』『いいえ』で答えると良いでしょう」

これからサフィニアは、家族全員と顔合わせをしなくてはならない。その誰もがサフィニアを良く思ってはいないのだ。
なので、せめて挨拶と言葉遣いだけでも覚えて欲しいとポルトスは思ったのである。

「練習……? 今?」

「はい、そうです」

そこでサフィニアは早速、言われた言葉を口にした。

「初めまして、サフィニアと申します。……これでいい?」

「ええ。お上手ですよ。後は「うん」「ううん」ではなく、「はい」「いいえ」で答えて下さいね。よろしいですか?」

「はい」

ポルトスの言葉に、サフィニアは頷く。

「お上手ですよ。……あ、お部屋の前に到着しました。では扉を開けますが、今の練習を忘れないようにして下さいね」

「はい」

サフィニアは緊張しながら返事をする。
それを見届けたポルトスは頷くと扉をノックして、声をかけた。

「旦那様、サフィニア様をお連れいたしました。扉を開けさせていただきます」

そしてポルトスは扉を開けた――