俺は、叩かれた。
彼女の……そうあちらではなくこちらの彼女の手によって左頬への一撃、平手打ち。
衝撃によって俺は確信する。かつて受けたのとは違う痛みによってオヴェリアちゃんがここに現れたと。
いつもよりも強めであるのに特に痛みはなく、またこの行為が正当だということをどうしてか受け止められた。
「どうして……忘却を」
見上げる彼女の翠の瞳が燃えている。
濡れながら輝き炎をたぎらせていた。
「どうして私があなたを忘れることを願った!」
「俺が死ぬからだ」
「何を言っているのです!」
もう一撃のために振り上げられる彼女の右手首を俺は抑えた。二撃目は必要ない。もう十分に分かったのだから、いらない。
「俺は死に君はその先を生きるんだから、もう」
「なんでそんなに勝手なことを願うのです? それとも私がすぐに忘れるような女だと思ったのですか」
黙る俺に彼女は叫んだ。
「答えて!」
「……思わない、だけどそうしてもらいたかった」
「嫌です。できません、できなかった! そんなの分かっているでしょうが!」
睨みながら首をふる彼女に俺はまた言った
「そうでないと俺は苦しくて」
「ならそうですよ。苦しんでください」
翠色の炎が俺を見据える。
「私で苦しめ!」
俺の視界は炎に包まれた。
「それが私の望みであり幸いですよ。この子との記憶の共有で分かりましたが、随分と苦しみがらここまで来たようですね。
私は嬉しいですよ。すごく幸せです。でも勘違いしないでくださいね。生前の私はあの時から最後の時まで自分を可哀想だなんて思ったことなどありません。
一度どころか一瞬たりとも、です」
炎の中から彼女の声が続く。
「苦しみや辛さがあっても憐れとは思いませんでした。むしろいつかあなたが甦ると分かっていたからです。
生きているのなら必ずその時は訪れる。実際にいま、こうして訪れていますが……ですが、いま、私は、とても悲しいです。自分を憐れんでしまいそうです
あなたがまさかそんな願いを抱いていただなんて。私はいますごく痛くて死んでしまい……たい」
俺は左手の彼女の手を引き、それから眼の前の翠色の炎を抱きしめた。
死が、そこにあるのなら俺は抱きかかえないといけない。
死が、眼前のあるのなら俺は身を挺さなくてはならない。
あの時のように、俺はそうしなければならない。そうでないと、彼女は、この子は。
「ごめん」
俺は震える自分の声を聴いている。痛みと苦しみが胸元から湧いてくる。あの日のあの時のと同じ響きの声が出てきた。
「死なないでくれ」
俺の声はあの時のそれと重なり、あの日以来止まり続けていた時の秒針が動き出したのを感じる。ようやくあの時が終わり、その後が始まったかのように。
「俺の願いは……これなんだ。他は何もいらない。そしてそれは……叶ったんだ」
「……あなたは私を護る時にだけ、抱きしめてくれるのですね」
腕の中のオヴェリアは俺の背中に手を添えながらそういった。
「あの時のように。はい笑ってください。私って自分の死んだことさえ気づいていなかったのですよ。
そして分からなかったのです。気付かなければならなかった私の方だなんて師匠失格です。あなたが起こしてくれた奇跡を、私にもたらしてくれたというのに、ごめんなさい」
「それは仕方のないことで」
「それでも、気づかなくても、私はあなたのことを少しも恨みもなにもありませんでした。
きっとそれはあなたのによって命が繋がったからとというなのでしょう。
だから気付かず分からないまでも、あなたを私を救った英雄にしたのです。あなたがどんなに自分を否定しようとしても、私はそれを頑として撥ねつけます」
