ここを左に曲がって、さっきの洋服屋までまっすぐ行く、と。

 この場所に来た時の記憶を辿りながら、コンビニを目指す。

 さっきまでの時間が嘘のように、静か。

 まだちょっとしか経ってないのに、さっきの時間が何だか恋しい。

 初めての感覚で、不思議な感じ。だけど、悪い気はしない。

 
 また、蕾ちゃんに会えるように、地面を強く踏みしめて歩く。

 今度もその場所にいけるようにアキアカネのスケッチをしたメモ帳に、地図を描きながら。
 

 コンビニには車が二台止まっていて、バイクの横でタバコを吸っている二人組がいた。

 二人はからかいあいながら、笑っていた。

 楽しいのかな。それとも、慣れるとそんなに楽しくは感じないのかな。

 
 コンビニを通り過ぎて、駅へ向かう。

 駅のホームにつくと、六時を過ぎていた。次の電車は二分後。

 スマホを取り出して、研究会のグループチャットを確認する。

 何も連絡は来ていなかった。

 声をかけるのは無理でもチャットなら。そう思って、吹き出しをタップする。

 そこで手が止まった。

 何を言えばいいんだろう。せっかく蕾ちゃんには話しかけられたのに。

 心のそこで今じゃなくてもいいって気持ちがあるのか、勇気が出ない。

 若葉さんや奥谷君の返信以外、送ったことないから、話し出すときになんて打てばいいのかわからない。

 下にスワイプして、若葉さんや奥谷君の吹き出しを見る。

 「道端で手にハエが止まったよ(絵文字)かわいかった~」

 「明日、昆虫探しに行かん?」

 どれも私が打つと、変な感じがして頭を掻く。家に帰ってから考えよう。
  
 そう、後回しにして、スマホを閉じた。


 私の家はアパートの一室。私の地元は長野県の隣にある群馬県の中央部にある安中市。大学入学を機に、一人暮らしを始めた。

 自分から主張するのは苦手だけど、大学入学時には「ここに行きたい」ってことを伝えられた。
 
 母は私から言うことは珍しいからと、嬉しがっていたが、独り暮らしをするつもりでいることが分かると、「おとなしい性格だから」って、反対された。そこに、母の友達から電話が来て、その友達の家の近くで一人暮らしをすることになった。という経緯だ。

 これなら、家よりかは近いし、親の心配も減る。


 アパートの階段を上り、自分の部屋の前に着く。

 私は、ここに引っ越してきてから、数か月たったころに、アリを飼い始めた。

 アリの巣は、石膏という水と混ぜると石のように固まる砂を彫刻刀などで、彫ることによってつくることができる。そのアリの巣だと、作る作業も楽しく、片側から巣がどんな状況になっているのかが見られる。

 「触角が頭のこの部分から生えていて、おしりのところが少し尖っていて…」

 餌を巣の中に運ぶアリを見ながら、鉛筆でスケッチを始めた。

 **
 目覚まし時計の音が響く。五時十五分。

 今日はいつもより早い時間にセットしておいたのだ。

 理由は、蕾ちゃんに会うため。

 確か、蕾ちゃんの通っている中学校は八時くらいに登校している人を見かけたことがある。私は、いつも八時半より少し早い、くらいの時間帯に着くからちょっと早く行けば会えるかもしれない。
 
