海に凪ぐ、君の名前

沖野家は、百年以上続く温泉旅館を母体とする一族だ。

大正時代に創業され、沖野リゾートとして全国に高級旅館やリゾートホテルを展開している。

父である沖野智洋は、歴代の中で創業者に次ぐ偉大な当主と評していいだろう。

最近は海外にまでリゾート開発を始めようとしているんだとか。

そんな優秀な父の跡を継ぐ予定なのが俺だ。

だけど、俺は家を継ぐ者に相応しくない。

俺はこの地域では進学校ではある高校に通っているが、すごいと呼ばれるほどでない。こんな小さな学校ですら、成績は中の上程度。

____だから、俺じゃなくて、嵐が家を継ぐべきだとずっと思っていた。

嵐は、名を聞けば誰もが一目を置くような海外の大学に留学している。文武両道の才色兼備で、絵に書いたようなヒロインだ。

そんな彼女の背中にはいつも多くの人がついて行っていたように思う。だから、彼女こそ、沖野グループの後継者に相応しい。

___だけど、俺と嵐は血が繋がっていない。

正確には、現社長である俺の父さんと嵐は血縁でない。

代々、社長の座は沖野の人間が継いでいる。だから、嵐が継ぐことは不可能に近い。

何故、嵐と父さんの血が繋がっていないのか。

答えは、簡単だ。___母が違う。

俺の母さんは、俺が幼い頃に病死した。

父さんは「社長に妻が居ないのは世間体が悪い」とかなんとか言って即再婚をした。

そんな2人目の母に連れられてきたのが、嵐だった。

腹違いではあるが、すぐに仲良くなった気がする。母が違うだなんて、忘れるほどに。

____でも、嵐の母は違った。

嵐を沖野の血を引く俺よりも優秀に育てあげて、未来の社長に立たせようと必死だった。

嵐の母は、大量に借金をして逃げていった嵐の本当の父を恨み、金に異常な執着があった。

自分の実の娘が社長に着けば金は大量に手に入り、しかも自由に使えるだろうという安直な考えだろう。

嵐に対する期待はどんどん膨らんで行った。そして、嵐はその期待以上を結果を残していった。

極めつけだったのは、俺の中学受験が失敗して、嵐の大学受験が大成功した時だろうか。

嵐の大学が名門と決まって、俺は行きたかった有名どころに全て落ちて、結局地元の小さな進学校へ進んだ。

あの時の、嵐の母の顔は忘れられない。

きらりと野心が輝く目と紅潮した頬。顔が緩んでしまうのを我慢するような、そんな顔。

“勝ち”が確定したと思ったらしく、嵐の母は「嵐を海外に1人で行かせられない」とか適当なことを言って、海外について行った。

実際は、遊び歩いてろくに家に帰ってこないんだとか。

父さんは、俺のことも嵐のことも平等に見ている人だったけど、嵐の母の俺に対するあからさまな態度を好ましく思っていないみたいだ。

それを強く注意できないのは、俺が優秀じゃないからだ。

それでも、父さんは俺が跡継ぎになることを信じて疑わない。

俺への後継ぎとしての期待が肥大化している。父が家に帰る度に、参考書が増えていく。

父さんの背中を押す手が、邪魔で仕方ない。口を開けば、進路や将来についての会話ばかりだ。

_____ああ、いつからだろう。俺が嵐のことを「姉ちゃん」と呼ばなくなったのは。

いつからだろう。嵐の存在に自分がかき消されてしまうのではないかと、突き放すようになったのは。

嵐は何も悪くない。

これは、ただの嫉妬だ。

家に帰って来たら、社長になると決まったのかもしれないと焦る。父さんの期待を失墜させてしまったのではないかと動揺する。

俺だって、昔のように嵐と気軽に話したい。

だけど、それが許される立場にない。結果を残していない以上は。

これから、沖野グループを率いるべき男がこんなにも情けない。頑張るしか道は無いのに、なぜかそれができない。

父さんの期待が重たい。

痛い。

本当は分かってるんだ。

俺は、沖野の名を継ぐ器じゃない。