「だから俺はそんな存在ではない。聞いてくれ、いや知ったはずだ。俺がアグをホリンを苦しめてから死なせたことを。
その後にオヴェリアちゃんがやってきて……そうだ、そうなんだ、聞いてくれ。俺のその行動は自分の罪から目を逸らし逃れるためにオヴェリアちゃんを救ったんだ。
許されたかっただけだ。罪なんだ、そうであるから記憶から消したんだ。俺はオヴェリアちゃんに感謝される存在じゃないんだ」
俺の身体が震えている。声だけでなく俺という存在の震えが止らない。
身体がいや魂が震えているのだろう。その背中に添えられたオヴェリアの手に力が入った。
痛いぐらいに、痛さを覚えさせてくれるぐらいに、死を覚えるぐらいにそれは近づいた。
「そうです、それとは、別です。あなたは叔母様とホリンを苦しめる罪を犯しました。安らかな最期を迎えさせてくれませんでした。私の命の救済とは別にしてその罪は償うべきです」
「そうだ」
俺の身体と魂の震えは止まり始める。
「そうであるのなら、罪がまだ消えていないのだから、生きてください。
悔やみ続け嘆いてください、あなたはまだまだ足りない、全然足りません。あなたはいま自分の為したことをずっと誰も裁くものがいない世界にいるのです。
ですから生きるのです。あなたは満足に生きていないじゃないですか。いつか来る死のその時までその時はいつかは分かりませんが、今ではありませんよね?」
「ああ……いまではないな」
震えは止まった。
「必ずその時が来ます。約束の時がいつか訪れるのですから、だからどうかあなたは忘却を願わないでください。
それともなんです? あなたは私を忘れてと願ったら、ハイワカリマシタ! 返事をすると同時に簡単に忘れるのですか? 」
「忘れるはずがないだろ」
「だったら私もそうだとどうして思わなかったのですか?
思ってくださいよ。いいえ思うべきですし、あなたそう想わなければなりませんって。自分が想っているのに相手が想わないっておかしいですよ。
せめて願ってください。俺を殺して永遠に忘れないでいてくれと。なぜそう思えないのですか?」
「君は俺を殺したら永遠に忘れずに苦しむと思ったから。忘れて欲しいと」
「馬鹿な願いを、いいえ、忘れてあげません。
命を奪い取り永遠に忘れないことで、あなたは私のものになるだけですから苦しみと悲しみを抱えて生きるだけです。
それともあなたは私のこの想いから逃げたかったのですか? 駄目ですよ。こうやって魂だけとなっても説教しますよ」
「本当にやっているしね」
「そうです。私は勇者よりも龍よりもそしてあなたこと愚弟より強い師匠なのですからね。ですから自分にも相手にも忘却を祈らないで。
このようにその罪と共に私も傍にいるのですから。最後の時のあとに私達は待っています」
「わかった……」
「そもそもまだ実質的に全然生きてませんものね。
それはそうと、たぶんですけど私の心臓発作はアーダンさんの本来の自然死ですよね? 魔王に撃ち抜かれたのもあるでしょうけどそれでもなにか腑に落ちませんもの。
私の心臓って強かったのに妙に突然に痛んでしまって。不思議でしたよ」
「確かに俺もそう思った。すると俺の命はオヴェリアちゃんの本来の自然死とかで?」
「そうですよ、もー身体を大切にしてくださいよ。
おかげで私はどちらかというと早死にしちゃいましたよ」
「そうかな? 結構生きたと思ったけど。俺の村の長老とか六十代揃いだし」
「いやいやいやいや五十年前の価値観はやめてくださいって。まだやりたいこととかあったし、孫娘の結婚式に出たかったのに。
全部台無しですよ。代わりにちゃんと見ておいてくださいよ。あとで詳細を聞きますから。しかしもったいなかったなーえーそうなると逆にアーダンさんは結構な長生きになりますね。
