シュガーラテ──命を救う腕に、甘えたくなる午後がある

救急車の後部ドアが開き、ストレッチャーが滑り出す。

「29歳女性。喘息の既往。火災の煙吸入による呼吸困難です。
SpO2 90%、酸素投与10分でも改善見られません。3リットル継続中です。
意識は声かけに反応あり。
右足は腫脹あり、簡易固定済み。骨折の所見はありません」

搬送担当の救命士が早口で伝える。

白衣の医師がうなずきながらストレッチャーに近づいた。

「わかりました。気道熱傷はなさそうかなあ。」


看護師がストレッチャーを先導し
そのまま舞香は病院の明るい照明の中へと運ばれていった。

「酸素継続、SpO2 95%以上を目標にしてね。
ステロイド点滴すぐやりたいから、誰かライン確保して。足は後回し。」

看護師が動きながら舞香の腕を取る。

「はい、少し腕ちくっとしますよ。リラックスしてくださいね」

「……はい」

針が刺さる感覚と共に、冷たい薬液が静かに体に流れ込んでいく。

その横で、医師が舞香の胸に聴診器を当てる。
静かに、丁寧に左右の肺音を聴き分けていく。

少しずつ、舞香の呼吸が浅いながらも安定していく。

(……吸える、息が……)

肺の中に、きちんと酸素が入ってくる感覚。
あれだけ重かった胸の圧迫が、すうっとほどけていくのがわかった。

医師は次に舞香の足元へ視線を落とす。

「この固定……現場でやったんですか?」

「はい、僕がやりました。」池野が答える。

「すごい。センスありますね、これならずれずに済みそうです。」

やわらかな言葉の応酬に、舞香は胸の奥で、少しだけ笑みを浮かべた。

「舞香さん、今夜は入院も可能です。
再発の可能性もありますし、ご自身の判断で構いませんが――どうされますか?」

その問いに、舞香は一瞬、黙った。

「……あの、帰れない、ですか?」

「帰れないわけじゃありませんが……
ご自宅はおひとりですよね?
発作が夜中に再発したとき、すぐに対処できないのが一番怖いです」

「……でも、……あまり、人に心配かけたくないんです……」

そう言った瞬間、舞香の胸に、また苦しさがよみがえった。

(また“がんばろう”としてる……)

医師は静かに舞香の目を見つめた。

「“自分が倒れたら困るから”頑張るのも大事ですが、
“倒れないように休むこと”も、大事な責任です」

「……責任、ですか」

「はい。
今は“誰かのため”ではなく、“自分の身体”のために、ちゃんと休んでください」

その言葉に、舞香はしばらく黙ってから、小さくうなずいた。

「……わかりました。入院、します」

ようやく絞り出したその声は、
涙がにじむほど、静かで、決意に満ちていた。