紅い蝶の見る夢




◇◇◇◇◇





雨上がりの澄んだ空気が鼻腔を擽る。
そこは月明かりも相まって隔絶されたような荘厳な世界が広がっていた。



その日、カイは1人の男と出会った。



先程までの雨に濡れ闇の中でぐったりと地面に座り込むカイを見て、男は「う、み…?」とカイの本当の名前を呼んだ。



「……誰、お前?」



名前を呼ばれた途端、カイは目の前の男を睨み付けた。
この姿で初めて本当の名前を呼ばれたカイは一瞬動揺を見せたがそれを相手に悟られるのが嫌で不機嫌そうに努めた。
一度も染めたことのない綺麗な黒髪を一つに結び、黒のパーカーに黒のスキニーパンツ、極め付けに登山用の黒のブーツを履く全身黒一色でコーディネートされたカイの装いは見る人が見れば一目で身バレする。しかし今カイがいるこの場所は彼等の本拠地ではなくある暴走族の縄張りとされている東都の双児区だったためカイの正体を正確に認識することが出来なくても無理はなかった。
あの街において自らの意思でカイに近付いて来る人間は少ない。それはカイだけでなくカイと行動を共にする彼等においても同様だった。
大抵の人間は目が合った瞬間尻尾巻いて逃げ出すか、好奇心と刺激を求めて無意味に喧嘩を吹っ掛けて来るか、そのどちらかに分類するが今のように他区にいる場合は圧倒的に後者の方が多かった。
どうせこの男もその類に決まっている。カイは地面に転がる屍に見向きもせず気怠げに首を回しながら重い腰を上げた。



「これはお前がやったのか?」



アスファルトに広がる血の海。

意識も無く、ぐったりと横たわる人々の山。



男はカイの質問に答えることなく倒れている地面に転がる男達を指差してそう言った。
この異様な光景に顔色一つ変えることなく淡々とした口調で。
この時、カイは初めて男の顔をはっきりと認識した。非の打ち所がない造りもののような整った顔に目を細めてカイを見つめる鋭い大地色の瞳、そしてブルーアッシュの短髪が先程までの雨のせいで濡れているのが分かる。美形には耐性が付いているカイだったが、馴染みの彼等とはまた違った種類の美形に一瞬だけ目を奪われた。
しかしカイは目の前の男の発言を思い出し眉間の皺を刻むこととなる。
男の平然とした態度が癇に障りカイは目尻を上げて挑発する。



「……だったら?テメーもコイツ等の仲間になるか?」

「………」



男はカイの挑発に乗らなかった。
そればかりか何も感じていないような澄ました表情を見せる。



「チッ」



無愛想でつまらない野郎。

造りもののような綺麗な顔も本当にロボットかもしれない。



それがこの男に対するカイの印象だった。



カイは自分を襲って来る人間以外に興味がなかった。少々語弊がある言い方だが、それ以外の人間を相手にするつもりも時間もなかった。何故なら今は大切なものを捜している最中。余計なものに時間を割く余裕はなかったが、どうにもムシャクシャして腹の虫が治らなかったのでタイミング良く絡んで来た連中を相手に暴れていたところこれまたタイミングを見計らったようにこの男が現れた。カイにとっては水を差された気分だった。そして腹の虫は治るどころかもっともっとと渇きを知らずに暴れ出そうとしていた。
しかし目の前の男で発散するつもりはなかった。
カイは相手を選んで喧嘩をする。自分に敵意のない者を無闇に攻撃するような外道ではない。
そのためカイは男から視線を逸らし身体を翻して距離を取った。興味がない。とっとと失せろと言わんばかりに。



「―――お前は何のために拳を振るう?」



その声に足を止めた。
いや、止めさせられたと言っても過言ではない。



「あ?」



振り返った時に見た男の顔は至極真面目なものだった。
とても揶揄っているようには思えなかった。
だからと言ってくだらない質問に応えてやる義理はない。



「何故だ?」

「………」



しかし気が変わった。

男の大地色の瞳がバカみたいに真剣にこちらを見つめていたから。



「……意味なんてねぇよ」



男はカイの答えに目を細めて俯いたかと思えば、暫くすると顔を上げて何かを決意したような真っ直ぐな瞳でカイの漆黒の瞳を見つめてこう言った。





「なら―――」