孤独な公女~私は死んだことにしてください

「うっうっ……ママ……ママ……うっうっうっ……」

 静けさの中に悲し気な子供の泣き声が響いている。

銀色の美しい髪の少女がベッドに伏した女性に縋り付いて泣いているのだ。
女性は少女の母で、今まさに死の床につこうとしていた。

「ママ……お願い、死なないで……死んではイヤ……ママが死んでしまったら、私どうしたらいいの……?」

少女の名前はサフィニア・エストマン、6歳。

エストマン公爵家の3番目の子供で、4歳年上の双子の兄と姉。さらに1歳下の弟がいる。
サフィニアは高貴な身分でありながら母親と2人で小さな離宮に追いやられて暮らしていたのだ。

何故公女でありながら、母親と離宮に追いやられているのか……それはサフィニアの母がメイドだったからである——


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 エストマン公爵は好色な男だった。
政略結婚の妻——ジョセフィーヌは侯爵家という高貴な家柄ではあったが、容姿はあまり美しくは無かった。
負美人な妻に不満を持っていたエストマン公爵は、若く美しい女性に執着する様になり……1人のメイドに目を付けた。
その人物がサフィニアの母であるローズだった。

当時まだ17歳だったローズはエストマン公爵に気に入られ、ある夜部屋に呼び出され、無理やり手籠めにされてしまった。
心に深い傷を負ったローズはメイドを辞めて、公爵邸を出たかったのだが彼女は天涯孤独の身。ここを出てしまえば行き場が無い。
やむを得ずメイドの仕事を続けることにしたのだが、味を占めてしまったエストマン公爵から、その後も何度も望まぬ関係を強いられ……ついに妊娠してしまった。

この事を公爵に告げると、彼は苦々しい顔になった。
子供の父親は自分だが、母親は一介のメイドに過ぎない。
世間の目もあることから、やむを得ず妾として迎えて公爵邸の敷地にある古びた離宮に身重のローズを1人で追いやった。

公爵から月々の手当ては貰えていたものの、見捨てられたローズ。
彼女は1人で出産した。
産まれた子供は女の子で、ローズは自分と同じ花の名前――サフィニアと名付けたのだった。

誰も頼ることが出来ないローズはサフィニアを育てる為、家事と育児に励んだ。

その結果――
産後休む間もなく無理して動いたことが原因で、ローズは身体を壊してしまった。

ローズは徐々に体が弱っていき、サフィニアが6歳の誕生日を迎えた頃。
とうとう寝たきりの状態になってしまったのだった……。


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「サフィ……ニア……」

弱々しい声でローズは我が子の名を呼ぶ。

「ママ!? 起きたの!?」

サフィニアは涙に濡れた顔を上げる。

「ベッドの……隣にある……テーブルの引き出しを開けて……中に手紙が入ってる……から……」

「うん!」

サフィニアは引き出しを開けると、白い封筒が入っていた。

「ママ、お手紙あったよ」

サフィニアは封筒を手に取り、ローズに見せると弱々しく彼女は微笑んだ。その手紙は、読み書きのできないローズが必死に文字の勉強をして書いた手紙だった。

「も、もし……ママが目を覚まさなかったら……その手紙を……お、お屋敷に届けるのよ……? 出来るわね……?」

ローズは自分がもう長くは持たないことを悟っていた。自分が死んでしまえば、まだ6歳のサフィニアは1人で生きていけないだろう。
そこで公爵にサフィニアを託す手紙を書いていたのだ。

「うん、分かったわ。お屋敷に手紙を持っていけばいいのよね?」

涙を瞳一杯にためながら、サフィニアはコクリと頷く。

「ええ……そう、よ……。あなたなら……きっと出来るから……サフィニア……愛してる……わ」

最後の力を振り絞ったローズの息が途絶えた。

「……ママ? どうしたの……?」

サフィニアはローズに声をかけるも返事はない。

「ママ、ママ……目を開けて……?」

全く呼びかけに反応しないローズの身体を揺さぶるサフィニア。

「ママ、起きてよ。ママッ! 目を開けてよ……ママ―ッ!」

サフィニアは、動かなくなったローズに縋り付いて激しく泣きじゃくった。


この日——
ローズは24歳と言う若さで、息を引き取った。

それはサフィニアが6歳の誕生日を迎えたばかりの春の出来事だった——