いつもの時間。
いつもの庭。

でも、そこに“彼”の姿は、もうない。
舞花は、マグカップを両手で包み込みながら、
ベンチにそっと座っていた。
カップの底が、ぬるくなっていく。
何かを待っているのか、
何も考えたくないのか、
自分でもよく分からなかった。

「……言ってくれればよかったのに」

ぽつりとつぶやいても、風は何も返してこない。

(勝手に、離れていって)
(勝手に、終わったみたいな顔しないでよ……)

心がうまくついてこない。
悲しいのか、怒ってるのか、
それとも、ただ寂しいだけなのか。
どの気持ちも“正解”にできないまま、
庭の空気だけが、時間を刻んでいく。
会いたい。
声が聞きたい。

(……なんで、連絡先、聞かなかったんだろ)

ぎゅっとマグを握る指に、自然と力が入る。

(聞こうと思えば、何度でもチャンスはあったのに)

(この庭にいれば、きっとまた会えるって……
そう思って、甘えてた)

(椎名さんから、立場上そんなこと、聞けるわけないってわかってたのに)

──気づけば、戻れないところまで来ていた。
“いつでも会える”と思っていた時間は、
実は“奇跡みたいな日々”だったのかもしれない。

その日の夜──
スマホの通話アイコンが光る。

「はいはーい、舞花ちゃんご登場。
おひとり様限定、凹みモード突入ですか〜?」

「……いじらないで」

「いやいやいや。
あなた、庭に幽霊でも見たのかってくらい目が死んでたから」

舞花は、はぁ、とため息をついた。
画面の向こうでは、美羽が
アイスを片手にこっちをガン見している。

「連絡、来ないの?」

「……うん」

「それで、“待つしかない”って言ってる時点で、
もう、恋じゃん?」

「……なにそれ」

「だってさ、好きって、そういうことでしょ。
“何かしてほしい”より、“自分がどうしたいか”でしょ」

「舞花が椎名さんのこと、
“忘れたい”って思ってるなら、もうとっくに忘れてる」

舞花は、口を閉じた。
図星だった。

「でも、“忘れられない”ってことは──
舞花自身が、あの人をまだ信じてるってことじゃない?」

「好きになったこと、なかったことにできないってことじゃない?」

その言葉が、静かに胸に落ちた。

「……うん。たぶん、そう」

「だったら、何かしよう。動こうよ」

「向こうが動けないなら、
こっちが一歩踏み出すって、ありじゃん?」

画面の美羽は、
真面目なトーンで、でもどこか嬉しそうに笑っていた。

「……私、何かしたい。
このまま、待ってるだけの人にはなりたくない」

口に出してみると、
その言葉が、自分の中に芯を通した気がした。

風が揺れた。
ベンチのすぐそばで、小さな葉が揺れていた。

その場所に、
まだ気づかれていない“何か”があることも知らずに──
舞花は、そっと夜空を見上げた。