ただしこれには前例はない。

 出来るかもしれないという可能性があるという伝説の呪文だ。

 そもそもあれは龍ではない。もしも龍の契約を結んでいたらあれは勇者となってしまう。

 だったら勇者の仕事をしろってんだ! 特定の個人の命を狙うこちらとしては人の妻を殺しにかかるだけの勇者ってなんだ? 
 
 いてたまるものか。

 だからそうではないのだが、しかしあれの力は勇者に匹敵するほどだから困ったものだ。まぁそこは魔王との契約があまりにもうまくいったと解釈するしかないのだろう。 

 もしくはあいつの邪悪さ故の力。

 龍の勇者にも匹敵する奇跡の力を有するのだからそれを封じる方法はこれしかない。

 だがこれは危険だ。理論は分かるしそれを可能にする力は僕にはあるし道具も用意できるが、実験は出来ずぶっつけ本番となる。

 効くかどうかも確信もなく命を賭ける、想像するだけでそのあまりにも困難かつことは分かると同時に我ながら理解に苦しんだ。

 どうしてそこまでしてしなければならないのか?

 どうして僕は……すると想像の中で彼女の顔が現れた。かつて僕がアーダンについて詰った際に似た表情がそこにある。

 いまでも彼女はあの顔をするのだろうか? もう何年も経って、もうこんなに長い時が経った。

 それなら、お願いします……と言ってくれれば。僕は首を振り魔術書を読み返す。

 オヴェリアは、そういう女ではないとそれは僕は分かっている。そしてこのことを相談したら喜ばずにやめてということも、分かっている。

 こうなったら自分の感情を優先しないことをよく分かっている。そう、分かっているからこそ僕は君の言葉に逆らい、僕自身の意思を、感情を、わがままを貫くこととする。

 君ではなく僕の意思で以ってことを行う。


 こうして決戦が始まった。

 あの男は今日も禍禍しく形となって現れし人災がそこに、邪悪な神がそこにいた。

 闇堕ちをした英雄といって良いかもしれない。軍での今後の歴史的な方針の中にこれのことも含まれていた。

 アーダン・ヤヲは先の聖戦にて英雄として戦い戦死をしたこととする。友であるオヴェリア・シャナンを庇っての死という美談として。

 なんという皮肉な話だ。

 二人の関係はこれほどまでにあべこべの逆であるというのに。この提案に僕は驚いたが反対はしなかった。

 君がそういうことにしたいのなら、そんな夢を見たいのなら僕から言うことなどはない。

 この魔戦士アーダンを歴史に残せないのならそうせざるをえないだろう。何らかの役目を与えなければならない。

 まさか愛したものと恋敵を殺し闇堕ちし、友をも殺そうとしたものとして残すわけにもいくまい。

 そうであるから妻の肚は決まったのだ。

 自身で闇堕ちをした友を救うという物語の放棄を、再び元に戻るという夢を叶えることをやめたことを意味している。

 一人で決めて一人でそれを受け止めようとしている。

 受け止め背負うものとは? それはあの男の死、そして抱くは罪悪感。

 ……だが罪とはなんだ、罪とは?

 オヴェリアは十年もの間にわたりお前を救おうと身体を張り命を賭してきたのに、結局お前はそれに報いずに彼女に死だけを与え、それからその先は罪として憑りつこうとするのか?

 お前に何の権利があってそんなことをするのだ?

 愛されているからそうしていいとでも?

 まぁそうだろうな、お前はそう思っていると考えても差し支えないはあるまい。

 己の罪を全うするために彼女を殺そうとして、そうでないのなら彼女の手で引導を渡して貰い救われようとしている。

 恐ろしいほどに甘ったれた依存心の塊そのものな思考と行動。

 まことにお前らしい

 そうでないかもしれないが、僕の目から見たお前はそういう存在だ。

 このことを彼女が知ったらどうなる?

 呆れるか反発をするか? しない。そんなことは絶対にしない。オヴェリアはその罪を背負い後半生を生きていく。

 新たな悔いと罪というものを背負い、アーダンの呪いを受けて生きる。

 あたかもそれを望んでいるような次の段階となるが、そんな生を僕は望まない。

 たとえ君がそれを望み受け入れても、僕はそうさせない。

 何故ならそれは君の人生ではあるが、君は僕の人生の一部でもあるのだ。

 そのような姿の君にはさせない。僕の望みはただひとつ、愛する君をそうはさせない。

 そのような姿にさせるつもりは絶対にない。僕はもうこの問題については第三者ではない、もう当事者の一人だ。ずっと前から、あいつと出会った頃からだ。


「ディータ? なにをディータ!」

 戦闘中の妻に僕は拘束系の術を使い動きを止めた。両者互角の戦いが続く中で、魔戦士アーダンは手負い状態で動きが鈍く現在は間合いを大きく取っている。

 このタイミングなら効果があるかもしれない。既に準備の結界は張り巡らせており、あの禁呪を発動させられるかもしれない。

「これより魔戦士アーダンを封印する!」

 僕はオヴェリアに宣言をし用意していた術式に取り掛かる。

 機会は一度だけ、失敗したら攻撃をした僕の身は危険であるが、それがどうした? それよりも大切なものがある

「やめてディータ! もういいのです! 私はこのままあの人をこの私の手で……完成させるのです」

 彼女の言葉が僕の中で爆発する。決着ではなく完成?

