それから私はあなたの名を叫びました。

 するとなんということでしょう。

 あなたも私を見るやいなやこの名を叫び駆け出してくれました。

 その声を聴いた瞬間にこの胸にこれまでにないすさまじい衝撃が来ました。

 すごい、待って、私の心に秘めた感情よ、抑えなさい!

 あの時からいまに至るまでに、このことを思い出すたびに胸に甦るあの衝撃と鼓動が鳴りやまない。

 それは痛みであり苦しみであり、あるいは限りなく死に近づいた瞬間かもしれない。

 さて、思い出したことから再検討します。これはどこから夢なのか? をです。

 私自身には白昼夢を見る癖は無く、あったのはあの一度だけ。

 そうなるとあの空間に幻覚作用が働いたか、または扉を開けた際に変な催眠術にかかったかのどちらかです。

 あとの調査で調べても扉やあの空間はそういった仕掛けはありませんでした。敵が周囲にいて私に掛けたということもない。

 だったらあの人が私に催眠術を……まぁ近いものは勝手に自主的に掛けられていますが、あの人は私にそういった気が無いので有り得ないことです。

 ここが本当に分からない。あの人は私の名を叫び駆け付けそれから抱きしめた。胸の痛みに痺れるような恍惚感、あれが死というのならなんという甘美なものでしょう。

 一生忘れられないことであり、いまもこうやって正確に再現できる夢。私の名を叫んでくれたことも抱きしめてくれたこともまるで夢。

 だってあの人はそういったことはしないのですから……するとしたらなんでしょうね?

 そうです。あれを夢だとして処理しているからここに思考が働かないのですよ。

 大切過ぎる思い出だからこそなにも手をつけずにいてそのままにしたい。

 私だけのものだからこそ、誰にも話さず分析せず綺麗なままにしておきたい。

 出来ることは少し形を変えてあの人の活躍として歴史に残すことだけ。

 これは封印した記憶、封印した夢、凍結した時、そういったものです。あの人が私の名を呼ぶ際は、なんでしょうか?

 会って嬉しい、は私の方の感想であってあちらの感想ではない。多少はあれども私ほどではないでしょう。これについても私の勝ちです。

 いつもと違って私の名を呼び捨てにして叫び駆けつけるとしたら……危機が迫っている時?

 危機とは……ああそうだあの時に私は魔王から逃走していたのでした。身を隠して上手くやっていた。魔王は私を殺しにかかっていました。

 ジーク殿と共に何度も斬りつけたので復讐心に燃えて私を滅ぼしたかったでしょう。

 まぁ滅ぼせなかったことで、私はジーク殿の御子息を戦士もとい勇者に育て上げ逆に滅亡させられたわけですし。

 私が生きていることがこの世界平和の実現に繋がったと考えれば、破滅した魔王としてはあの時に私を見逃してしまったのは痛恨の極みでしたね。

 あの敵味方を巻き込んだ滅茶苦茶な攻撃もそれが目的だったはずですし。危機はそれでしたし私は全てを回避していました。

 そしてあの人もその危機は重々承知しており、私に危機が迫っているとしたらそれは魔弾でありそして……胸が、痛い? えっ? どういうことでしょう? 

 この流れで魔弾を想像したら胸に痛みが、彼の私の名を呼ぶ声を思い出す際と同じ痛みがここに甦りました。

 それから意識が遠ざかっていく。これは彼が私を抱きしめた際の恍惚感に似ています。いや同じもの。

 そうです私はこのふたつを組み合わせて、崩れ落ちてきた柱から身を挺して守ってくれた彼の伝説を作り上げました。

 彼にとって相応しい伝説、我が王国の英雄です。

 私の作った創作が実は本物だとしたら……もう一撃を庇うために彼が私を覆い被さるように抱きしめたとしたら……それだとしたら……むしろそれ以外は考えられないぐらいに自然なあの人です。

 そうでなければ私の名を叫ばないし私を抱きしめたりはしない。私が望むその二つが同時に起こるとしたらそれになる。

 つまり私に向かってきた魔弾を避けるように彼が私の名を叫ぶも、その魔弾が私の胸を貫き崩れそうになるのを彼が抱きしめ支え、第二弾から守るために身を挺していたとしたら、混同していたとしたら、異なる二つのものを一つのものとしていたら……だったら傷痕は……あるのか?

 あります。

 それは目には見えない胸のくぼみ。いつの間にかできていたこれはあの時から?

 誰にも分からず私にだけが触れた時に感じて分かる違和感。まさにいつの間に生まれたこの変化の感覚。

 心当たりはまるでなくこれがもしも魔弾による直撃弾だとしたら……いままで気のせいだとして放っておいたこれがそうであるとしたら、じゃあどうして塞がっているの? 一瞬の治癒? いいえそれもない。

 心臓を貫かれて治ることは有り得ない。これは致命傷となるものであり治癒という段階の話ではない。

 死んだものをどうにかする話であり、これをどうにかするとしたら、それこそ奇跡でもない限りは……奇跡?

