部屋の中に入って来たのは、まだあどけなさの残るフットマンだった。
ダークブラウンの髪に青い瞳の少年は、ぬいぐるみを抱いたサフィニアに気付いて慌てた素振りを見せた。
「あ! も、申し訳ございませんでした! お返事が無かったので勝手に部屋に入ってしまいました。どうぞお許しください。あの……貴女はサフィニア様でいらっしゃいますよね?」
少年は丁寧な言葉でサフィニアに尋ねた。
「うん、サフィニアだよ。……お兄ちゃん、誰?」
「僕の名前はセザール・モラン。見習フットマンとして、この屋敷で働いています。今回、祖父からサフィニア様のお世話係を任命されました。どうぞよろしくお願いいたします」
少年はサフィニアに笑顔を向ける。
「そふ……? そふって何?」
まだ言葉をよく知らないサフィニアは首を傾げる。
「祖父と言うのは、おじいちゃんのことです。僕の祖父はポルトス・モラン。このお屋敷で筆頭執事をしています」
「え? そうなの? ポルトスさんがおじいちゃんなの?」
ポルトス孫のと聞いて、サフィニアの目が見開かれる。
「はい。今日からサフィニア様と一緒に屋敷の仕事をさせていただきます。ついでに行儀作法や、文字の読み書きも教えるように祖父から言われています」
ポルトスはサフィニアが全く教育を受けていないことを瞬時に悟った。
そこで優秀な孫——セザールに事情を話してメイドの仕事のみならず、貴族が身につけるべき最低限な行儀作法と、まずは読み書きが出来るように指導するよう命じられていたのだ。
「お兄ちゃんがお色々教えてくれるの?」
「はい、そうです。でもまだまだ未熟物なので、至らない点が多々あると思いますが、どうか御了承下さい。まずは僕のことは『お兄ちゃん』ではなく、セザールと呼んで下さい」
「セザール?」
「はい、そうです。僕とサフィニア様の2人だけのときは、このような口調で話しますが、他の使用人達の前では話し方を変えます。その点も、どうぞお許しください」
「うん、大丈夫だよ。だってポルトスさんもそうだったから」
「そうですか、サフィニア様の御理解が早くて助かります。では行きましょうか?」
セザールがドアを開け放した。
「え? 行くって……どこへ行くの?」
「勿論、仕事に行くのです。まずはサフィニア様でも出来る仕事です」
こうして、サフィニアはセザールに連れられて部屋を後にした。
「セザール。私、どんな仕事をすればいいの?」
廊下を歩きながら、サフィニアは尋ねた。
「お掃除です。まずは外の掃除に行きましょう」
「うん、掃除なら出来そう。私、頑張るね」
「ええ、一緒に頑張りましょう」
「ところで、サフィニア様。数字は読めると聞いていますが、文字の読み書きは出来ますか?」
「ううん、出来ない。……死んじゃったママも出来なかったし」
俯いて、ポツリと呟くサフィニア。
「サフィニア様……」
勿論セザールはポルトスから、今日がサフィニアの母の葬儀があったことを聞かされている。
「大丈夫です。読み書きも僕が教えますので」
「本当? ありがとう!」
文字の読み書きを教えて貰えると聞いて、サフィニアの顔に笑みが浮かぶ。実は以前からサフィニアは本が読めるようになりたいと考えていたのだ。
「でも、他の人達にはそのことを言ってはいけませんよ。いいですね?」
「え? どうして?」
「それは、僕とサフィニア様の秘密だからです。仕事もしないで勉強しているのを、他の人達に知られたら怒られてしまいますから。仕事の合間にサフィニア様に読み書きを教えてあげようと考えていたので」
下級使用人は文字の読み書きが出来ない者が多い。下手に読み書きが出来ることを知られてしまえば、嫉妬の元になりかねないので周囲には伏せておくようにとポルトスから命じられていたのだ。
ただでさえ、サフィニアの出自は周囲に内緒にしているので尚更神経質になるのは当然だ。
「うん。怒られたくないから黙っているね」
サフィニアはコクリと頷く。
「お願いしますね。あ、扉がみえてきましたよ。あれが外へ続く勝手口。僕達が出入りして良い扉になります」
前方に見える扉をセザールは指さした。
その扉は、サフィニアがこの屋敷へ連れて来られた扉と違って、ずっと小さかった。
「あれ? この家に来た時と違う扉だね」
「……はい、最初にサフィニア様が入って来た入り口は特別な場所なのです。余程のことが無い限り、普段はこの扉を使うのですよ。覚えていてくださいね」
「ふ~ん、そうなんだ。覚えておくね」
サフィニアは何も知らない。
ここへ来るときはエストマン公爵家の令嬢として、連れて来られたので正面口から屋敷に入ってこれたのだ。
しかし、厄介者として東棟に追いやられたと言うことは公爵家の者と認められなかった証拠。
そうなると勝手口しか出入りを認められないのだ。
(おじい様の言う通りだ。……本当に、何て気の毒な方なのだろう……)
エストマン家から見捨てられた可哀想なサフィニアを、セザールは悲しい目で見つめるのだった——
