「じゃあそろそろ行くね」
壁に取り付けられた時計を見れば既に8時30分を回っていた。
「もうこんな時間か。悪いな、久しぶりだったからつい長話しちまった」
「いいよ。あたしも久しぶりに恋ちゃんに会えて嬉しかったし」
あたしはソファーから立ち上がり扉の方へ足を進めると後ろから恋ちゃんも付いて来た。
「そう言ってもらえると俺も嬉しい。担任に何か言われたら俺の名前を出すといい。一発で黙るから」
「でしょうね」
ポンポンとあたしの頭を撫でる、恋ちゃん。
「またガキ扱いした…」
「ガキ扱いじゃなくて妹扱いだよ。俺にとって海は妹みたいなもんだからな」
「言えばいいと思ってるでしょう?」
「まさか。本当のことだよ」
あたしは頬を膨らませて恋ちゃんを睨む。
でも恋ちゃんには全く効果がなく反対に喜ばせてしまったようでニコニコと笑顔を絶やさない。憎たらしい。
(やっぱりガキ扱いじゃん…)
きっと恋ちゃんにとってあたしは一生子供のままなんだろう。
でもあたしはあの頃から恋ちゃんのことを本当の兄のように思ってたよ。
……今も、ね。
「そういや、海って自分のクラス分かってんのか?」
「寧ろ知ってると思う?」
入学式でいきなり謹慎食らったあたしが?
どう考えても知ってるわけないじゃん。
「だよな。そう言うところが海らしいよ」
「あたしらしいってどう言うことよ?」
「怒んなって、褒めてんだからさ」
褒められた気が全くしないんですけど。
「じゃあ不良科のことも知らないのか…」
「不良科?」
何それ?
「よし、じゃあ俺がクラスまで案内するついでにそれについても歩きながら説明…「必要ないですよ」
途端、聞き慣れた声が恋ちゃんの言葉を遮る。
その声に振り返れば、そこには腕を組みながら扉に凭れ掛かる尚哉の姿があった。
「尚哉?」
「……風鳴か。盗み聞きとは感心しないな」
「すいませんね、職業病なんで」
何が職業病だ。
どうせ端っから聞く気満々だったくせに。
「……尚哉、何でここにいるの?」
あえて不機嫌そうに尋ねると逆に呆れ顔が返って来た。
「言っただろう、外で待ってるって」
「あ…」
忘れてた。
そう言えばそんなようなことを言っていた気がする。
「それなのに海ときたら中に入ったっきり全然戻って来ねぇから何かあったんじゃないかって心配し…「心配?」
尚哉の言葉を遮るようにその虫唾が走る単語をリピートすると、尚哉はハッと我に返った。
クスッと、小さく喉が笑った。
「アンタ、誰に向かって口聞いてんの?」
「、」
先程まで余裕綽々な尚哉の顔が見る見るうちに青ざめていく。
「アンタに心配される筋合いはない」
いつも以上に機嫌が悪い低い声は尚哉だけでなく恋ちゃんの表情までも強張らせた。
あーあ、恋ちゃんにそんな顔させたくなかったのに。
でもそれは紛れもなくあたしのせいで、どう足掻いてもあの頃には戻れないと確信させるのには十分だった。
―――れんちゃん!
あの頃にはもう戻れない。
それなのに恋ちゃんは格好悪く足掻くのをやめさせてくれなかった。
ポン
「海、落ち着けよ」
恋ちゃんの大きな手があたしの頭を撫でる。昔のように優しい仕草で。
この手が本当の兄だったらいいのに…、何度そう思ったことかしれない。
「わ、悪かったよ!もう言わねぇからそんな怒んなよ!」
「………」
そう言ってこれで何度目だろう。
尚哉があたしを女扱いする度に不毛な言い合いを繰り返す。
不毛だと、無意味だと、分かっているくせにムキになってしまう。
恋ちゃんにガキ扱いされても仕方ないか。
あたしだって出来ればこんな無駄な争いはしたくない。
だから尚哉がそう言うならあたしもそれ以上は追及しない。
探られたくないのはあたしの方だから…。
「海、何か勘違いしてるみたいだが、風鳴が言う“心配”って言うのは海が女だからじゃなくて可愛い可愛いお前を誰にも盗られたくないって意味の心配だと思うぞ」
「なっ!?」
「……可愛い?盗られたくない?」
誰に?
そもそも可愛いって誰のこと言ってんの?
「うーん…、海にはちょっと難しかったか」
「またバカにした…」
「してない、してない」
「………」
よしよしと、犬のように頭を撫でられる。
やっぱりバカにされてる気がするから文句言ってやろうとした時、突然横からグイッと手を引っ張られたためそれは叶わなかった。
「ほら、もう行くぞ!」
「あ、おいっ、引っ張んなよ!じゃあまたね恋ちゃん!」
「おう、何かあったらいつでも来いよ」
そう言って恋ちゃんはヒラヒラと手を振ってあたしと尚哉を見送った。
「海のナイト気取りしちゃってまあ…。アイツもうかうかしてらんねぇな」

