「……あ、椎名さん」

午後、庭に出ると、悠人がちょうどベンチのそばで作業していた。
帽子を軽く上げて会釈する姿に、舞花もぺこっと頭を下げる。
(……なにこれ、挨拶ひとつで胸が騒ぐとか、もう恋以外になにがあるんですか)
自分の心臓にツッコミつつ、
ベンチに向かって歩き出す。
 
「今日、いい天気ですね」

舞花が自然なトーンで言うと、悠人は剪定バサミを動かしながら答える。

「ええ。……今日は風も穏やかで、花も静かです」

「花が静かって、詩人っぽい」

「……慣れです」

少しだけ肩が揺れた。
それが、彼なりの“笑った”という証拠。
(ちょっとだけ……距離が縮んだ、かな)
舞花はそう思いながら、ベンチに腰を下ろした。
 
──そしてその瞬間。

「……っ」

左隣から、カサッと気配がして、
隣に腰をかけようとしていた悠人と、指先がふっと触れた。
ほんの、指先の先だけ。
けれど、それだけで鼓膜の奥が跳ねる。
 
「す、すみません!」

「……いえ」

ふたりとも、ほぼ同時に手を引っ込めた。
舞花は視線を下げたまま、声を整えるのに必死。
(なに今の……なにあれ……!!)
指先の温度がまだ残ってる気がして、
どうしていいか分からなくなる。
 
「……庭のベンチ、広いはずなんですけどね」

悠人がぼそっとつぶやいた。

「……それ、私が詰めすぎたってことですか」

「逆かもしれません」

「……え?」

「俺が、近づきすぎたのかも」
 
顔を上げた瞬間、
悠人の視線が、まっすぐこっちを見ていた。
 
けどそれ以上は、何も言わなかった。

剪定バサミの音だけが、
ゆっくりと風に混ざって響く。
(……あの距離が、ふたりの今なのかもしれない)
そう思いながら、
舞花はそっと、手を膝の上で組み直した。
“触れてしまった”指先は、
まだ少しだけ、震えていた。