お断りしたはずなのに、過保護なSPに溺愛されています

橘の言葉が、病室の空気をすっと変えた。

あれほど静かだったのに、今はまるで、自分の心の奥にまで語りかけてくるような――そんな、重たくも優しい静寂が漂っていた。

紗良は、言葉を発しないまま、ただじっと橘の横顔を見つめていた。

「……信頼を、背負う者として選ばれた」

その言葉が、胸の奥で反響する。

――紗良には、痛いほどわかってしまった。
どんなに重くて、どんなに理不尽でも、“背負うしかない”立場に置かれた人間の孤独が。

父、一ノ瀬岳もそうだった。
そして彼を支え続けた、安西宗一郎もまた――
自分の命を削ってまで、国家の形を保とうとした、数少ない本物の政治家だった。

紗良は、あの日のことを思い出していた。

安西が危篤状態に陥ったという報道の後、父は珍しく一人になった。
書斎のソファに深く腰を沈め、灰皿には吸い殻がいつになく積み上がっていた。

その夜、父はただ一言――「あの人が、いなくなるとは思わなかった」と呟いた。

感情の読めない、鋼のような父が、たった一人、心を許していた存在。

それが安西宗一郎であり、そして橘は――その最期の時間を共にした、たった一人の証人だったのだ。

紗良は、自分の中で何かがほどけていくのを感じた。
ずっと疑っていた、政治の世界も、人の絆も、信じきれなかった“何か”が、今、確かに変わっていく。

そして、言葉にならないまま、そっと橘に向かってつぶやいた。

「……そんなふうに、思われていたんですね……総理に。」

橘はふっと息を吐いて、小さく頷いた。

「……ええ。でも、あれからずっと、私は“それに値する存在”でいられたのか、今も自問しています。」

「……十分、そうだと思います」

紗良はようやく視線を橘から外し、ベッドサイドの小さな窓を見上げた。

夜の帳がすっかり下りた空に、街の光がにじむ。

「でも……そんな言葉、私、一度ももらったことがなかった。信じてる、とか……選んだ理由を、ちゃんと話してもらえることなんて……」

そこまで言って、紗良は自分の声がわずかに震えているのに気づいた。

「私は、ずっと……父にも誰にも、道具みたいに扱われてるって、思ってました。」

橘は、黙って彼女の言葉を受け止めていた。

「でも、橘さんの話を聞いて、少しだけ、変われる気がしました。……誰かを信じていいんだって。」

今度は紗良が、ゆっくりと橘を見た。

「……だから、私、橘さんのこと、信じてもいいですか?」

その言葉は震えていたが、瞳はまっすぐだった。

橘は、一瞬驚いたように目を見開き、それから静かに笑った。

「はい。――ありがとうございます。」

その返事は、言葉以上の何かを確かに紗良に届けていた。
ようやく、2人のあいだに本当の“信頼”が芽吹きはじめた、そんな夜だった。