四月第一週目の水曜日、社員総会の当日。
総務部全員で手分けして会場設営をする。音響、照明、中継機器、席のエリア分け。段取りは何度も確認していたが、終わったのは、開場時刻ギリギリだった。
社員たちが会場に集まってくる。優香は、社員証チェックや飲み物配布をする受付スタッフに指示を出す。入場してくる社員をてきぱきと捌きながらも、頭の片隅ではサプライズ企画のことが気になっていた。
――うまくいくかな……
緊張で、手のひらがじんわりと汗ばんでいる。
本番が始まった。
社長による前年度業績の報告、今年度の企業方針発表、各部門長によるプレゼンテーション――
順調に進んでいくが、優香には一つ一つの言葉が頭に入ってこない。
控室からは、AXIONのメンバーたちが待機しているという連絡も入った。
やがて、昨年度、功績の大きかった社員やチームに対する表彰式も終わり、会場にふっと柔らかい空気が流れる。
司会がマイクを持ち直し、笑顔を浮かべた。
「さて、ここで――昨年度の好業績に貢献していただいた社員の皆さんへのサプライズプレゼントです!」
会場の照明が落とされる。
ざわめきが広がる中、スポットライトが舞台中央に当たる。
「それでは、スペシャルゲスト、AXIONの皆さんです」
司会の紹介があり、軽快な音楽に乗ってAXIONの五人がステージの中央に歩み出た。
会場が一斉に沸き立つ。拍手と歓声の中、メンバーたちは手を振った。
「今日は、お招きいただき、ありがとうございます」
リーダーでボーカル担当の大橋光輝がマイクを持ち、一礼した。
司会が、軽く流れを作る。
「『ビタースプラッシュ』のイメージキャラクターに選ばれたときの感想をお聞かせください」
「ほろ苦さが売りのお酒なので、僕たちも“大人の男”のイメージでってことなのかな?と。
――まあ僕らも、そろそろ“若手”って言えなくなってきましたし」
光輝が冗談めかして言うと、会場に笑いが起きた。
すかさず、パフォーマーリーダーの御子柴和希がマイクを引き継ぐ。
「僕は、まだまだ“苦味の似合う大人”にはなれてないですけど......選んでもらえて、本当に光栄です」
少し照れくさそうに肩をすくめる和希に会場から柔らかい笑いと拍手が起きた。
「では、CM撮影についての裏話など、お話しいただきます」
司会がバトンを渡すと、メンバーたちは視線を交わして、エピソードを話し始めた。
「本編は美味しそうに飲んでるけど、最初のテイクでは顔がすごいことになってて。苦くて美味いって顔、難しいなって」
「撮影終わった後、光輝が一人で三本くらいのんでたよな」
「えっ、それ僕じゃないし」
『ビタースプラッシュ』を実際に飲んだ感想、撮影中缶を倒してNGになった話、本編で使われなかったアドリブシーン、控え室でのイタズラ合戦......
ふざけ合いながらも、息の合ったトークが続き、会場は笑いに包まれた。
――よかった、本当に……
優香は深く息を吐いた。
サプライズ企画が無事に終わり、AXIONは控室へと戻っていった。
宇田川部長に呼ばれ、優香も裏へ向かう。
「今日は本当に、ありがとうございました!」
控室の前で、部長と一緒にAXIONメンバーに頭を下げた。
メンバーたちは気さくに応じ、スタッフたちも笑顔だった。
そんな中、優香はふと、ある視線に気づいた。
御子柴和希が、じっとこちらを見ていた。
少し興味深そうに、しかしどこか親しみを込めた目で。
「あの……」
優香が声をかけようとした瞬間、和希の方が先に口を開いた。
「それ、ミュシャだよね?」
彼の指先が、優香の手元――スマホケースを指していた。
「あ……はい。展覧会で買ったんです。でも、これがミュシャだって気づくなんて……」
驚きに声を詰まらせる。
スマホケースに描かれているのは、日本では、あまり有名ではないミュシャ作品――《スラヴ叙事詩》の一場面だった。
これを知っている人は、美術にかなり詳しいはず。
和希はにっと笑った。
「俺も、あの展覧会行ったよ。
ミュシャ、ポスターや装飾パネルだけじゃなくて、スケールの大きい油絵も、すごい好きでさ」
「……私も、すごく感動しました」
思わず、明るい声で返す。
まさか、こんな形で話が弾むなんて思わなかった。
和希は、誰にでも気さくに接しているだけかもしれない。
それでも、優香の心には、そのときの和希の笑顔が、静かに刻み込まれていた。
