椎名は軍手をはめた手で、隣に立つ茜の帽子にふと手を伸ばした。
風でずれたつばを、何気ない仕草で直す。

「今日も暑いですね、椎名さん」

「……ですね」

「わ、帽子ずれた……風、強いですね」

「……あ、すみません。ちょっと……」

椎名は短くそう言って、茜のキャップのつばを指で軽く整える。
そのまま自然に手を引いて、「これで大丈夫です」と一言だけ添えた。

──それを、彼女が見てたなんて知らなかった。

舞花さんが。

庭に出てきて、何も言わずに戻ったあの一瞬。

気づいたのは、視線がふっと消えた後だった。

(……いたのか)

その瞬間、
なぜか、胸の奥に、少しだけ冷たい風が通った気がした。

舞花さんがいると、
自然に会話できない。

冗談も、笑顔も、
タイミングを外しそうで、うまく出てこない。

仕事だから。庭仕事の間柄だから。

そう思おうとしていたけど、そうじゃない。
茜さんとは、ふつうに話せる。

気を張らない相手だから。
どう思われても、たぶん、平気だから。
でも舞花さんだけは、違う。

「いつも座ってるんですけど」
「高橋さんは……?」
「雑草のせいなの!?私、雑草に負けたの!?」

どの言葉も、どの表情も、今でも思い出せる。

無愛想だと思われても、構わない。

でも、
……本当は、構ってほしい。

どうでもいい人には、笑える。

でも、ちゃんと好きな人には、笑うのが怖い。

それがバレたら、
この距離が崩れてしまう気がして。

今日も、剪定バサミを握る手が、
ほんの少しだけ、ぎこちなかった。

「私、あなたの“剪定する木のひとつ”みたいな存在なんですか?」

あんなこと言わせてしまった。
そんな自分が嫌になる。

──笑えないのは、君が特別だから。

その気持ちを伝えるには、
まだ、自分はずっと不器用すぎる。