数日後――
春の風が心地よく吹き抜ける山間の温泉地。
夕暮れの空はやわらかな朱に染まり、静かな湯けむりが旅館の屋根の向こうに立ちのぼっていた。
老舗の温泉旅館。
静けさと、少しの贅沢を感じさせる和の空間。
広めの部屋には座卓が置かれ、季節の食材をふんだんに使った彩り豊かな夕食が並んでいる。
「すごい……本当に全部美味しそう……!」
美香奈は目を輝かせて、一品一品を丁寧に見つめた。
お造り、煮物、天ぷら、炊き込みご飯に、湯葉とろとろの茶碗蒸し――どれも手が込んでいて、見ているだけで心が満たされる。
「……ふふ、よかった」
対面に座る涼介は、いつもの無表情ながらも、どこか安心したような声を漏らす。
この旅行を提案したのは、涼介だった。
きっかけは、数日前の“あの膝枕の午後”。
甘やかされて、撫でられて、キスまでされて――
内心、ぐらぐらにとろけた彼が、無言で思ったこと。
(……俺も、ちゃんと返さなきゃ)
それから涼介は、休暇の申請を強引に通し、普段休みたがらない美香奈にも「強制的に」休みを取らせた。
「最近、疲れてたろ。……ここで、ちゃんと休め」
そう言って旅館のパンフレットを差し出したときの、あの不器用な優しさ。
美香奈は思い出すたびに、胸があたたかくなる。
「うん……ありがとう、ほんと、うれしい」
「……甘やかされた借り、返してるだけ」
ぶっきらぼうにそう言いながら、涼介はお猪口に冷酒を注ぎ、美香奈の分にも静かに手を伸ばす。
「じゃあ……今日は、乾杯しようか」
美香奈はお猪口を受け取り、涼介の目を見つめる。
「うん。おつかれさま、私たち」
「おつかれさま」
静かな音を立てて、お猪口が触れ合った。
そのあと、ふたりは並んで食事をとりながら、いつもよりも少し饒舌に――
他愛のないことを話しながら、ゆるやかな時間を味わっていた。
ふと、美香奈が箸を止めて涼介の顔を覗き込む。
「ねえ、涼介くん」
「ん?」
「こうして旅行に連れてきてくれるの、すっごく嬉しいんだけど……なんか、照れないの?」
涼介は一瞬だけ目を伏せ、視線を逸らした。
「……照れてない」
でもその耳は、ほんのり赤い。
美香奈はその変化を見逃さず、にこっと笑う。
「ふふ……やっぱり、ちょっと照れてるでしょ」
涼介は返事もせず、ただ黙って茶碗蒸しを口に運ぶ。
(あー、可愛い)
美香奈はお猪口を口に運びながら、涼介のそんな一面を、心の奥でじんわり味わっていた。
この“涼介だけが見せてくれる”特別な時間――
その甘さは、温泉よりも深く、心までとろけるような心地よさを与えていた。
春の風が心地よく吹き抜ける山間の温泉地。
夕暮れの空はやわらかな朱に染まり、静かな湯けむりが旅館の屋根の向こうに立ちのぼっていた。
老舗の温泉旅館。
静けさと、少しの贅沢を感じさせる和の空間。
広めの部屋には座卓が置かれ、季節の食材をふんだんに使った彩り豊かな夕食が並んでいる。
「すごい……本当に全部美味しそう……!」
美香奈は目を輝かせて、一品一品を丁寧に見つめた。
お造り、煮物、天ぷら、炊き込みご飯に、湯葉とろとろの茶碗蒸し――どれも手が込んでいて、見ているだけで心が満たされる。
「……ふふ、よかった」
対面に座る涼介は、いつもの無表情ながらも、どこか安心したような声を漏らす。
この旅行を提案したのは、涼介だった。
きっかけは、数日前の“あの膝枕の午後”。
甘やかされて、撫でられて、キスまでされて――
内心、ぐらぐらにとろけた彼が、無言で思ったこと。
(……俺も、ちゃんと返さなきゃ)
それから涼介は、休暇の申請を強引に通し、普段休みたがらない美香奈にも「強制的に」休みを取らせた。
「最近、疲れてたろ。……ここで、ちゃんと休め」
そう言って旅館のパンフレットを差し出したときの、あの不器用な優しさ。
美香奈は思い出すたびに、胸があたたかくなる。
「うん……ありがとう、ほんと、うれしい」
「……甘やかされた借り、返してるだけ」
ぶっきらぼうにそう言いながら、涼介はお猪口に冷酒を注ぎ、美香奈の分にも静かに手を伸ばす。
「じゃあ……今日は、乾杯しようか」
美香奈はお猪口を受け取り、涼介の目を見つめる。
「うん。おつかれさま、私たち」
「おつかれさま」
静かな音を立てて、お猪口が触れ合った。
そのあと、ふたりは並んで食事をとりながら、いつもよりも少し饒舌に――
他愛のないことを話しながら、ゆるやかな時間を味わっていた。
ふと、美香奈が箸を止めて涼介の顔を覗き込む。
「ねえ、涼介くん」
「ん?」
「こうして旅行に連れてきてくれるの、すっごく嬉しいんだけど……なんか、照れないの?」
涼介は一瞬だけ目を伏せ、視線を逸らした。
「……照れてない」
でもその耳は、ほんのり赤い。
美香奈はその変化を見逃さず、にこっと笑う。
「ふふ……やっぱり、ちょっと照れてるでしょ」
涼介は返事もせず、ただ黙って茶碗蒸しを口に運ぶ。
(あー、可愛い)
美香奈はお猪口を口に運びながら、涼介のそんな一面を、心の奥でじんわり味わっていた。
この“涼介だけが見せてくれる”特別な時間――
その甘さは、温泉よりも深く、心までとろけるような心地よさを与えていた。