 龍の……奇跡? 何故私はここに連想づける? そんなはずはない。

 しかし、ディータの禁呪は龍を封印する可能性があるものであり、魔王との契約者に対するものではなかった。

 それにしても単なる魔王との契約者にしてはあの人はあまりにも強すぎた。

 私は幾人もの魔王の手下たちと戦ってきたが、あの人よりも強いのは誰もいなかった。匹敵するとすれば魔王であり、勇者であり、そして私でした。

 あの強さは魔王と契約した戦士のものではなく……勇者のレベルに達している。だからこそ私以外は対抗不能であり、ディータの封印でようやく収まった。

 何よりの証拠に魔王との契約者なら魔王の死でその効果は消滅する。

 あなたはこうしているはずがない。だからあの人は違うものとの契約を結んでいる。

 それは……龍? でもなぜあそこでそんなことを?

 そういえば魔王城で正体不明な龍の祠が発見されたのはもしかしてあの場所では? あなたは龍とそこで偶然に出会いそこで契約を……いいえ有り得ない。

 だってあなたなら奇跡を叔母様にもたらすはずですよ。叔母様よりも大切なものなんてあなたには……あなたには……私とでも?

 やめなさいオヴェリア。あの人は私にはそういう感情を抱いてはいない。あの人は心の底から叔母様を想っていた。美しいぐらいに愛していた。

 その叔母様を復活させられなかった事情があるとすれば、それは……ホリンの死、ですよね。

 もしやひょっとしてあなたはそのことに気づいてしまったのですか?

 叔母様の愛を。

 叔母様では無いのはすでにホリンが死んでいたために、彼が亡き世界に生きさせられなかったからでは。生を望まず三本目の線を入れることを拒んだからでは? 

 憐れで気付きが遅いあの人は知ってしまった。叔母様の心をあの時に、あの最悪で残酷な時に。

 そうであるから私を……魔王に心臓を撃ち抜かれた私を第二弾から守るべく抱きしめ、身を挺してそれから……龍との契約による奇跡で私を甦らせて……そんな、いえ、それもおかしい。

 だったらどうして私を殺しにかかっていたのですか?

 究極の矛盾です。生き返らせたものを殺しにかかるとか何を考えているのですかねあの愚弟は。じつにあなたらしい意味不明さです。造って、壊す、さてその心は?

 そもそも代償は何ですか? ジーク殿のような声もなくあなたはいったいなにを捧げたのですか?

 叔母様? だからそれは違う。叔母様はもう死んでいたはず。そうです、刺し殺したという件は『違う』ので目撃者である私はそれを採用せずに思考を続けます。

 そうでないとしたらあなたの次なる大切なものは……私とでも?

 私の命を捧げるために私を甦らせた? そんな馬鹿な話がありますか? いつも私を困らせていた愚弟に相応しい複雑怪奇な謎かけですね。

 だいたい私を倒せないって、あの人は他の誰よりも知っているじゃないですか……知っている?

 そうです、知っています。

「だから、なの?」

 私は口から言葉が漏れ出ました。あたかもそれが真実に辿り着いたからの証であるかのように。

 こんな異様なところに到達したというのに、私にはその場所を疑う余地が無かった

 そこは私とあなたしかいない場所。

 あなたは私のことを信じている。私の剣の力を心から信じ切っている。弟子入りの際に初めて見せてくれたあの美しい表情を私は今も忘れていません。

 私ならば自分を倒せると信じている。
 私があなたの心を信じているように。

 逆にあなたは私を倒せるとは思ってはいない。そんなことを思うはずもない。

 私達の関係は私があなたを倒せば完成するものであったとしたら、かつて私がそうしようとしていたように。

 逆に私があなたを倒せずに死んでしまったとしたら……そしてその時は確実に近づいている。あれからもう四十七年が経ちます。あなたの前では私は十五の娘と同じ心になれますが、身体はもう衰え切っている。

 このままだと先に私が逝くでしょう。そうしたらあなたはどうなりますか?

 復活を……する。

 するのですよね? 

 死んだ私を甦らせる代償が私自身でありあなたが龍の力を得て殺しにかかる、そんなあまりにも馬鹿げた話をあなたが選んだとしたら。

 全ては私の強さを確信するあなたがそうしたというのなら、私というあなたのことを特別に思う存在のままでいたからこそ、あなたは蘇らないままだとしたら……

 全てのつじつまが合います。私でなければ気づけぬこの境地。ならばその為の用意をしなければ。

 私が亡き後の世界に一人で取り残されるであろうあなたのために、望まぬ復活から絶望へと堕ちるあなたに、堕ちてばかりのあなたを救えるのはやはり私しかいない、いないのです。

 私の死はあなたと私達の関係の完成を意味しない。まだ、続きがある。

 どうか甦りそして捜してください、私の心を、どうか辿り着いてください。

 そこに、私はいます。

 いるのです。