お断りしたはずなのに、過保護なSPに溺愛されています

「今日もお疲れ様でした」

日が落ちた帰り道、ビルの出入口に橘の姿が見えたとき、紗良は小さくため息をついた。

車のドアを無言で開ける手。乗り込むのを確認してから、運転席に回る所作は変わらない。

彼はいつも通りだった。ただ、無駄に距離が近くて、静かで、隙がない。それが逆に神経を削る。


車内は相変わらず静かだった。たまに鳴る無線と橘の短い応答だけが、静寂を割る。

ほどなくしてマンションのエントランスに到着すると、橘は先に降り、紗良のドアを開ける。

「このあと、交代が入ります。お伝えしていた女性SPです」

「……女性?」

頷く橘の後方から、スーツ姿の女性が足早に近づいてきた。30代後半ほどの切れ長の目が印象的な女性で、髪はきちんと後ろに束ねている。

「初めまして。警視庁警護課所属の松浦と申します。本日から夜間帯の警護を担当します。よろしくお願いいたします」

「……どうも」

紗良が軽く会釈すると、松浦は無駄な笑顔もなく、業務的に礼を返した。

「それでは、引き継ぎます」

橘が短く言い、松浦に何か確認の目配せをしたあと、紗良に向き直る。

「明朝、8時にこちらに伺います。行き先に変更があれば、早めにご連絡ください」

「……はいはい」

玄関前で橘の見送りを受けるという、妙な非日常にまだ慣れなかった。

オートロックを解除しながら、紗良は無意識に一度振り返る。

橘はマンションの外階段に視線を向け、警戒を緩めていなかった。

——別に、心配されたいわけじゃない。
でも。
「また明日」くらい、言ってもバチは当たらないのに。

喉元まで出かかった言葉を、扉の開閉音がかき消した。


翌朝も、橘は時間ぴったりにエントランスに現れた。
その姿を見て、紗良はひとつ、長い息を吐いた。

——また、同じ一日が始まる。

けれど、心のどこかで“同じ”ではなくなりつつある何かを、確かに感じていた。