金曜の夜。
都内の老舗ホテルで、有栖川家が主催・協賛する文化振興財団の定例晩餐会が開かれていた。
 
数百年の歴史を持つ有栖川家は、
古くから伝統工芸や庭園文化など、日本の美を守る文化事業に深く関わっており、
現在は舞花の父がその財団の理事長を務めている。
 
この晩餐会も、財団が年に一度主催する“格式高い文化交流の夜”。
舞花にとっては物心ついた頃から参加している、いわば“家業の顔出し行事”だった。

そこに集う人々は、政財界から芸術関係者までさまざま。
 
「舞花、挨拶まわり、あと5分だけ頑張って」

「母の“5分”って、信じたらダメなやつでしょ……」
 
控えめに笑いながらも、舞花の姿はひときわ目を引いていた。
 
淡いベージュのロングワンピース、
落ち着いたツヤのあるハーフアップ、
耳元でゆれるパールのイヤリング──
すべてが“育ちのよさ”を物語るように、そこに馴染んでいる。
 
──でも、それが“特別”だと思ったことはない。
舞花にとってこれは、いつもの“お嬢様役”の日。


 
大理石のエントランス、シャンデリアの光。
グラスを手にした人々の笑い声が、柔らかく響いている。

 
──その姿を、
庭の隅で黙々と作業していた悠人は、ふと目で追ってしまっていた。
 
シルバーのカトラリーが並ぶテーブル脇に、
フラワーアレンジメントと庭のライトアップが並ぶ今回の会場。
 
悠人は、その装飾のメンテナンスと管理のために、このホテルの外注として来ていた。
庭師の服にベストを羽織った作業着姿で、人々の間を邪魔にならないように動く。
 
──見なきゃいいのに、見てしまった。
 
グラスを持って微笑む舞花は、
この場所の光に自然となじんでいた。
 
(……やっぱり、住む世界が違う)
 
いつも庭で見る舞花は、素っぽくて、冗談を飛ばして、ラフで。
でも今、彼女は“有栖川家のお嬢様”だった。
言葉にしなくてもわかる。
周りの人の目が、彼女をどう扱っているか。
その中心に自然と立つ立場にいるということ。
 
──自分は、土をさわってる人間だ。
この先も、それは変わらない。
 
「……椎名さん?」
 
声がして、はっと顔を上げる。
 
振り返ると、舞花が驚いたようにこちらを見ていた。
口元にグラスを持ちながら、目だけがまっすぐ、悠人を見ている。
 
「今日、お仕事だったんですか?」

「はい。たまたま……こちらの植栽を」

「そうだったんですね……なんか、こういう場所で会うの、ちょっと新鮮かも」
 
笑って言う舞花は、いつもと同じだった。
ドレスを着ていても、距離をとらず、当たり前のように話しかけてくる。
 
「じゃああとで、庭のライトアップ、見に行ってもいいですか?」

「……ご自由にどうぞ」
 
そう答えて、作業に戻ったふりをする。
 
(……見に来ないほうが、助かるのに)
 
そう思ったのに、心のどこかが、じんわりと熱くなった。
 
さっきまで、
ヒールの音も、グラスを傾ける仕草も、
あの光のなかに自然に溶け込んでいた舞花は──
 
“自分の庭の世界”にはいない人のはずだった。
 
わかっていたことなのに、
それをこうして目の当たりにしてしまうと、
余計にその差が、まっすぐ胸に刺さってくる。
 
けれど。
 
「じゃあ、あとで見に行きますね」
 
笑って手を振って去っていった舞花の背中を、
悠人は、もう一度だけ見た。
 
遠ざかるその人は、
“違う世界の人”に見えたのに──
 
……なぜか、あのときよりも近く感じた。