朝からリモート会議やトラブルの対応に追われ、
夜になってようやく仕事を終えた舞花は、レンジで温めたカフェラテを手に、庭へ出た。
 
──やっと終わった……。目、限界。
 
Tシャツにくたくたのパーカー、洗濯を繰り返したスウェットパンツ。
誰に見せるわけでもない、完璧な“部屋モード”。
 
「……もう今日は、完全に庭でぼーっとするって決めた」
 
小さく独りごちてベンチに腰を下ろすと、
空気の中に、どこか“人の気配”が混ざっていた。
 
──やば。悠人さんもう帰ったんじゃ……?
 
気づいたときにはもう遅い。
 
「こんばんは」
 
低くて落ち着いた声がすぐそばから届いて、舞花は反射的に立ち上がりそうになるのを、なんとか堪えた。
 
「……っ、わっ、こんばんは」
 
顔を上げると、作業を終えて片付け中らしい悠人が、
ふと視線を向けてきていた。
 
(終わってるなら帰っててよー!じゃなくて、私が油断しすぎなのか……!!)
 
「お仕事、お疲れさまでした」

「あっ、はい……椎名さんも、お疲れさまです……」
 
(無理。今日のこの格好、無理。わたし史上いちばん見られたくない)
 
なのに悠人は特に驚いた様子もなく、淡々とホースを巻いている。
 
──え、なんでそんな無反応? 逆に気になる。
 
「あの……今日、在宅だったんで……この……」
 
指先でパーカーの袖口をつまんで言い訳してみる。
 
「……その感じ、くつろいでますね」
 
「えっ」
 
「お嬢様は、いつもちゃんとしてるから、ちょっと新鮮です」
 
「……え、それ、バカにしてます?」
 
「してません。
ただ、“誰か来るかもしれない”っていう警戒がゼロなんだなって」
 
「わー、めっちゃ刺すじゃん……!ほんとに椎名さんってさ、言い方のトゲがプロレベルですよね!」
 
「そういうお仕事ではないですけど」
 
まじめに返さないでほしい。その天然クール、たまに地味にキツい。
 
「……今日のことは、忘れてください」

「努力します」

「努力しないで。もう記憶から削除しておいて」
 
そう言って背中を向けた舞花の耳に、
 
「でも、似合ってましたよ」
 
ぽつりと、そんな声が届いた。
 
振り返る勇気は出なかった。
 
マグを両手でぎゅっと持ちながら、
しばらく、庭の空気がじんわり熱を帯びている気がした。
 
(……なに今の。なんなの今の)
 
この人、ずるい。
笑わないくせに、不意打ちだけはする。
 
ただの部屋着だったはずなのに、
今日はちょっと、捨てられない気がしている。