今日のオフィスでの騒がしさが嘘のような夜の庭で、
いつものように舞花はマグを片手にしていた。
お気に入りのカモミールティー。
昼間のざわめきを鎮めてくれる、静かな香り。
 
──美羽の言葉が、ずっと頭から離れない。
「いつか、どっちかが“気持ち爆発する”と思うな」
“爆発する”って、どういうことなんだろう。
好きって、そんなふうに溢れるものだったっけ。
 
でも、たしかに。
椎名さんといるとき、
たまに息の仕方を忘れるときがある。
声が近くて、
目が合って、
沈黙すら落ち着かなくて。
それってもう──
 
「……こんばんは」

背後から、あの声がした。

「わっ……椎名さん、びっくりしました……」

「すみません、遅くまで作業してて。お騒がせしてないかと」

「ぜんっぜん。むしろ、静かすぎて落ち着かなくて」
 
彼はいつも通りの作業着姿。
でも夜の光のせいか、顔の印象がいつもより柔らかく見えた。

「今夜は……星、出てませんね」

「曇ってますからね」

「ちょっと残念」

「……でも、星がなくても。庭は静かで、好きです」
 
舞花がマグを手に、ベンチに腰掛けると、
悠人も何も言わずに、隣に腰を下ろした。
近い。
この距離、今はまだ危ういくらいに。
 
「……なんか、今日は静かですね」

「お嬢様が静かだから、合わせてるんです」

「え、私、静かにしてました?」

「さっきまで、考えごとでもしてたような顔だったので」

「……こわ、観察力高すぎ……」

「庭師なので」

「それ万能じゃないですからね?」
 
ふたりでふっと笑ったあと、
少しだけ、風が強く吹いた。
舞花のマグを持つ手がぐらついて、
おっと、と思った瞬間──
 
「……っ!」

悠人の手が、舞花の手に重なっていた。
ほんの一瞬。
でも確かに、彼の手が、支えるように触れた。
 
「すみません、反射で……」

「い、いえっ、ありがとうございます……」
 
触れてしまった手は、
すぐに離れたけれど。
でもそのあと、
誰も“何もなかったふり”をしなかった。
ただ、無言で、
風の音を聞きながら座っていた。
 
(この時間が、終わらなければいいのに)
そう思ったのは、たぶん──舞花だけじゃない。