数学の講義が終わった後、速水さんが「これやるよ」と言って、小さな子猫のついたキーホルダーをくれた。子猫の背中には羽根が生えてる。
 ちっちゃいなあ。すごく可愛い。

「たまに、こういう乙女な雑貨、買うときあるんだ。自分で小遣い使うとなると、それくらい。ジュースのお礼! ありがとな」
 
 少し怒ったような口調の速水さんだけど、きっと、照れてるのかな。とわたしはプラスに解釈した。
「こっちこそ、ありがと!」

 元気よく返すと、速水さんはわたしの短い黒髪に確かに触れようとした。けど、その手を宙ぶらりんに浮かせたままかと思ったら、自分の体の方に戻して、
「何やってんのかなー。俺」
 と独り言を小さく言って。

 手早く荷物をまとめて、彼は帰っていった。
 
「朔とさ、なんか良い感じだったじゃん」
 璃奈ちゃんが人の悪そうな笑みを浮かべて、わたしに声をかけた。
 でも、わたしはどこかで何かを間違えたのではないか、と、なんとも形容できない黒い雲みたいな不安を覚えていた。

 ジュースを2本もあげて、良かったのかな。
 という「形のある」不安ではなくて。

 もっと不確かな何か。

 速水さんは、この夏中ずっと、わたしの隣で勉強してくれる? そんな保証なんて、考えてみたらないわけだし。

 兄貴とよく似て気が強そうな外見だけど、根っこが臆病なわたし。
 子猫のキーホルダーをカバンにつけて、そっと撫でながら、江ノ電に乗って家に帰った。

 お母さんが「LINE見なかったー? 葉月、惜しかったんだよ。今夜は残念会の焼肉ね!」と、帰宅したわたしにまくしたててきた。
 
「知らない!」
 わたしは不貞腐れてそう返す。 

 夕ご飯の時間まで、手伝いもせずに、自分の部屋に閉じこもっていた。