きっちりと着付けた訪問着の裾をそっと整え、
舞花は静かに花器の前に腰を落とした。
 
──昔から、こういうのは“ちゃんと”できる。
華道、茶道、立ち居振る舞い、言葉遣い。
幼い頃から、当たり前のようにしつけられてきたものたち。
着物も、人任せにせず自分で着るのが“家の常識”だった。
 
今日は母に言われて、久しぶりの華道の日。
窓からは春の光。花器の中では、凛とした枝が静かに存在感を放っていた。
 
「はい、舞花。お花、もう少し左に流してみて」

「……はい」
 
流派は有名なところで、先生は代々有栖川家を教えてきたベテランの女性。
 
「もっと芯を見せて。花にも“意志”があるのよ」

「“意志”ですか……」
(あたしの“意志”は、今となっては完全に別方向なんですけど)
 
先生の目を盗んで、舞花はちらっと窓の外を見た。
そこには──見慣れた庭。
そして、ちらりと見えた作業服の背中。
 
(あ、椎名さん……)
 
たったそれだけで、花よりも表情がふわっと緩む。
 
「……はい、もう一度いけ直しましょう。
今、完全に“余所見の顔”でしたね」

「ひぃ、ごめんなさい」
 
舞花が慌てて花に向き直ったタイミングで、
母がそっと隣に膝をついた。
 
「舞花」

「なに?」

「そろそろ“ご縁”の話、また出始めてるのよ」

「えっ……」

「この間の○○さんの息子さん、まだ独身ですって。家柄も合うし──」

「ちょ、ちょっと待って、いきなりすぎる!」

「あなたももう“良い年頃”なのよ。
好きな人がいるなら別だけれど」
 
(……いるよ、とは言えない)
(だって、お庭で木を切ってる人が好きだなんて、今はまだ──)
 
舞花は黙って、手元のアナスタシアに目を落とす。
 
「花って、黙って咲いてるようで、ちゃんと“向いてる方向”があるの」
母が静かにそう言った。
 
「……舞花も、自分の“向いてる方向”がわかってるなら、そこに向かって咲きなさいな」
 
母の言葉はやさしくて、でもちょっとだけ、重かった。
 
花瓶に挿したアナスタシアは、自然と──
お庭の方へ向いていた。
 
(……気になってる。私)
(向いてる方向は──あの人なんだって)
 
でも、そこに向かって咲くのは、
まだもう少し先でも、いいのかもしれない。