まっ良かったですね。十分に悔いながら生きられますよ。毎日一回ぐらいは思い出してくださいね。
そうです交換しているつまり私達の命は繋がっているのです」
「そうなると自殺はできないな……」
「そういうことで、もってのほかです。あっ時間ですね。じゃあちょっと先に行きますよ。
ちゃんと修行するように愚弟さん。あとでまた、待っていますから」
その言葉を聞き終わると腕の中のものが彼女ではなくなったのが俺には分かった。
けどそれは消滅したということでもないことを俺には感じ取れた。
思えばずっと彼女の死に対して現実感が無かったような気もする。まだまだ思うことが多すぎるため忘れられない。
つまりはそういうことであったのかもしれない。
「これで旅はおしまいということですね」
声とともに俺の腕は自然に離れそれから腕の中の彼女もまた離れた。
見覚えのない澄んだ翠の瞳が俺を見つめ、それから刀が鞘から放たれ切っ先がこちらに向けられる。
「では全ての記憶を取り戻したのなら、もう語り終えたということなら、かねてからの約束通りにここであなたを終わらせましょうか」
そうだと俺はあの時の約束を思い出す。
過去を取り戻したとしたら、過去から今が完全に繋がったとしたら俺の人生はもうそこで終わりにして良いと。
全てを委ねると伝えていた。彼女の孫に対して、このオヴェリアの子孫である……
「アルマ、待ってくれ。頼む、殺さないでくれ」
俺は彼女の名を告げるとその剣先が揺れた。切っ先が揺れたことでその陰に入っていたアルマの顔が見えた。
動揺を押し留めようとするその意思と、滲み出て来るその好奇の念。
それはとてもオヴェリアちゃんに似ていた。だからか、声も上ずっている。
「なにを、待てというつもりなの? 待つってなにを? 何も無いあなたがこれからやるべきことがあるというの? あるというのなら、いったいなにをするのか私に教えて……」
アルマはひとつ息を呑んだ。
「このあとどうするの、アーダン」
名を呼ばれ今度は俺が揺れた。何故、揺れる?
だが揺れている。俺はアルマの問い掛けに足下から震えている。俺の望みは、新たなその、この世界に対する何かとは?
「ディータに会わせてくれ。謝罪を……いやそうじゃない。違うな、うん。その、感謝を伝えたいんだ。助けてくれて、あの時、俺を生かしてくれてありがとうって伝えないといけないと、俺はいま思っているんだ」
俺が答えるとアルマは微笑みそれから剣を鞘に納めた。その素早さに俺はオヴェリアの納刀も思い出した。
「それならいいわよ。執行猶予を与えてあげる。
でもね謝罪もしなさいよ。あなたは酷いことをしたんだから。古い知人が甦ったら絶望しきって死にたがっているとか、ガッカリを通り越して苦悩しているわよ。
御爺様は真面目だから自分は余計なことをしてしまったのではないかとさ」
「そうなのか?」
「そうなの! 普通だったら面会に訪れるでしょうが。それなのにあちらが会いたくないとか有り得ないわ。
会わせる顔がないといった面もあるわよ。むしろ謝りたかったのかも」
「だってディータは俺のことをあまり好きではなかったし」
「まったくもーあなたの感覚って古いのよ! まぁ五十年前のだからしょうがないけどさ。
あのさあの御爺様があんたと同じく五十年前の感覚を持っているわけないでしょ! ずっとずっと憎み続けることなんてそうそう出来ないのよ。どこか薄れるのよ」
「……本当にそうなのか? 人は、そうなるのか? そう、なれるのか?」
つぶやきに対してアルマは目を合わせながら俺の手を握った。
「生きていれば、そうなるの! かもしれないってことだけど、五十年後に自分で確認したらどう?
