彼方の天から美しい悲鳴と凄まじい爆発音との合奏が地上へと降り注いできた。

 一階の階段前にいる俺はその声を初めて聞く……いや、以前どこかで聞き覚えがあるものの、それでもすぐに分かった。

 そして俺以外の誰もがすぐに分かっただろう。

 これはジーク様の叫び声だと。これが勇者の断末魔だと。

 敗北と死によって龍の契約が解除されたためにその代償が返還されたのだ。

 ジーク様にとってそれは声であった。

 よってあの叫びは魔王に敗れてしまったことの証……なおも爆発音が響く。

 しかし魔王が勝利したというのにそのような気配はどこにも感じられない。

 このまま勇者パーティーの他のメンバーを倒すつもりか?

 いいや、この様子はそうどころの話ではなさそうだ。

 何故なら上の階からは数え切れないほどの沢山の足音が鳴りながら泣き声や怒号と共に降りてきたのだ。

 まるで魔王軍の方こそが敗れて逃走を開始しているように。

 事実、敗北という混沌がこの城全体を包んでいる。勇者のか? または魔王のか? それとも両者が?

 またもや爆発音。魔王は誰を攻撃している? 何と戦っている? 勇者ジーク以外の誰と?

 連続的な爆発音に地震。魔王城は破壊の渦のなか崩壊が始まっているようである。

 魔王自身によって、勇者の死による終わりから城の破壊がはじまったのだろうか?

 俺のいる一階にまで降りてきた魔王軍の近衛兵たちは、息も絶え絶えでありその目は恐怖一色、俺の方を見るがそれ以上は何もしない。

 俺どころではない、敵どころではない、いまは逃げることで精一杯であり、戦闘をする気にもならないという気持ちなようだ。

 後続してくる声達。助けを求める声、注意を呼びかける声。逃げろ、助けてくれ、あの方から離れるんだ。

 なにが起こっているのかどうなっているのか把握できないものの、予感通りに勇者と魔王の戦いは終わり、新たな戦いが始まっている。

 次なる戦いの敵は魔王ではなく混乱という名の死の津波がこの魔王城の支配者となったようだ。

 大いなる災厄が生きとし生けるものを呑み込もうとしている。もはや敵も戦闘もなく、いかにして生き残るのかが問題となっているのだろう。

 正門へと続く出口に向かって殺到していく魔王軍の兵士達を見て、俺の周りに集まった待機組が事態を呑み込めず、あるものは呆然としまたあるものは出口に向かっているなかで、俺は一人で階上へと駆けだした。

 ここからは俺の番だと思うより前に動き出す。俺が行かなければならない時が今であるという確信のもとで。

 階上からは魔王軍の兵が慌てふためきながら下ってきた。だがお互いにもう無関係であると認識が済んだように視線すら合わせない。

 もう戦闘は完全に終わった。どうやって生き残るかの戦い。

 この先はただの災害地であり善悪の彼岸であるのだ。

 自己を最優先し生き残るか、それとも他の誰かを助けに……そうだアグをオヴェリアちゃんを。

 二階から三階へと昇りいくなかで降りて来るのは魔王軍の兵士だけ。

 味方の姿が一切見えない。ジーク様の死はそのままパーティー全滅を意味したのか?

 誰か一人でもいないというのか? 

 アグは……オヴェリアちゃんは……ノイスやアレクは、あれは!

