橘航太は、警視庁警護課に所属して5年ほど経つ。
誰かの“日常”を守るという職務には慣れてきていた。
目立たず、干渉せず、しかし常に危険を予測して先回る。それがプロの仕事だ。
一ノ瀬紗良の警護に就いてから数日、彼女の態度は一貫して“距離”を求めるものだった。
それは当然だ、と橘は思う。
見ず知らずの他人が、突然生活に入り込んでくることに、好意を抱く者などいない。
だから、口にされる言葉よりも、目の動き、呼吸、歩き方、わずかな手の震え――
そういった「変化」こそが、彼にとって重要だった。
昼の社食、彼女が無言で半分も食べずに席を立ったとき。
橘の目は、そのわずかな“異常”を正確に拾っていた。
食べる速度、咀嚼の浅さ、箸の持ち方の変化――
興味があるわけではない。ただ、それはあくまで「情報」として記録するだけ。
(味覚が鈍っている、もしくは精神的に乱れている可能性)
警護対象の心理状態の変化は、すなわちリスクだ。
外的な危険だけでなく、内側から崩れる脆さも警護の対象である。
そして、彼女がトイレから戻ったとき。
目の下の影、湿ったまつ毛、無理に笑ったあとの僅かな表情の歪み――
橘の眼は、すべてを見逃さなかった。
(気づかれないように隠すのが上手な人だ)
だからこそ、部屋に入るとき、彼は迷わず中に同行した。
「……なぜ入ってくるの?」
問いかけは、冷たくはあったが、棘はなかった。
それもまた、観察結果のひとつ。
「お加減がすぐれないようでしたので、中で警護させていただきます」
事実だけを、静かに返す。
彼女は言い返さなかった。目を伏せて、ただデスクに座り直した。
(……警護対象。以上でも以下でもない)
そう、何度も自分に言い聞かせる。
だがふと、脳裏をよぎるのは、昼にふと目が合ったときの、あの一瞬の戸惑いだった。
(……どうでもいい表情なら、記憶には残らない)
橘は無表情のまま、視線を室内に巡らせた。
彼女の安全を守るために――それだけの理由で。
誰かの“日常”を守るという職務には慣れてきていた。
目立たず、干渉せず、しかし常に危険を予測して先回る。それがプロの仕事だ。
一ノ瀬紗良の警護に就いてから数日、彼女の態度は一貫して“距離”を求めるものだった。
それは当然だ、と橘は思う。
見ず知らずの他人が、突然生活に入り込んでくることに、好意を抱く者などいない。
だから、口にされる言葉よりも、目の動き、呼吸、歩き方、わずかな手の震え――
そういった「変化」こそが、彼にとって重要だった。
昼の社食、彼女が無言で半分も食べずに席を立ったとき。
橘の目は、そのわずかな“異常”を正確に拾っていた。
食べる速度、咀嚼の浅さ、箸の持ち方の変化――
興味があるわけではない。ただ、それはあくまで「情報」として記録するだけ。
(味覚が鈍っている、もしくは精神的に乱れている可能性)
警護対象の心理状態の変化は、すなわちリスクだ。
外的な危険だけでなく、内側から崩れる脆さも警護の対象である。
そして、彼女がトイレから戻ったとき。
目の下の影、湿ったまつ毛、無理に笑ったあとの僅かな表情の歪み――
橘の眼は、すべてを見逃さなかった。
(気づかれないように隠すのが上手な人だ)
だからこそ、部屋に入るとき、彼は迷わず中に同行した。
「……なぜ入ってくるの?」
問いかけは、冷たくはあったが、棘はなかった。
それもまた、観察結果のひとつ。
「お加減がすぐれないようでしたので、中で警護させていただきます」
事実だけを、静かに返す。
彼女は言い返さなかった。目を伏せて、ただデスクに座り直した。
(……警護対象。以上でも以下でもない)
そう、何度も自分に言い聞かせる。
だがふと、脳裏をよぎるのは、昼にふと目が合ったときの、あの一瞬の戸惑いだった。
(……どうでもいい表情なら、記憶には残らない)
橘は無表情のまま、視線を室内に巡らせた。
彼女の安全を守るために――それだけの理由で。



