オフィスの帰りに、近くの和菓子屋に寄って帰ってきたところだった。

「舞花?」

その声を聞いた瞬間、
舞花の肩がピクッと反応した。

振り返ると、
スーツ姿の男性が笑顔で立っていた。

「えっ……あ、佐久間くん?」

大学時代のゼミ仲間。

一時期ちょっと距離は近かったけど──

舞花にとっては、“元カレ未満”の人。
 
「やっぱり舞花だ。久しぶり!元気そうでよかった」

「あ、うん。相変わらずって感じだけど」

笑顔で応じながら、ふと背後に気配を感じて振り返る。

そこにいたのは──

いつもの作業服、帽子をかぶった悠人。

淡々とした表情で、黙って立っている。
(あっ、今日来てたんだ……!)
 
「……ん? 舞花、この人……?」

佐久間が、まるで“荷物を届けにきた業者”を見るような目で、悠人に視線を向けた。

「椎名さん。……うちの庭をお願いしてる庭師さん」

「へえ……庭師さん」

一瞬、空気が凍った。

(その“へえ”なに?)
 
「……椎名さん、こちら、大学の知り合いの佐久間くん。ゼミ一緒だったの」

「そうなんですね」

悠人はそれだけ言って、小さく頭を下げた。

「で……すみません、椎名さんって、どういう立場っていうか……?」

その言い方。
悪気はないんだろうけど、どこかに含まれてる“上下”の空気。
悠人の表情は、微塵も変わらなかった。

「庭師です。有栖川家の、庭を」

その声が、どこまでも淡々としていて。
逆に、そこに強さを感じた。
 
佐久間が何か言いかけたその時──

「じゃあね、佐久間くん。また」

舞花が早口で遮るように言った。

「ごめんね、ちょっと予定あるから」

「あ、そっか。またねー」

佐久間が去っていく背中を見送るふりをしながら、
舞花は悠人の横顔をチラッと見る。

(……怒ってないよね?)
 
「……佐久間くんの態度、ごめんなさい」
 
悠人の手が、作業道具を握り直す気配がした。
少し間が空いてから、低い声が返ってくる。

「……謝ることじゃないです」

「え?」

「俺に謝る意味、あります?」
 
その言葉に、舞花は少し戸惑う。
いや、ほんとはちゃんと理由がある。
悠人のことを見下げるような態度をされて、
嫌な思いしたんじゃないかって思ったから。
だから、それが嫌だったから──謝った。
 
でも、悠人にとってはきっと、
舞花のその“気づかい”が、“立場の違い”として刺さった。
 
「別に、怒ってません」

「……でも、ムカついてたでしょ、ちょっとは」

「“誰ですか”の一言で済ませたかったのを我慢したくらいです」
 
口調はいつも通り。淡々としてる。
でもその中に、確かにあった。
ちょっとだけ、鋭いトゲみたいな本音。
 
「……ごめんなさい」

今度は、その言葉が自然に出た。
言わなくてもいいけど、言いたくなった。
悠人は何も言わなかった。
ただ、そのまま道具を片づけて、軽く会釈して歩き出す。
 
──何も言われなかったのに、
胸の奥がキュッとした。

(なんで、こんな気持ちになるんだろ)

謝る必要なんてなかったのに。
なのに、自分が“謝ってしまったこと”が、
なんだか、自分を苦しくさせた。
 
風が吹いて、髪がふわりと揺れた。
でもその風が、悠人の背中を遠ざけていくような気がして、
思わず、手を伸ばしたくなった。

──届かないって、わかってるのに。