夕方の庭に、金色の光が差し込む。
花のあいだから吹き抜ける風が、
どこかやさしく感じたのは、たぶん気のせいじゃない。
ベンチに腰掛けた舞花は、
奥から歩いてくる作業服姿を見て、そっと笑った。

「来てくれて、ありがとう」

「……俺の方が、来たかった気がします」

言葉を交わしても、すぐには見つめ合えないふたり。
でも、そこに流れる空気は、たしかにあたたかい。
その時だった。

「……えっ?」

舞花がふと空を見上げると、ぽつり、と。
ひと粒、大きな雫が額に落ちた。

「……雨?」

そう思った矢先、空が一気に暗くなり、
まるで合図をしたかのように、勢いよく雨が降り出した。

「わ、うそ、土砂降りじゃん!」

「こっちへ」

悠人が舞花の手を引いて、すぐ近くの大きな木の下へ駆け込む。
庭には家に戻るよりも近くに大きなきが立っていた。
枝葉が幾重にも広がるその木は、ちょっとした屋根のようだった。

「ここなら、少しは……」

そう言って、肩に落ちた雫を軽く払いながら、悠人が静かに言った。

「この降り方なら、10分もかからず止むと思います」

「……ほんと?」

「経験上、たぶん」

ふたりは木の下で並んで立つ。
すぐ横では雨が滝のように降り注いでいて、外へ一歩でも出ればずぶ濡れ確定だった。

「……じゃあ、ちょっとの間だけ、ここで雨宿り」

「はい」

手も触れず、肩も触れず。
でも、音を立てる雨の中で、ふたりの距離は不思議と近く感じた。

──この雨、止まないといいのに。

舞花は、ふとそんなことを思っていた。
理由なんて、言わなくてもわかっていた。
家に戻れば、お嬢様に戻らなくてはいけない。

家と庭の目に見えない境界線。

母の顔が頭に浮かぶ。

でも、この雨の下では、世界にふたりだけ。

そんな風に思えた。
横顔をちらりと盗み見ると、悠人もちょうど空を見上げていた。

──このまま、もう少しだけ。

悠人もまた、心の中でそっと願っていた。
“雨が止まなければ、この時間が延びる”──

そんな、どうしようもなく子供じみた願いが、本気で胸を締めつけていた。
やがてふたりは、雨音に包まれながら、ほんの少しだけ笑い合った。

止まない雨を、
止まなければいいと願いながら──
 
言葉を交わしても、すぐには見つめ合えないふたり。
でも、そこに流れる空気は、たしかにあたたかい。
 
舞花は小さく息を吸い、悠人に伝える。
 
「ちゃんと話したよ。お母さんと」

「……そうですか」

「簡単じゃないって言われた。
でも──それでも、好きだって言ったの。ちゃんと」
 
「だから、私、大丈夫。
時間がかかっても、認めてもらう。
それが私の家なら、私がちゃんと向き合う」
 
悠人の目が、揺れる。
 
「だから……あなたも、信じて」
 
そう言って、舞花がやわらかく笑った瞬間。
悠人の手が、そっと伸びた。
 
「──俺も、強くなろうと思います」
 
静かに、でもはっきりと、言葉が落ちる。

「誰にも、“ふさわしくない”なんて言わせたくない。
そんなことで、あなたの気持ちまで疑われたくないから」
 
「ちゃんと、自分の足で立てるように、俺も努力します」
 
「だから……」

舞花の肩に添えられた手が、そっと頬に触れて。
ふたりの距離がふわりと近づいた。

唇が重なる瞬間、
まるで世界が音を失ったように静かだった。

優しくて、あたたかくて、
でも確かに、すべてが伝わるキスだった。
 
「すみません。……でも、もう気持ち隠すことできないです」

悠人は、そう言ってぎゅっと舞花を抱きしめた。
その腕は、やさしくて、とてもあたたかかった。
舞花は驚きながらも、ゆっくりその胸に顔を預けた。
 
胸の鼓動が、近い。
でも、怖くない。落ち着く。
 
「……来年も、その先も、ちゃんと一緒に笑いたいです」
 
その声は低くて、誠実で、
心の奥までまっすぐ響いた。
 
──この手を、絶対に離さない。
舞花もまた、心の中で静かにそう誓った。
 
──でも。
幸せな空気のすぐそばで、
それを崩そうとする“何か”が、すでに動き始めていた。