 四階へと向かう階段脇通路の途中に見忘れるはずがない赤と緑の鎧の二つがあり、俺が駆け寄って見るとやはりあの二人だ。

「アレク! ノイス! しっかりしろ」

 全身が血まみれで意識が朦朧としているのか二人の反応は緩慢であったが、しかし俺だと認めると頷いた。

「ジーク様が、敗れた」

 ノイスの言葉に俺は衝撃を受けるが、耐えた。予感が的中した。それだけのことだ。戦いには敗北も死もあり覚悟と共に受け入れそしてこれからのことだ。

「だが……勇者の剣を回収してきた。受け取ってくれ」

 アレクが片手でそれを渡してきた。彼の片腕はどこにもない。それはノイスも同じでありそれどころか脚すらなく、もう……

「俺達はここまでだ。それを御子息様まで届くよう、頼む」

「任せてくれ」

 もう掛ける言葉はなく俺は頷き、そして走った。振り返らない、彼らの戦いはこれで完結したのだ。

 この剣が御子息様に届き将来の魔王への再戦に繋がるのなら、そのことで以って彼らの名は英雄として永遠となり生き続ける。

 二人は死なずに生き続ける、そのためにはこれを絶対に確実に届けさせなければならない。

 俺が更なる大混乱状態の一階の大広間に到着すると、大扉から外で陽動作戦を担当していた隊が逆流して入ってきて、その先頭に立つオルガ様の姿を見つけ人波を掻き分け急ぎ駆けより叫んだ。

「ジーク様の剣です!」

 その一言を聞いたオルガ様は目を見開き、それから涙を流しだした。悟ったのだろう。

「分かった。これを必ずや御子息様の元へと運ぶ。そしてご苦労だった」

「違います、これはアレクとノイスが命を賭けて俺に預けてくれたものです。名誉は彼らに、彼らの命とさせてください! 俺は、何もしていない。だから彼らと列なるわけにはいかない」

 オルガ様は頷きそれから告げた。

「剣の輸送に人数を割くが救助作戦も同時に行う。後方待機の者たちも寄こす。アーダン、お前はもういい。後方に」

「できません! 失礼します!」

 呼び止める声が聞こえるも、俺はその命令を聴くわけにはいかない。階段を駆け昇りだすと天から光線が大広間に降り注ぎ、そこはたちまちに阿鼻叫喚の地と化した。

「なんということだ! 退けっいったん退くんだ!」

 オルガ様の一時撤退の声を背中で聞きながら俺は階上へと昇っていく。

 その間にも雨の如き降り注いでくる光線は後方へと流れていく。そう、俺にはどうしてか当たらない。かすりすらしない。

 幾千もの滅びの光のその全てが俺を素通りし俺自身にまるで当たる気がしない。

 何らかの奇跡が起こっているのだ。

 俺の使命のために何かが俺に奇跡をもたらしているのかもしれない。だから俺の足は止まらない。

 行先は天辺の魔王の間か、それとも途中か、あの二人のために俺はこの奇跡のなかにいる。

 あの二人はどこに? アグやオヴェリアちゃんがまだ階段を降りていない。

 生存者の大半はもう既に階段を降りたのか、それとも取り残されたのか最上階の一つ下の階の大広間には人がもういない。

 動いているものがいないということだ。

 頭上の階からの破壊音とこの階の静寂さが奇妙な感覚に陥らせてくれる。観察するも、そこにはもう動けぬものかまたは戦死者であり、または誰かを待つもので……

「アグ?」

 目に付くと同時に俺は駆けた。壁にもたれかかり座っている彼女がそこにいた。血に塗れているが息は、している! 生きている!

「アグ! しっかりするんだ!」

 俺はぐったりとしている彼女を抱きかかえて走り出すとうわ言が聞こえる。

「君か……私よりホリンを……頼む」

 俺の頭に血が昇るがそれでも堪えてから返した。

「まずあなたを安全な場所に避難させてから捜しに行くから」

「先に、探してくれ」

「駄目だ!」

 俺は怒鳴った。何を言っているんだ? アグはいったい何を言っているんだ!

「ホリン……ホリン……」

 アグは名を呼び続けているのを聴きながら、俺は苦しみの中で彼女を抱え階段を降りていく。

 一階の大広間は魔王による滅びの光線がなおも続き死と混乱に満ちており、そこには近づかずに先の調査で見つけた誰もいない例の空間に連れて行き彼女を横たえさせた。

 この場所と出口は連絡係に伝えてあるからやがて後続の部隊が来て負傷者の治療と輸送をしてくれるはずだ。

「ホリンは……オヴェリア様を捜しに最上階に戻った」

「分かった、そこに行く」

 俺は耐えながらそう答えた。

「オヴェリア様にもしも……彼にも何かがあったら私は……頼む彼を助けてくれ……死なせないで」

「……必ず連れて来る。だからアグ、戻るまで絶対に生きていてくれ。あなたは死んではならない」