 あの日あの時あの場所で生まれたそのままの炎がこの時も変わらず心中に渦巻く。

 その言葉には彼女の奴への純粋な愛しかない。僕の炎を生みだしたその真心がそこに、ある。

 そうだこれは君の奴への愛によって僕の中で生まれたもの。その火種は消滅せずに僕の中にいつまでもあった。

 消えないということは僕はずっと負け続けてきた証であるのかもしれない。

 僕はあの男との勝負にずっと負け続けてきた。それどころか戦いにもなってはいない。奴は僕を敵だと認定していないのだ。

 そして僕はこの戦いに勝てるかどうかは分からない。それでも僕は初めて勝負を挑む。最初で最後の戦い、そうでなければならない。

「黙れオヴェリア! 君に殺させはしない!」

 自ら殺めることでその愛を完成させはしない。そうさせないことが僕の勝利であり、僕とあの男との因縁の決着とも言える。

 因縁? と僕はその時はじめて気が付いた。

 僕は無意識にまたは意図的に考えなくしていたが、僕もまたあの男にずっと支配されていた。

 あの男の陰にずっと悩まされていた。だからこれはもともと僕とあの男の戦いでもあったのだ。

 妻とあの男のは愛ゆえのものであるが、僕とあの男のは憎しみと怒りによるもの。

 だから本当に戦わなければならなかったのは、命を賭けなければならなかったのは、その方法が見つかったのなら、対峙するのはこの僕でしかない。

「勝負だアーダン!」

 僕はやつの名をはじめて呼び四本の指を立て術式を展開させる。

 龍の封印は四段階あり、薬指を曲げる一段階から小指を曲げる二段階へとすぐさま移行させた。

 すると効果が現れだしたのか、あのあらゆる拘束呪文をはねのけてきた魔戦士アーダンの動きが鈍くなり、止った。

 伝説では神をも龍をも封印できる禁呪、これでようやく効果があるというのならアーダンよ。

 お前はいったいになんであるのか?

 魔王との契約で闇堕ちした分際で、龍の血を引く勇者に匹敵するとでもいうのか?

 そこから人差し指の曲げる三段階に移行すると僕の全身は痛みで軋みだした。

 痛みで震え血管は破裂しだし口からは血の味がした。禁呪の反動か? もう限界か? 封印を完成させる最後の指が抵抗が掛かったかのように曲がらない。

「もうやめてください! あなたが死んだら、あなたまで死んだら私は」

 彼女の嘆きを耳に入り振り返ると泣き顔のオヴェリアの顔に一本の縦線が入っている。幻視だ。彼女はあの死の入れ墨を入れていないし、アーダンが死んでも入れはしないが、僕には嫉妬から見えるだけだ。

 僕だけに見える愛の証、そんなものを。

「見てたまるものか!」

 僕は曲がらぬ最後の中指を左手で掴む。曲がれ曲がれ、曲がらないというのなら、こうするまで。

「曲げる!」

 僕は吠えながら中指を左手でもって折り曲げ、いやへし折った。

 瞬間的な激痛はすぐさま快感に上周り僕は意識が遠のきながら叫ぶと眼前が真っ赤に変わりゆく光景の中で最終の第四段階へと術式が展開されていく。

 すると魔戦士アーダンが全身から金色の光を放ち、僕の方へと目を向けこちらに飛び出してきた。

 剣を僕に向けての突撃、僕を敵だと意識した、ついにしたのだな!

 近づいてくる剣の切っ先を見つめながら僕は奴の顔を見た。

 憎悪で歪み光る眼でこちらを見つめているのを見て僕は笑った。

 歓喜で全身からかつてないほどの力が漲って来る。僕はお前のその顔を見たかった、その目を見たかった、その心が欲しかった。

 お前にその目で見られたかった。そうだ、だから、僕の勝ちだ。

「禁ッ!」

 奴に突き出した掌の親指を閉じ術式の完成を宣言すると魔戦士アーダンの全身はクリスタルによって包まれ封印されだすも、最後に投げ出された剣が僕へと向かってくる。

 それは狙い過たずに僕の胸へと突き刺さるだろう。

 だが勝利した僕のこれが運命であるのなら……もはや、と観念すると身体が宙を浮き衝撃が背中に来た。

「あなた! 大丈夫ですか!?」

 オヴェリアの声がし彼女の涙に濡れた表情を見た。どうやら拘束の術が切れて動いて僕の救出に来てくれたらしい。そしてその顔には縦線が走ってはいなかった。

 その背後にあるあの男の姿が目に入る。クリスタルの中に封印された魔戦士がそこに、禁呪の完了がそこに。

 アーダン、お前はそうあり続けろ。

 目覚めないのなら死なずに生き続けるのだ、それがオヴェリアへのせめてもの償いだと僕は満足しながら気を失った。