帰宅したのは午後8時過ぎだった。会社を出る頃には空もすっかり暗くなり、背中には一日分の疲労がのしかかっていた。
マンションの玄関前で鍵を差し込もうとしたその時、背後から橘の低い声が響いた。
「夕食はどうされる予定ですか?」
カチリと鍵を回す手が止まる。思わず、しばらく沈黙した。
(正直、もうシャワーを浴びてすぐ眠りたい。食事なんてどうでもいい……)
「あるものを食べます」と口に出すと、間髪入れずに、
「入室してもよろしいですか」
またそれか。形式ばった“許可”のようでいて、実際には拒否の余地がない“指示”なのだと、もう何度も経験している。
紗良は無言でドアを開け、先に部屋に入った。橘も無言でその後に続く。
玄関で靴を脱ぎながら、紗良は振り返りもせず言った。
「やっぱり寝ます」
だが、その一言に、まるで機械のような速度で返ってきた。
「だめです」
「……私が眠るかどうかまで、あなたに決められる筋合いはないでしょう」
苛立ちまじりにそう言うと、橘は真っ直ぐな声で言い切った。
「あります」
その一言に、思わず彼の顔を見る。橘の表情には、微塵も冗談はなかった。
「実は、紗良さんが入院されていた時に、一ノ瀬大臣から警護課向けに通達がありました」
淡々とした語り口でありながら、そこには確かな熱があった。
「“娘の健康も必ず守れ”と。私には直々に電話がありました。医師としての活動も認めると――。正直、これまで私は、自分の医師免許が煩わしいと思うことの方が多かった。でも、あの時ばかりは……自分が医者で良かったと思いました」
目をそらさずに、彼は言い切った。
「だから、上からの指示があった以上、私の任務には“あなたの健康管理”という任務が追加されました。ご了承ください」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
“健康管理”。それが任務。命令として言い渡されたこと。
けれど、そこに込められていたのは、命令だけではなかった。
プロとしての責任と、個人としての誠意――確かに、紗良にはそう感じられた。
玄関の静けさに、時計の針の音がやけに大きく響いていた。
マンションの玄関前で鍵を差し込もうとしたその時、背後から橘の低い声が響いた。
「夕食はどうされる予定ですか?」
カチリと鍵を回す手が止まる。思わず、しばらく沈黙した。
(正直、もうシャワーを浴びてすぐ眠りたい。食事なんてどうでもいい……)
「あるものを食べます」と口に出すと、間髪入れずに、
「入室してもよろしいですか」
またそれか。形式ばった“許可”のようでいて、実際には拒否の余地がない“指示”なのだと、もう何度も経験している。
紗良は無言でドアを開け、先に部屋に入った。橘も無言でその後に続く。
玄関で靴を脱ぎながら、紗良は振り返りもせず言った。
「やっぱり寝ます」
だが、その一言に、まるで機械のような速度で返ってきた。
「だめです」
「……私が眠るかどうかまで、あなたに決められる筋合いはないでしょう」
苛立ちまじりにそう言うと、橘は真っ直ぐな声で言い切った。
「あります」
その一言に、思わず彼の顔を見る。橘の表情には、微塵も冗談はなかった。
「実は、紗良さんが入院されていた時に、一ノ瀬大臣から警護課向けに通達がありました」
淡々とした語り口でありながら、そこには確かな熱があった。
「“娘の健康も必ず守れ”と。私には直々に電話がありました。医師としての活動も認めると――。正直、これまで私は、自分の医師免許が煩わしいと思うことの方が多かった。でも、あの時ばかりは……自分が医者で良かったと思いました」
目をそらさずに、彼は言い切った。
「だから、上からの指示があった以上、私の任務には“あなたの健康管理”という任務が追加されました。ご了承ください」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
“健康管理”。それが任務。命令として言い渡されたこと。
けれど、そこに込められていたのは、命令だけではなかった。
プロとしての責任と、個人としての誠意――確かに、紗良にはそう感じられた。
玄関の静けさに、時計の針の音がやけに大きく響いていた。



