リモートワークの合間、気づけばもう夕方4時を回っていた。
舞花はいつものマグに紅茶を注いで庭に出た。
風はまだ少し冷たいけど、
アナベルの白が光をまとって、ふわりと揺れていた。
──庭の癒し力、今日も安定。
 
ベンチに腰を下ろして、ひと息ついたそのとき。
 
「……こんばんは」
 
声のほうを振り向くと、木陰で剪定していた悠人が視線をこちらに向けていた。
 
「こんにちは、ですよ。まだ日、暮れてないです」

「……すみません、切り替えが早い方ではないので」
 
「それ初耳。じゃあ普段も“おはようございます”って夕方まで言ってるタイプ?」

「さすがに午後には直します」
 
相変わらずのトーンだけど、
この人にしては、珍しくちゃんと会話のキャッチボールが続いてる気がした。
 
「アナベル、元気ですね」

「ええ。剪定後、日当たりも風通しもいいので」

「ふふ、椎名さんの腕ですね」

「いえ、舞花さんが見てくれてるからです」

「えっ」
 
マグを持つ手が、ぴたりと止まる。
 
今、名前、言った?
しかも、普通に呼んだよね?
え、どういうこと? っていうか、
その言い方、ちょっとやさしすぎじゃない?
 
「……それ、わたしじゃなくても咲きますよ」
 
「でも、“咲いたことを見てくれる人”がいると、植物って違います」
 
その瞬間だけ、悠人の目がふっとやわらかくなった気がした。
じっとこちらを見て、花のことなのか、誰かのことなのか──少しだけ、迷うような目。
 
(……ちょっと、なにそれ。やめて)
 
心臓がきゅっと鳴る気がして、
舞花は反射的にストローをぐいっとくわえる。
 
「……ちょっと今の、名言っぽく見せかけた雑草のトゲ並みに刺さったんですけど」 

「もしそうなら、うまく刺さってるみたいですね。
雑草も、刺さるのは不意打ちですから」

「ちょっと!なんか今日、返しキレが良すぎて腹立つんですけど!」

「……失礼しました」

「棒読み!」
 
わたしの動揺をまるっと受け流すこの余裕さ。
この人、ほんとにずるい。
 
でも、
そのあとふと視線を外して、さりげなく作業に戻るその背中が、
 
ほんの少し、優しかった。
 
***
 
──舞花さんがいると、
なんでこんなに、庭が落ち着かないんだろう。
 
剪定バサミを持つ手を見つめながら、
悠人は誰にも聞こえない小さな溜息をひとつ、ついた。
 
風が揺らした花の音と、
マグのカップのかすかな当たる音だけが、静かに響いていた。