まぁそんなに恐いのなら私も一緒に行ってあげる。大丈夫よ御爺様って私のことに関しては激甘なんだからさ。手紙も書いておくわ」
「それはオヴェリアちゃんに似ているからだろうからな」
「へぇ~あなたも似ているって認めてくれるの?」
「……いや、やっぱり全然似ていないな」
「当たり前じゃない! 私は御婆様じゃないんだからさ」
「そうだな。本当にそうだ」
「やっと分かったのなら、よろしい。私を見る眼もすごく変わったしさ」
「えっ? 俺は最初っからそんなことは」
「はいはい、そういうの良いから、もうやめましょ。ねぇラムザもいいよね! このままアーダンと帰ってもさ」
「僕は全く構いませんがそれよりも呼び方の問題が出ましたね。
アルマもそんなに名前を連呼したら周りの目が集まりますってここだと有名人なんですし。というかヤヲさんは初めてアルマの名前を呼びましたね?」
「そうなのか?」
「そうなの! って嘘でしょ? なに? いままで無意識だったの? いやいやいやワザとでないのが信じられない。
意識的ならまだしも、どこまで私のことを御婆様と思い込んでいたのやら。そうよね、違う名前で呼びたくはないからお前呼びよね」
「あの、俺はそんなつもりじゃなくて!」
「だからそういうのは良いって言ったじゃない! つもりでなくても事実だけじゃない。
素直に認めないのはもうまるっとお見通しなのよ!」
「そんなことを言ったら逆にアルマも初めてヤヲさんの名前を呼んだな。やめてと僕に言っていたのにビックリしたよ」
「それはもちろん、だってさぁ……ねぇ、呼びたくないじゃない。あれをさ」
「なんで?」
「うるさいなぁ、そんなことよりもアーダン! どうやって帰る?」
「えっとそうだな……行きとは違う道で帰って良いかなアルマとラムザ?」
「おっいいですよ。なら線路から離れての旅になりますが、それでもいいでしょ」
「じゃあ是非ともそうしましょう。新しい道がいいわね」
「では違うルートでまだ俺達が知らない道を通って、帰るとしようか」
グラン・ベルン通信
『先日、ザク王室は第一次聖戦時の剣士ホリンの親類を発見したと発表した。容姿も故オヴェリア女王の証言と合致しており先王ディータもこれを認めたとのこと。またホリンの一族に関する新資料も発見されこれまでザク王族との関連が囁やかれていた謎の剣士ホリンについての歴史的な見直しが始まろうとしている。
現在そのホリンの親類はザク王室で客人扱いを受けつつその地にて茶の栽培を行っているとのことである。』
アフターアーダン 完
彼女の……そうあちらではなくこちらの彼女の手によって左頬への一撃、平手打ち。
衝撃によって俺は確信する。かつて受けたのとは違う痛みによってオヴェリアちゃんがここに現れたと。
いつもよりも強めであるのに特に痛みはなく、またこの行為が正当だということをどうしてか受け止められた。
「どうして……忘却を」
見上げる彼女の翠の瞳が燃えている。
濡れながら輝き炎をたぎらせていた。
「どうして私があなたを忘れることを願った!」
「俺が死ぬからだ」
「何を言っているのです!」
もう一撃のために振り上げられる彼女の右手首を俺は抑えた。二撃目は必要ない。もう十分に分かったのだから、いらない。
「俺は死に君はその先を生きるんだから、もう」
「なんでそんなに勝手なことを願うのです? それとも私がすぐに忘れるような女だと思ったのですか」
黙る俺に彼女は叫んだ。
「答えて!」
「……思わない、だけどそうしてもらいたかった」
「嫌です。できません、できなかった! そんなの分かっているでしょうが!」
睨みながら首をふる彼女に俺はまた言った
「そうでないと俺は苦しくて」
「ならそうですよ。苦しんでください」
翠色の炎が俺を見据える。
「私で苦しめ!」
俺の視界は炎に包まれた。
「それが私の望みであり幸いですよ。この子との記憶の共有で分かりましたが、随分と苦しみがらここまで来たようですね。