ダークブラウンの髪に青い瞳の少年は、ぬいぐるみを抱いたサフィニアに気付いて慌てた素振りを見せた。
「あ! も、申し訳ございませんでした! お返事が無かったので勝手に部屋に入ってしまいました。どうぞお許しください。あの……貴女はサフィニア様でいらっしゃいますよね?」
少年は丁寧な言葉でサフィニアに尋ねた。
「うん、サフィニアだよ。……お兄ちゃん、誰?」
「僕の名前はセザール・モラン。見習フットマンとして、この屋敷で働いています。今回、祖父からサフィニア様のお世話係を任命されました。どうぞよろしくお願いいたします」
少年はサフィニアに笑顔を向ける。
「そふ……? そふって何?」
まだ言葉をよく知らないサフィニアは首を傾げる。
「祖父と言うのは、おじいちゃんのことです。僕の祖父はポルトス・モラン。このお屋敷で筆頭執事をしています」
「え? そうなの? ポルトスさんがおじいちゃんなの?」
ポルトス孫のと聞いて、サフィニアの目が見開かれる。
「はい。今日からサフィニア様と一緒に屋敷の仕事をさせていただきます。ついでに行儀作法や、文字の読み書きも教えるように祖父から言われています」
ポルトスはサフィニアが全く教育を受けていないことを瞬時に悟った。
そこで優秀な孫——セザールに事情を話してメイドの仕事のみならず、貴族が身につけるべき最低限な行儀作法と、まずは読み書きが出来るように指導するよう命じられていたのだ。
「お兄ちゃんがお色々教えてくれるの?」
「はい、そうです。でもまだまだ未熟物なので、至らない点が多々あると思いますが、どうか御了承下さい。まずは僕のことは『お兄ちゃん』ではなく、セザールと呼んで下さい」
「セザール?」
「はい、そうです。僕とサフィニア様の2人だけのときは、このような口調で話しますが、他の使用人達の前では話し方を変えます。その点も、どうぞお許しください」
「うん、大丈夫だよ。だってポルトスさんもそうだったから」
「そうですか、サフィニア様の御理解が早くて助かります。では行きましょうか?」
セザールがドアを開け放した。
「え? 行くって……どこへ行くの?」
「勿論、仕事に行くのです。まずはサフィニア様でも出来る仕事です」
こうして、サフィニアはセザールに連れられて部屋を後にした。
「セザール。私、どんな仕事をすればいいの?」
廊下を歩きながら、サフィニアは尋ねた。
「お掃除です。まずは外の掃除に行きましょう」
「うん、掃除なら出来そう。私、頑張るね」
「ええ、一緒に頑張りましょう」
「ところで、サフィニア様。数字は読めると聞いていますが、文字の読み書きは出来ますか?」
「ううん、出来ない。……死んじゃったママも出来なかったし」
俯いて、ポツリと呟くサフィニア。
「サフィニア様……」
勿論セザールはポルトスから、今日がサフィニアの母の葬儀があったことを聞かされている。
「大丈夫です。読み書きも僕が教えますので」
「本当? ありがとう!」
文字の読み書きを教えて貰えると聞いて、サフィニアの顔に笑みが浮かぶ。実は以前からサフィニアは本が読めるようになりたいと考えていたのだ。
「でも、他の人達にはそのことを言ってはいけませんよ。いいですね?」
「え? どうして?」
「それは、僕とサフィニア様の秘密だからです。仕事もしないで勉強しているのを、他の人達に知られたら怒られてしまいますから。仕事の合間にサフィニア様に読み書きを教えてあげようと考えていたので」
下級使用人は文字の読み書きが出来ない者が多い。下手に読み書きが出来ることを知られてしまえば、嫉妬の元になりかねないので周囲には伏せておくようにとポルトスから命じられていたのだ。
ただでさえ、サフィニアの出自は周囲に内緒にしているので尚更神経質になるのは当然だ。
「うん。怒られたくないから黙っているね」
サフィニアはコクリと頷く。
「お願いしますね。あ、扉がみえてきましたよ。あれが外へ続く勝手口。僕達が出入りして良い扉になります」
前方に見える扉をセザールは指さした。
その扉は、サフィニアがこの屋敷へ連れて来られた扉と違って、ずっと小さかった。
「あれ? この家に来た時と違う扉だね」
「……はい、最初にサフィニア様が入って来た入り口は特別な場所なのです。余程のことが無い限り、普段はこの扉を使うのですよ。覚えていてくださいね」
「ふ~ん、そうなんだ。覚えておくね」
サフィニアは何も知らない。
ここへ来るときはエストマン公爵家の令嬢として、連れて来られたので正面口から屋敷に入ってこれたのだ。
しかし、厄介者として東棟に追いやられたと言うことは公爵家の者と認められなかった証拠。
そうなると勝手口しか出入りを認められないのだ。
(おじい様の言う通りだ。……本当に、何て気の毒な方なのだろう……)
エストマン家から見捨てられた可哀想なサフィニアを、セザールは悲しい目で見つめるのだった——



