ザク王国。

 先代オヴェリア女王は三年前に死去し現在はその嫡男が王位を継ぎ統治されている。

 オヴェリアには三人の息子がおり、アルマはその三男の娘であった。

 彼女の血縁関係上では唯一の女子であり、祖母としてのオヴェリアはその貴重さから殊の外アルマを可愛がり自分の生き写しのように扱っていた。


「それが今回の騒動に繋がりましたが。まぁあれぐらいされて良い薬になったでしょうね」

「薬? 彼女はなにか病気でもあったのか?」

「病気、ふふっ、いえ、それはこちらの事情でして」

 城の一室にて黒髪の青年が謎の含み笑いを浮かべながらお茶を用意してくれた。

 彼は俺に色々なことを説明してくれた。

 俺が知っている世界のその後のことを。それにいまのことについても。

 だがここがザク王国だとはまだ現実感が無い。

 オヴェリアちゃんに故郷の話をよく聞いていたため知っているのに知らない国。

 まだ知識と現実が重ならない。

 重ならないのだと俺は彼の顔を見ながら認識の不一致を思うばかりだった。

 彼の名はラムザというが、その顔はディータなのである。

 自己紹介で彼は次男の子で、つまりディータの孫だと名乗るもまだ実感が湧いては来ない。

 そして先ほど平手打ちをした相手であるアルマも同様にオヴェリアの孫娘だとはまだ認識を一致できていない。

 そのうえ二人が従兄妹同士の婚約者関係であることがまた混乱のもととなった。

 それはかつてのオヴェリアとディータの関係の繰り返しのようであって。

「あいつは自慢なんですよ。自分はザク家で唯一の御婆様の血を引く女子だということがね。
 子供の頃から生き写しだのなんだの言われ続けてきて、たまに自分が偉大なる御婆様と一心同体みたいなことを言い出しましてね」

 一心同体? とその言葉を聞くと俺は息を呑んだ。

 あの時の驚きはそれに由来するのか? だが俺は、あの時に確かに。

「……似てはいないな」

「良い言葉ですね。とても良い、あなたにそう言ってもらえるとね。ありがとうございます」

 呟きに対してラムザは満面の笑みで以って頷いた。

 俺は少し落ち着いてきた。ラムザは顔こそディータに似ているが性格がかなり違うなと。あいつは俺にこんな顔をしたことがない。

「他ならぬあなたが言われるのならさぞかし説得力がありましょう。
 あの頃の御婆様のことをよく知っているのは今ではほぼ存在いたしませんからね。
 御爺様だって記憶の中で美化されているでしょうし」

「ほとんどが……魔王城で戦死したようだからな」

 俺が呟くとラムザは口を閉じた。なにも返すことはできないのだろう。

「あっ悪かった。気にしなくていい。
 君みたいな若い人には五十年以上前の戦いについては歴史以外のなにものでもないからな」

「いえ、こちらにとっては聞いたり読んだりするという意味での歴史ですが、当事者の一人であるあなたにとってはついこの間な感覚となるわけですよね」

「そこは微妙にそうでもない。封印はされていたが、途中から感覚としては長い時間が経過したというものがある。
 意識は途切れ途切れで断片的であり目覚めたいまはそれらは一切の夢のようだ。
 しかしそれでもあの戦いが昨日とか最近だということはない。数年……三年前とかそんな感じになるか。
 まぁ起きている時は過去の記憶を思い出し続けていたのもあろうが」

 俺のとりとめのない述懐や感覚に対してラムザは首を捻る。

「うーん、ある意味で実感が持てないだけではないですか? 
 あなたは魔王との契約によって身体と魂が取り込まれそのうえ記憶まで奪われていた。
 そうであるからいまの状態がとても不安定な精神状態であるため死を願っているのではないかと?」

「いいや、精神状態は安定しているよ。俺はとても落ち着いている」

 俺はそう言うと椅子から立ち上がり窓へと向かいそこから空を見る。

 見る、その初めて見る空の色を。

 異国の自分の場所ではない土地の空気を。彼女が教えてくれたものを確認している。

「ここで目覚めて良かったのかもしれないな。
 ここなら故郷だと錯覚するものは無くその変化に気付かない。
 それとなラムザ君。分からないことが一つだけある。なんで俺は生きているのだろうな」

 背中越しに動揺が伝わるも俺は振り返らずに続ける。

「俺は死を望んでいる。もとから死んでいたも同然だからな。
 魔王側に堕ちて敵となったものは倒されるべきであったのに、どうして彼女は……オヴェリアちゃんは、ディータに封印させて五十年近くも生かしておいたのだろう?」

「罪を自覚させる為よ」

 声に反応し振り返るとアーダンはまた、見た。見てしまった。

 扉を開けて部屋に入ってくるそのオヴェリアと同じ姿を。

 そしてすぐにそれがいつかの幻ではなく現実のアルマだと気が付いた。

「御婆様はあんたに自分の犯した大罪について自覚させ、その罪に悔いらせ、そして静粛に死を迎えさせるために生かし続けた。
 それ以外にはないわ」

 指差してくるアルマの指先に対して俺は動けない。

 首を振ることも頷くこともできずただそれを見ているとラムザがその指を取った。

「やめろアルマ! お前もさっき聞いていただろ? 裁判で無罪だと」

「いいえ! こいつは御婆様を暗殺未遂以外にも大罪を犯しているのよ! 
 それがなにかを当の本人である、あんたは分かっているはずよ!」

 アルマの言葉によって俺の脳裏に一つの光景が広がった。

 そこは薄暗い冷たい洞窟のような広い一室。魔王城の地下。

 霧がかった記憶が再生される。俺の手には剣の柄が握られていて、そしてそれを引き抜く。

 その剣をどこから抜くのか? それは……眼下にあるそれは……

「黙っているのなら教えてあげる! あんたはアグ・リアス大叔母様を刺し殺した、これは事実よね! 
 御爺様はその現場を見たと教えてくれたわ! だから死刑を望んでいると!」

 声と同時にそれを俺は認識した。記憶が甦りその部分だけが再生される。

 自分の剣をその胸から引き抜いたということはつまり。

「アグ大叔母様を剣で刺し殺し、そして御婆様へと襲い掛かった! それがあんたの裏切りの始まりなのよ!」

「よせアルマ! まだはっきりしていることではないだろ! 彼だってそこの記憶が」

「事実だ」

 俺が答えると二人は沈黙した。意外な言葉であり告発した者も制止したものもそれ以上何も言えない。

 そのまま彼女の二人の孫に対して再度自らの口で告げた。

「俺はアグを刺した後にその剣で以ってオヴェリアちゃんに襲い掛かった。いま、少し、思い出した。
 そしてその時に俺は……闇に堕ちて魔王と契約したものとなったのだろうな」