私は嬉しいですよ。すごく幸せです。でも勘違いしないでくださいね。生前の私はあの時から最後の時まで自分を可哀想だなんて思ったことなどありません。
一度どころか一瞬たりとも、です」
炎の中から彼女の声が続く。
「苦しみや辛さがあっても憐れとは思いませんでした。むしろいつかあなたが甦ると分かっていたからです。
生きているのなら必ずその時は訪れる。実際にいま、こうして訪れていますが……ですが、いま、私は、とても悲しいです。自分を憐れんでしまいそうです
あなたがまさかそんな願いを抱いていただなんて。私はいますごく痛くて死んでしまい……たい」
俺は左手の彼女の手を引き、それから眼の前の翠色の炎を抱きしめた。
死が、そこにあるのなら俺は抱きかかえないといけない。
死が、眼前のあるのなら俺は身を挺さなくてはならない。
あの時のように、俺はそうしなければならない。そうでないと、彼女は、この子は。
「ごめん」
俺は震える自分の声を聴いている。痛みと苦しみが胸元から湧いてくる。あの日のあの時のと同じ響きの声が出てきた。
「死なないでくれ」
俺の声はあの時のそれと重なり、あの日以来止まり続けていた時の秒針が動き出したのを感じる。ようやくあの時が終わり、その後が始まったかのように。
「俺の願いは……これなんだ。他は何もいらない。そしてそれは……叶ったんだ」
「……あなたは私を護る時にだけ、抱きしめてくれるのですね」
腕の中のオヴェリアは俺の背中に手を添えながらそういった。
「あの時のように。はい笑ってください。私って自分の死んだことさえ気づいていなかったのですよ。
そして分からなかったのです。気付かなければならなかった私の方だなんて師匠失格です。あなたが起こしてくれた奇跡を、私にもたらしてくれたというのに、ごめんなさい」
「それは仕方のないことで」
「それでも、気づかなくても、私はあなたのことを少しも恨みもなにもありませんでした。
きっとそれはあなたのによって命が繋がったからとというなのでしょう。
だから気付かず分からないまでも、あなたを私を救った英雄にしたのです。あなたがどんなに自分を否定しようとしても、私はそれを頑として撥ねつけます」
「だから俺はそんな存在ではない。聞いてくれ、いや知ったはずだ。俺がアグをホリンを苦しめてから死なせたことを。
その後にオヴェリアちゃんがやってきて……そうだ、そうなんだ、聞いてくれ。俺のその行動は自分の罪から目を逸らし逃れるためにオヴェリアちゃんを救ったんだ。
許されたかっただけだ。罪なんだ、そうであるから記憶から消したんだ。俺はオヴェリアちゃんに感謝される存在じゃないんだ」
俺の身体が震えている。声だけでなく俺という存在の震えが止らない。
身体がいや魂が震えているのだろう。その背中に添えられたオヴェリアの手に力が入った。
痛いぐらいに、痛さを覚えさせてくれるぐらいに、死を覚えるぐらいにそれは近づいた。
「そうです、それとは、別です。あなたは叔母様とホリンを苦しめる罪を犯しました。安らかな最期を迎えさせてくれませんでした。私の命の救済とは別にしてその罪は償うべきです」
「そうだ」
俺の身体と魂の震えは止まり始める。
「そうであるのなら、罪がまだ消えていないのだから、生きてください。
悔やみ続け嘆いてください、あなたはまだまだ足りない、全然足りません。あなたはいま自分の為したことをずっと誰も裁くものがいない世界にいるのです。
ですから生きるのです。あなたは満足に生きていないじゃないですか。いつか来る死のその時までその時はいつかは分かりませんが、今ではありませんよね?」
「ああ……いまではないな」
震えは止まった。
「必ずその時が来ます。約束の時がいつか訪れるのですから、だからどうかあなたは忘却を願わないでください。
それともなんです? あなたは私を忘れてと願ったら、ハイワカリマシタ! 返事をすると同時に簡単に忘れるのですか? 」
「忘れるはずがないだろ」
「だったら私もそうだとどうして思わなかったのですか?
