海に凪ぐ、君の名前

「居た、凪希くん!!!」

どくんと脈打つ。

声のする方へ顔を上げる。

姿を目に入れて、また、鼓動が高鳴る。

「おう」

久しぶりに会うからか、なんとなく、少し気まずい。

「『おう』じゃないよ!」

「つーか、お前よく俺のアカウントわかったな?」

「試しに“沖野凪希”で検索したら、出てきたのよ!」

「なに、怒ってんの?」

「怒ってるよ!…ねえ、何この記事!」

彼女は握りしめていたスマホを俺に突き出す。

「あーやっぱ見た?」

大きく濃く書かれていた文字を見て、記事を読まずとも察する。



『沖野リゾートCM女優・浜田想良 熱愛疑惑は江ノ島ロケ』だろ。




「お前と俺の盗撮は、父さんに頼んで、CM前の江ノ島ロケってことにした」

海から目を離さずにそう言った。

父さんに頼んだのは、スタジオ撮影でスタッフに着いた嘘を公式に発表することだった。

「ねぇ、なんで!?」

想良は足早に俺のところまで来て、声を荒らげる。

「なんでって?」

「なんでこんな事したのって聞いてるの!」

想良の声は、怒っているようなのに、どこか震えていた。

俺は少しだけ視線を落として、つま先で空を切った。

「…あの記事は、うちにも迷惑がかかるんだよ」

「え?」

想良の声が一瞬だけ止まる。

「沖野のCM出てる女優が“社長の息子と密会”とか書かれてみろよ。週刊誌で叩かれまくって、せっかくのリゾート展開の未来が危ぶまれるだろ」

海から吹く風が、想良の髪を揺らした。

「だから、CMのロケにした。仕事なら、別に変じゃない」

しばらく沈黙が落ちる。

想良はまだスマホを握ったまま、俺を見ていた。

「……それだけ?」

小さく聞こえた声。

「え?」

「それだけの理由?」

今度はさっきよりも静かな声だった。

俺は一瞬、言葉に詰まる。

本当の理由は、別にある。

でもそれは、彼女に言う必要は無い。

「…それ以外に何があんだよ」

わざと軽く言う。

想良は、じっと俺を見つめていた。

そして、ふっと息を吐く。

「…ばかなの?」

「は?」

彼女は、俺のネクタイを掴んで引き寄せた。

「嘘でしょ、それ?ねえ、これ私のためだよね!?」

「そんなわけないだろ」

「私は!凪くんになにかして欲しいだなんて思ってないよ!」

キーンと辺りに響く声。

必死な言い方に、呆気にとられる。

「もう、これで終わりにして。沖野リゾートのCMも今度からは断る。これで沖野リゾートには、何も迷惑かけないから」

「誰も望んでない、そんなこと」

「私は、もう大人なの!誰かに迷惑かけちゃだめなの、巻き込んじゃいけないの!」

「『大人大人』って!大人はそんなに偉いのかよ!俺とお前じゃそんなに違うのか?」

「…全く違うんだよ」

その言い方は、俺の言うんじゃなくて、必死に自分に言い聞かせているみたいだった。

その言い方に、黙っていられなくなる。

「大人は自立してなきゃ行けないのかよ!」

彼女の声より、低く俺の声が辺りに響く。

「人は独りじゃ生きていけないよ。そこに年齢なんて関係ない。それでも、想良が独りで立って居たいなら、その手助けさせてほしいんだ!俺はいくらでも手を貸したいんだよ!」

想良はネクタイを掴んだまま動かない。

さっきまで怒鳴っていたのに、今はただ俺を見上げている。

その目が、少しだけ潤んでいた。

「…なんで」

小さな声。

「なんでそこまでするの?」

俺は答えに詰まる。

「…俺が、そうしたいからだよ」

やっと出た言葉は、情けないくらい遠回しだった。

海風が、二人の間を静かに抜けていく。

「…凪希くん」

「ん?」

「私、誰かに助けてもらうのに慣れたら、きっと…」

想良は視線を落とす。

「…その人がいなくなったとき、立てなくなる。弱くて幼いんだよね、本当の私は。だから、嘘ついて笑うの。わざと背伸びしてお酒飲んだりしてね。その強がり辞めちゃったらもう……私の事見てくれる人なんて居なくなっちゃうよ」

胸が、ぎゅっと締めつけられた。

俺はゆっくり息を吐く。

そして、想良の手をネクタイからそっと外した。

想良が顔を上げる。

「いなくならない」

「…え?」

「少なくとも、俺は」

自分でも驚くくらい、はっきり言っていた。

「ずっと隣にいるよ」

想良の瞳が、揺れる。

しばらく、何も言わなかった。