今日は平日の昼間なのに悠人は作業に来ていなかった。

それだけのこと。
いつもどおり咲いているアナベル。
変わらない風のにおい。
なのに、どこか色が薄い。
 
ベンチに座って、コーヒーをひと口。
庭はきれいなのに、なんとなく落ち着かない。
目が、無意識に探してる。

──その人の姿を。

(なんでいないんだろう、って思ってる時点で)
(もう私、だいぶ好きなんじゃないの、これ)
自分に問いかけても、答えは出ない。
だけど、代わりに気づく。
 
“あの人がいないと、この庭、ちょっとだけ、つまらない”
 
いつもなら聞こえる剪定バサミの音も、
控えめな足音も、今日はない。
(……こういう日が、増えていくのかな)
 
そのまま時間が過ぎて──
日も傾き始めた頃。
 
「……あれ?」

門の方から誰かの気配がして、顔を上げた。
作業着。黒い帽子。
そのまっすぐな背筋。
 
「椎名さん……!」

舞花が思わず立ち上がると、
悠人は少し驚いたように目を見開き、帽子を軽く取った。

「すみません。今日は別の現場で……帰りがけに、近くを通ったので」
 
「……会えると思ってなかったから、びっくりしました」

自分でも、少しだけ声が上ずったのが分かる。
 
悠人はほんの少しだけ表情を緩めた。

「……庭、気にされてるかなと思って」

「……気にしてました」

視線が重なる。
さっきまで寂しさで曇っていた景色が、一瞬であたたかくなった。
 
「アナベル、元気そうですね」

悠人がそう言って、花に目を向ける。
舞花は隣に並んで、花越しに彼の横顔を見た。

「……はい。椎名さんがいない間も、ちゃんと咲いてました」

「それはよかった」

静かな会話。
でもその“静かさ”すら、今日は心地よかった。
 
(会えないだけで、こんなにさみしいなんて)
(こんな気持ち、知らなかった)
 
風が吹いた。
アナベルの花びらが、ふわりと揺れた。
“この景色を、この人と一緒に見ていたい”
そう思ってしまった時点で──
もう、気持ちには逆らえなかった。