あの日の雨が、うそのように止んだ翌朝。
晴れた空の下。
舞花の心も、少しだけ晴れていた。
 
“好き”って言った。
ちゃんと自分の言葉で、伝えた。
それだけで、世界が少し変わって見える。
 
そして今──
ふたりは、約束していたように庭で会っていた。
 
「……あの、昨日は、すみませんでした」

「え?」

「“返事はいらない”って言われたのに、ちゃんと返せなくて」

「ううん、いいの。そういう悠人さんだから、言えたんだと思う」
 
ふたりの間に流れる空気は、
昨日までとは明らかに違った。
でも、どちらもそれを指摘することはしなかった。
 
「……ていうか」

舞花がふと笑って言う。

「“ありがとうございます”とかじゃなくて、“ずるい”って返す人、初めてなんだけど」
 
「そういう返ししか、知らないんです」

「謙遜の方向、間違ってない?」

「……でも、本当はすごく嬉しかったです」
 
その言葉に、舞花の心が跳ねた。
(やばい。笑わない人の、ちょっとした変化、反則すぎる)
 
「ねえ、“好きです”ってもう一回言ったら、
また“ずるい”って返してくる?」
 
「たぶん、“もっとずるい”って言います」
 
「うわ、最上級……」

「でも、たぶんそのあとは……“俺も、です”って言うかもしれません」
 
「……それ、反則……」

ほんの少し、涙がにじみそうになった。
嬉しすぎて、
笑いながら泣きそうになるなんて。
こんな感情、初めてだった。
 
──でも。
そのやわらかな空気を、
やさしく、でも確実に裂くように。

「舞花」

背後から、声がした。
振り返ると、母が庭の入り口に立っていた。
 
「ちょっと、お話しできるかしら?」
 
さっきまであたたかかった空気が、
風のようにすっと抜けていく。
 
舞花は、悠人をちらりと見てから、
うなずいた。

「……うん。すぐ行く」
 
そして、母とふたり、静かに廊下へと戻る。
その背中に、
悠人の視線がしばらく注がれていた。
 
──やっと近づけたのに。
そんな言葉が、
悠人の胸の奥で、また静かに揺れた。