旅館を出発する朝。
 ロビーで集合する時間なのに、
 わたしはまだ、窓の外を見つめていた。

 

 ——あの夜の花火。
 空に浮かんだ光と、先輩たちの言葉。

 

 「君が真ん中だった夜」って、律先輩が言ってくれたこと。
 その意味を、ようやく少しだけ理解できた気がする。

 

 

 「ねね〜! バス乗るよー!」
 陽向先輩の声に、はっとして振り返る。

 

 「……は、はいっ!」
 「ふふ、名残惜しい? 俺は惜しいよー。もう1泊したい♡」
 「いや、それは……わたしも、ちょっと……」

 

 

 バスに乗り込むと、なぜかまた、
 律先輩が隣の席になった。

 

 まるで、偶然をよそおった必然みたいに。

 

 

 「……ねねちゃん、昨日はごめんね。いろんな意味で」
 「……そんな……わたしの方こそ、ご迷惑を……」

 

 顔を伏せると、律先輩は笑って、
 そっとカーテンを引いた。

 

 車内はまだざわざわしてて、
 でも、ふたりの空間だけは、どこか静かだった。

 

 

 「昨日のこと、ずっと考えてた」
 律先輩が、ぽつりとつぶやくように言う。

 

 「……自分の気持ちを伝えるって、
  こんなにむずかしいんだって、あらためて思ったよ」

 

 

 「……わたしも、そう思いました。
  どの言葉が本当で、どの気持ちが正解かなんて、まだ分からなくて……」

 

 

 「でも、ねねちゃんが誰かを見つめるときの目、
  昨日の夜、僕の方を見てくれてたよね」

 

 「……えっ」

 

 「僕、あれを、信じてる」

 

 

 もう、何も言えなかった。
 うれしくて、くすぐったくて、
 でもまだ“好き”って言ってしまうには、
 きっと早すぎる気がして。

 

 

 わたしはただ、そっとうなずいた。

 

 

 その瞬間、律先輩が、私の手に手を重ねて言った。

 

 「焦らなくていい。
  ただ、君の隣にいたいって、そう思っただけだから」

 

 

 “好き”の言葉の前に、
 こんなにも、やさしくてまっすぐな気持ちがあるなんて。

 

 わたしはたぶん、
 この旅で、それを教えてもらったんだ。

 

 

 バスの窓の外には、
 ふわふわと揺れる春の光。

 

 

 旅はもうすぐ終わる。
 でも——この気持ちは、まだ終わらせたくないって、思った。