思ってくださいよ。いいえ思うべきですし、あなたそう想わなければなりませんって。自分が想っているのに相手が想わないっておかしいですよ。
せめて願ってください。俺を殺して永遠に忘れないでいてくれと。なぜそう思えないのですか?」
「君は俺を殺したら永遠に忘れずに苦しむと思ったから。忘れて欲しいと」
「馬鹿な願いを、いいえ、忘れてあげません。
命を奪い取り永遠に忘れないことで、あなたは私のものになるだけですから苦しみと悲しみを抱えて生きるだけです。
それともあなたは私のこの想いから逃げたかったのですか? 駄目ですよ。こうやって魂だけとなっても説教しますよ」
「本当にやっているしね」
「そうです。私は勇者よりも龍よりもそしてあなたこと愚弟より強い師匠なのですからね。ですから自分にも相手にも忘却を祈らないで。
このようにその罪と共に私も傍にいるのですから。最後の時のあとに私達は待っています」
「わかった……」
「そもそもまだ実質的に全然生きてませんものね。
それはそうと、たぶんですけど私の心臓発作はアーダンさんの本来の自然死ですよね? 魔王に撃ち抜かれたのもあるでしょうけどそれでもなにか腑に落ちませんもの。
私の心臓って強かったのに妙に突然に痛んでしまって。不思議でしたよ」
「確かに俺もそう思った。すると俺の命はオヴェリアちゃんの本来の自然死とかで?」
「そうですよ、もー身体を大切にしてくださいよ。
おかげで私はどちらかというと早死にしちゃいましたよ」
「そうかな? 結構生きたと思ったけど。俺の村の長老とか六十代揃いだし」
「いやいやいやいや五十年前の価値観はやめてくださいって。まだやりたいこととかあったし、孫娘の結婚式に出たかったのに。
全部台無しですよ。代わりにちゃんと見ておいてくださいよ。あとで詳細を聞きますから。しかしもったいなかったなーえーそうなると逆にアーダンさんは結構な長生きになりますね。
まっ良かったですね。十分に悔いながら生きられますよ。毎日一回ぐらいは思い出してくださいね。
そうです交換しているつまり私達の命は繋がっているのです」
「そうなると自殺はできないな……」
「そういうことで、もってのほかです。あっ時間ですね。じゃあちょっと先に行きますよ。
ちゃんと修行するように愚弟さん。あとでまた、待っていますから」
その言葉を聞き終わると腕の中のものが彼女ではなくなったのが俺には分かった。
けどそれは消滅したということでもないことを俺には感じ取れた。
思えばずっと彼女の死に対して現実感が無かったような気もする。まだまだ思うことが多すぎるため忘れられない。
つまりはそういうことであったのかもしれない。
「これで旅はおしまいということですね」
声とともに俺の腕は自然に離れそれから腕の中の彼女もまた離れた。
見覚えのない澄んだ翠の瞳が俺を見つめ、それから刀が鞘から放たれ切っ先がこちらに向けられる。
「では全ての記憶を取り戻したのなら、もう語り終えたということなら、かねてからの約束通りにここであなたを終わらせましょうか」
そうだと俺はあの時の約束を思い出す。
過去を取り戻したとしたら、過去から今が完全に繋がったとしたら俺の人生はもうそこで終わりにして良いと。
全てを委ねると伝えていた。彼女の孫に対して、このオヴェリアの子孫である……
「アルマ、待ってくれ。頼む、殺さないでくれ」
俺は彼女の名を告げるとその剣先が揺れた。切っ先が揺れたことでその陰に入っていたアルマの顔が見えた。
動揺を押し留めようとするその意思と、滲み出て来るその好奇の念。
それはとてもオヴェリアちゃんに似ていた。だからか、声も上ずっている。
「なにを、待てというつもりなの? 待つってなにを? 何も無いあなたがこれからやるべきことがあるというの? あるというのなら、いったいなにをするのか私に教えて……」
アルマはひとつ息を呑んだ。
「このあとどうするの、アーダン」
名を呼ばれ今度は俺が揺れた。何故、揺れる?
だが揺れている。俺はアルマの問い掛けに足下から震えている。俺の望みは、新たなその、この世界に対する何かとは?