総務部全員で手分けして会場設営をする。音響、照明、中継機器、席のエリア分け。段取りは何度も確認していたが、終わったのは、開場時刻ギリギリだった。
社員たちが会場に集まってくる。優香は、社員証チェックや飲み物配布をする受付スタッフに指示を出す。入場してくる社員をてきぱきと捌きながらも、頭の片隅ではサプライズ企画のことが気になっていた。
――うまくいくかな……
緊張で、手のひらがじんわりと汗ばんでいる。
本番が始まった。
社長による前年度業績の報告、今年度の企業方針発表、各部門長によるプレゼンテーション――
順調に進んでいくが、優香には一つ一つの言葉が頭に入ってこない。
控室からは、AXIONのメンバーたちが待機しているという連絡も入った。
やがて、昨年度、功績の大きかった社員やチームに対する表彰式も終わり、会場にふっと柔らかい空気が流れる。
司会がマイクを持ち直し、笑顔を浮かべた。
「さて、ここで――昨年度の好業績に貢献していただいた社員の皆さんへのサプライズプレゼントです!」
会場の照明が落とされる。
ざわめきが広がる中、スポットライトが舞台中央に当たる。
「それでは、スペシャルゲスト、AXIONの皆さんです」
司会の紹介があり、軽快な音楽に乗ってAXIONの五人がステージの中央に歩み出た。
会場が一斉に沸き立つ。拍手と歓声の中、メンバーたちは手を振った。
「今日は、お招きいただき、ありがとうございます」
リーダーでボーカル担当の大橋光輝がマイクを持ち、一礼した。
司会が、軽く流れを作る。
「『ビタースプラッシュ』のイメージキャラクターに選ばれたときの感想をお聞かせください」
「ほろ苦さが売りのお酒なので、僕たちも“大人の男”のイメージでってことなのかな?と。
――まあ僕らも、そろそろ“若手”って言えなくなってきましたし」
光輝が冗談めかして言うと、会場に笑いが起きた。
すかさず、パフォーマーリーダーの御子柴和希がマイクを引き継ぐ。
「僕は、まだまだ“苦味の似合う大人”にはなれてないですけど......選んでもらえて、本当に光栄です」
少し照れくさそうに肩をすくめる和希に会場から柔らかい笑いと拍手が起きた。
「では、CM撮影についての裏話など、お話しいただきます」
司会がバトンを渡すと、メンバーたちは視線を交わして、エピソードを話し始めた。
「本編は美味しそうに飲んでるけど、最初のテイクでは顔がすごいことになってて。苦くて美味いって顔、難しいなって」
「撮影終わった後、光輝が一人で三本くらいのんでたよな」
「えっ、それ僕じゃないし」
『ビタースプラッシュ』を実際に飲んだ感想、撮影中缶を倒してNGになった話、本編で使われなかったアドリブシーン、控え室でのイタズラ合戦......
ふざけ合いながらも、息の合ったトークが続き、会場は笑いに包まれた。
――よかった、本当に……
優香は深く息を吐いた。
サプライズ企画が無事に終わり、AXIONは控室へと戻っていった。
宇田川部長に呼ばれ、優香も裏へ向かう。
「今日は本当に、ありがとうございました!」
控室の前で、部長と一緒にAXIONメンバーに頭を下げた。
メンバーたちは気さくに応じ、スタッフたちも笑顔だった。
そんな中、優香はふと、ある視線に気づいた。
御子柴和希が、じっとこちらを見ていた。
少し興味深そうに、しかしどこか親しみを込めた目で。
「あの……」
優香が声をかけようとした瞬間、和希の方が先に口を開いた。
「それ、ミュシャだよね?」
彼の指先が、優香の手元――スマホケースを指していた。
「あ……はい。展覧会で買ったんです。でも、これがミュシャだって気づくなんて……」
驚きに声を詰まらせる。
スマホケースに描かれているのは、日本では、あまり有名ではないミュシャ作品――《スラヴ叙事詩》の一場面だった。
これを知っている人は、美術にかなり詳しいはず。
和希はにっと笑った。
「俺も、あの展覧会行ったよ。
ミュシャ、ポスターや装飾パネルだけじゃなくて、スケールの大きい油絵も、すごい好きでさ」
「……私も、すごく感動しました」
思わず、明るい声で返す。
まさか、こんな形で話が弾むなんて思わなかった。
和希は、誰にでも気さくに接しているだけかもしれない。
それでも、優香の心には、そのときの和希の笑顔が、静かに刻み込まれていた。



