——このカフェって、こんなにあったかくていい香りだったんだっけ。

 

 甘いバターの匂い。
 ほんのり香るミルクティーのスチーム。

 

 なのに今の私は、
 その全部を包み込むくらいの“テスト絶望オーラ”で、空気を濁してる気がした。

 

 

 「はいっ! ねねちゃん特訓、スタートですっ☆」

 

 陽向先輩が元気に差し出してきたのは、
 全教科分、手描きのプリント。しかも、絵文字多め。しかもカラフル。

 

 「えっ……これ、漢字ぜんぶに“ふりがな”ついてます……」
 「やさしさってやつ♡ ちなみに“努力”って、読める?(ど・りょ・く)」
 「え、そこから……?」

 

 

 そして隣の奏くんが、スマホをにやにや見せてきた。

 

 「小テストの答案、保存済み。ちなみに“3点”」
 「やめてぇぇぇぇっ!! 黒歴史を永遠に残さないでぇぇ!!」

 

 

 「で。俺からは“ねね翻訳ノート”を進呈。
  “仏教”→“おてんとさま信じるやつ”って書いてあるのは……なにこれ?」

 

 「それ……たぶん、太陽信仰……! もはや別の宗教ぅぅ!!」

 

 

 とどめは、柊真先輩。無言で私の答案を開いて——
 黒板マーカーで、じっと一点を指差した。

 

 「……地獄の入口って、ここだよな」
 「ひどいっ! でも、ぐうの音も出ないぃ……!」

 

 

 さらに、澪くんからの追加ダメージ。

 

 「“ルネサンスは〇〇で始まった”」
 「イ○ン?」
 「それはスーパー」

 

 えっ……!? 違うの!?
 イ○ンって、なんかイタリアっぽい発音じゃなかったですか……?

 

 

 「イ○ンとイタリア、名前似てません……?」
 「世界史に商業施設は出てこないから」

 

 ま、まさかの学力よりセンス問題!?(混乱)

 

 

 そんな大混乱のなか、
 唯一、変わらず静かに私を見てくれていたのが、律先輩だった。

 

 

 「ねねちゃん、大丈夫」
 「……えっ……?」
 「できないってことは、“できるきっかけ”を持ってるってこと」

 

 優しくて、まっすぐで。
 わたしのごちゃごちゃを、ぜんぶ整えてくれるみたいな声。

 

 

 「ここ、一緒にやってみようか」
 「……は、はい……!」

 

 

 ノートに数字を書き出そうとした瞬間——

 

 「がんばってるねねちゃんに、“九九ラップ”いきまーす☆」陽向先輩。
 「ストップ! 今は“社会語呂合わせ漫談”のターンだろ!」奏くん。
 「やかましい。全員、懲罰プリント50枚な」柊真先輩。

 

 

 「なんでラップと漫談と軍事制裁が混在してるんですかぁぁ!!」

 

 

 私は、ノートじゃなくてお腹を押さえた。
 笑いすぎて、もう、無理。ほんとに、無理。

 

 

 「……ねねちゃん」

 

 律先輩の声が、すうっと届いて。
 私はやっと、息を整える。

 

 

 「そんなふうに笑ってる君が、
  僕にとってはもう、それだけで“正解”なんだよ」

 

 

 ——えっ、えええええ……?
 なんか今、やばいこと、言われました???

 

 

 「せ、せんぱい……! そのセリフ、問題集に載ってないですぅ……」
 「じゃあ、次はもっとずるいやつ、言おうか」

 

 

 律先輩だけ、恋の教科書書いてますよね!?!?(動揺MAX)

 

 

 「もうムリですぅ……
  笑いすぎてお腹痛いし、
  甘やかされすぎて、脳がエラー出してます……」

 

 

 私は机に倒れこむ。
 けど、頬がほんのり熱くて。

 

 まだ、律先輩の指先のあたたかさが、
 私の手に、ちゃんと残ってる気がした——。


 

 

 ねねは、机に突っ伏した。

 

 でもその頬は、ちょっとだけ赤くて、
 律先輩の手のぬくもりが、まだじんわり残っていた——。