「ディータに会わせてくれ。謝罪を……いやそうじゃない。違うな、うん。その、感謝を伝えたいんだ。助けてくれて、あの時、俺を生かしてくれてありがとうって伝えないといけないと、俺はいま思っているんだ」
俺が答えるとアルマは微笑みそれから剣を鞘に納めた。その素早さに俺はオヴェリアの納刀も思い出した。
「それならいいわよ。執行猶予を与えてあげる。
でもね謝罪もしなさいよ。あなたは酷いことをしたんだから。古い知人が甦ったら絶望しきって死にたがっているとか、ガッカリを通り越して苦悩しているわよ。
御爺様は真面目だから自分は余計なことをしてしまったのではないかとさ」
「そうなのか?」
「そうなの! 普通だったら面会に訪れるでしょうが。それなのにあちらが会いたくないとか有り得ないわ。
会わせる顔がないといった面もあるわよ。むしろ謝りたかったのかも」
「だってディータは俺のことをあまり好きではなかったし」
「まったくもーあなたの感覚って古いのよ! まぁ五十年前のだからしょうがないけどさ。
あのさあの御爺様があんたと同じく五十年前の感覚を持っているわけないでしょ! ずっとずっと憎み続けることなんてそうそう出来ないのよ。どこか薄れるのよ」
「……本当にそうなのか? 人は、そうなるのか? そう、なれるのか?」
つぶやきに対してアルマは目を合わせながら俺の手を握った。
「生きていれば、そうなるの! かもしれないってことだけど、五十年後に自分で確認したらどう?
まぁそんなに恐いのなら私も一緒に行ってあげる。大丈夫よ御爺様って私のことに関しては激甘なんだからさ。手紙も書いておくわ」
「それはオヴェリアちゃんに似ているからだろうからな」
「へぇ~あなたも似ているって認めてくれるの?」
「……いや、やっぱり全然似ていないな」
「当たり前じゃない! 私は御婆様じゃないんだからさ」
「そうだな。本当にそうだ」
「やっと分かったのなら、よろしい。私を見る眼もすごく変わったしさ」
「えっ? 俺は最初っからそんなことは」
「はいはい、そういうの良いから、もうやめましょ。ねぇラムザもいいよね! このままアーダンと帰ってもさ」
「僕は全く構いませんがそれよりも呼び方の問題が出ましたね。
アルマもそんなに名前を連呼したら周りの目が集まりますってここだと有名人なんですし。というかヤヲさんは初めてアルマの名前を呼びましたね?」
「そうなのか?」
「そうなの! って嘘でしょ? なに? いままで無意識だったの? いやいやいやワザとでないのが信じられない。
意識的ならまだしも、どこまで私のことを御婆様と思い込んでいたのやら。そうよね、違う名前で呼びたくはないからお前呼びよね」
「あの、俺はそんなつもりじゃなくて!」
「だからそういうのは良いって言ったじゃない! つもりでなくても事実だけじゃない。
素直に認めないのはもうまるっとお見通しなのよ!」
「そんなことを言ったら逆にアルマも初めてヤヲさんの名前を呼んだな。やめてと僕に言っていたのにビックリしたよ」
「それはもちろん、だってさぁ……ねぇ、呼びたくないじゃない。あれをさ」
「なんで?」
「うるさいなぁ、そんなことよりもアーダン! どうやって帰る?」
「えっとそうだな……行きとは違う道で帰って良いかなアルマとラムザ?」
「おっいいですよ。なら線路から離れての旅になりますが、それでもいいでしょ」
「じゃあ是非ともそうしましょう。新しい道がいいわね」
「では違うルートでまだ俺達が知らない道を通って、帰るとしようか」
グラン・ベルン通信
『先日、ザク王室は第一次聖戦時の剣士ホリンの親類を発見したと発表した。容姿も故オヴェリア女王の証言と合致しており先王ディータもこれを認めたとのこと。またホリンの一族に関する新資料も発見されこれまでザク王族との関連が囁やかれていた謎の剣士ホリンについての歴史的な見直しが始まろうとしている。
現在そのホリンの親類はザク王室で客人扱いを受けつつその地にて茶の栽培を行っているとのことである。』
アフターアーダン 完