 炊いてあったご飯をお茶碗によそって、インスタントのお味噌汁にお湯を注ぐ。


 私は小さい頃から、好きなものを見つけるのが苦手だった。
 
 好きなものは見つけるんじゃなくて、勝手にできる物らしいけど、好きって、思えるものがなかった。

 だけど、好きなものが一つだけあったのだ。

 「好きなものについて、作文を書きましょう」小学二年生ぐらいのときに、そんな宿題が出た。

 どうしても、好きなものが思い浮かばなくて、私はお母さんに訊いてみた。

 「アリじゃない?公園に行くと、遊具なんて見向きもせず、アリをずっと見てるんだから」

 そう返ってきた。

 確かに、アリは好きなのかもしれない。

 そう気づかされてから私はより一層、昆虫にのめり込んでいった。


 大学への持ち物を持って、家を出た。

 「早いね。いってらっしゃい」

 お母さんの友達に会釈をして、歩き出す。


 電車を使い、大学の最寄り駅に着く。
 
 真っ直ぐな道を歩き、コンビニへ辿り着いた。

 道の反対に、中学生が二人ほど見えた。まだ蕾ちゃん、いるかな。少し不安になって早歩きになる。

 昨日のあの場所。時間は七時五十八分。もう行っちゃったかも。あと、五分待っても来なかったら諦めようかな。

 少しすると、車が通った。

 何もしてないと、変な人に思われるかも。カバンから大学の教科書を取り出し、今習っている単元のページを開く。原核細胞、真核細胞、細胞分裂…。

 五分が過ぎても、蕾ちゃんは来なかった。もう、行っちゃったのかな。そう思い始めた頃、ぽつぽつと下を向きながら蕾ちゃんが反対側の歩道を歩いてきた。

 「蕾ちゃん」
 しっかりと耳に届くように、いつもよりボリュームを大きくして、叫ぶ。

 蕾ちゃんは、顔を上げて、私の方を見つめた。そして、あたりを見回した。おそらく周りに人がいるかどうか確認したのだろう。そして、私をまた見つめ返した。

 「芽生さん、おはようございます」

 「今日の帰り、よかったらまた話さない?」

 昨日、話しただけなのに、今日もっていうのは迷惑だろうか。だけど、ここは勇気を出さないと。そう、声に力を込める。

 「あ、えと、今日は部活があるので、帰るの五時半くらいになっちゃいますよ」

 やんわり断ったのかな。そうも捉えられる答えだったが、その時の私はつかさずこういった。

 「うん。待ってるね」

 驚いたように目を大きく開けて、蕾ちゃんの動きが止まる。数拍後、蕾ちゃんは「あり、がとう」と笑った。


 午前の授業が終わって、私は「昆虫研究室」に入った。

 私が所属する昆虫研究会は、川上若菜、奥谷夏也、鈴川恵治と私で4人。

 この研究会は若葉さんが発端となって作られた。教授に掛け合ったり、登校時にビラを配ったり、奮闘していた。

 私の場合は、生物の授業のときに若葉さんの話を聞いて、入会することを決めた。入会二人目だったことで、私が副部長となった。その後、登校時のビラ経由で鈴川さんも入会し、三人。そこから1年経ち、1年生として奥谷君が入会した。そこから1年が経ったのが、今の昆虫研究会。

 「昆虫研究室」の教室は、誰もいなくて静かだった。

 私は、奥谷君が前に捕まえたエンマコオロギの虫かごを眺める。

 このコオロギの大きさは約3cm。背の方は黒色をしているが、腹部やそれよりも少し薄めの灰。前足は赤みを帯びていて、窓からさす光によって白く光っていた。

 今日は特に活動内容にこれと言ったものはない。教室にあるパソコンや書籍を使って、昆虫について調べてたっていいし、何ならずっと話してたって良い。

 「よし。たまにはみんなで遊ぼう」

 若葉さんが虫かごを眺める私、本を読む鈴川さんに向かって言った。

 「今日は、みんなが楽しめる遊びを考えてきたんだよ。その名も、、、昆虫クイズ!!」

 若葉さんが考えてきた昆虫クイズとはこんなものだ。ローテーションで出題者が変わって、昆虫ん関するクイズを出し合う。クリップ形式で判定は出題者に任される。

 まず、最初の出題者である若葉さんから、クリップとペンが配られる。

 「じゃあ、まずウォーミングアップです。日本の国蝶は何でしょう?」

 鈴川さんがペンを手にサラサラ答えを書く。私もそれに倣って、答えをクリップに書き込む。
 
 クリップに書かれた答えは全員一致で、「オオムラサキ」。

 次の出題者は奥谷君。

 「ミミズは半分にちぎれるとどうなるでしょうか?」

 「答えは、前半分が再生して、後ろ半分は死んでしまう」

 次の出題者は私。

 「南極には一匹だけ昆虫が生息していますが、何と言う昆虫でしょうか?」

 「答えは、ナンキョクユリスカ」

 次は鈴川さん。

 「北海道に生息する大雪山に生息するチョウの幼虫を捕食する黒い虫を何と言うか?」

 「ダイセツオサムシ」

 その後も、クイズは続き…。

 優勝はやはり鈴川さん。私と若葉さんが同点準優勝という結果になった。