旅館に着いた瞬間、
 わたしは“圧倒的・旅行初心者感”を放っていた。

 

 「わ〜……! わたし、こういう旅館、初めてで……!」
 「テンション上がってるね〜! ほら、下駄箱で迷わないようにね〜」
 「はいっ! ……え、どこ!?」←初手で靴のロッカー見失う

 

 周りの女子たちは手際よく荷物整理。
 わたしはというと、団体行動に全力で遅れていた。

 

 

 「ねね、部屋どこだっけ?」
 陽向先輩が振り向いてくれた。
 「えっ、あの、105……あれ、違う……? あれ、104……?」

 

 「まさかの……記憶あいまい系ヒロイン……!?」
 「ご、ごめんなさいっっ!!」

 

 「ねねちゃんの天然具合、今日は120%出てるな……」奏くんがため息まじりで笑う。
 「ひとりで歩かせるとロビーで遭難するタイプだな」柊真先輩が真顔で言う。
 「案内図、持たせる?」澪くんがすでに印刷済みのマップ差し出してきた。

 

 

 ——そのときだった。

 

 「ねねちゃん」
 ふっと、あたたかい声が耳に触れる。

 

 

 「……律先輩……!」

 

 

 人混みの奥から、律先輩がゆっくり近づいてくる。
 浴衣姿。髪、ゆるく下ろしてて。
 なんかもう、旅館の番頭さんか王子かどっちかにしか見えない。

 

 

 「こっち、105号室。一緒に行こう」

 

 

 手を取られた。

 

 何も言えずに、ただ小さくうなずいた。
 ふたりだけの廊下。
 足音だけが静かに並ぶ。

 

 

 「……先輩、どうして分かったんですか? わたしが迷子になってるって……」
 「ねねちゃんがいないと、空気がちょっとさみしくなるから」
 「………………ふぇっ……(心臓が限界)」

 

 

 「でも、ねねちゃんらしいよ。
  目的地に行く途中で、全部の風景に気を取られて、迷っちゃうの」

 

 「まるで……遠回りしてる分だけ、いろんな人と出会う運命、みたいな」

 

 

 もう、無理。
 こんな旅館の廊下で恋のプロポーズみたいなこと言われるなんて、聞いてない。

 

 

 「……ねねちゃん」
 「は、はい……」
 「今日、ほんとはずっと、こうしてふたりきりになるの、待ってた」

 

 

 目が合う。
 あったかくて、少しだけ切なそうで。
 そのまなざしが、私の心に静かにふれてくる。

 

 

 「……好きとか、まだ言わないけど。
  言いたくなるくらい、今日の君、ずるいよ」

 

 

 ——ぎゅう、って、胸の奥が鳴いた。

 

 

 ふたりの距離は近いのに、
 この瞬間だけは、なにも言葉を交わさなくても通じてる気がした。

 

 

 ねぇ先輩、
 わたし、こんな遠回りで生きてきたけど——

 

 いま、
 ここだけは、まっすぐに“君に向かってる”って、
 ちゃんとわかるんだ。