俺は、睨まれている。

 さっきからずっとこの男に……眼鏡をかけた男にがんをつけられているわけだが、その経緯はこうである。

 今朝俺は用があってオヴェリアちゃんの元を尋ねた。昼頃に旦那さんが来るみたいだね、と告げると彼女の反応が無かった。

 心、ここにあらずといった態となり無言。

 いつものハキハキとした彼女にしては不自然な反応。だから俺はもう一度尋ねた。

「ご主人がくるようだよね」

 言い直しても、駄目。

 返事がない。しかばねのようなのである。これって無視されているということ? 今日の嫌がらせのメニューはこれか。無視とは珍しいな。

 それとも俺は言ってはいけないことを言っているわけ?

 それならなんでなんでそうじゃないっていつものように嫌味とともに返さない?

 おかしい? 今日の彼女は特におかしい。いつもだってちょっとおかしいわけだが、これまでにないおかしさ。

「これこれアーダンよ、婿を相手に旦那やご主人とは言わないものでな」

 振り返るといつの間にか後ろに立っていたアグが微笑んでいる。

 スッと刻まれた二本の刺青が真っ直ぐに縦走る美しいその顔に俺を見つめる紅の二つの光。綺麗の一言で済まさざるを得ない心地よき屈伏。

 心なしか今日は機嫌が良いみたいで、嬉しい。

 俺の心は晴れたうえに疑問も解消した。

 そうかオヴェリアちゃんが女王であるから、嫁に行くのではなく婿を取る関係だ。

 家の主人とは彼女であるから必然的に彼氏の呼び方も違ってくるわけで、なるほどこれは俺の失言だった。

 お大尽というか貴族はめんどうなものだ。

「オホン、失礼。今日はオヴェリアちゃんの婿殿というか夫さんが来るようだね」

「あっはい……」

 反応してくれたが弱々しく彼女らしからぬものに俺はまた不安となる。触れてはならない話題であったのか? もしかして婿のことが嫌いなのかしら? 

「しかしどうしてあなたが知っているのだ? このことは私たち二人とジーク殿やフリート殿といった一部のものしか知らないことであったのに」

 そうかそうかと俺は納得する。知らないものが知っていたらそら反応に困ることだ。

 国家機密漏洩問題と言っても過言ではない要人の訪問であるからな。

 そういえばホリンもこれは内密にだがと言っていたが、この二人にならいいだろ。だってその当事者同士だし。

「驚いたろうがこれはホリンが教えてくれたんだ」

 言うやいなや突然オヴェリアちゃんから禍々しい怒気が伝わってきた。

 黒い闘気がこの俺にだって見えるぐらいだ! なんで急に怒ったの!

「へぇ~道理で、だから知ったのですね。オホホッ……彼はなかなかのお喋りさんで仕方がありませんね」

 黒き闘気の中で壮絶に微笑むオヴェリアちゃんに後退りし俺はアグの背中に隠れた。どこかに失言があったとでもいうのか? 俺が知ると困ることがあるのか? いや無いよな。

「まぁ知ってしまったからにはしょうがない。アーダン、あなたもディータ殿のお出迎いに参ろう」

「叔母様!」

 咎める声がするが俺はその声の主の前に出られない。なんか、怖い。

「まぁまぁオヴェリア様。アーダンは我々の身内といえるじゃないか。この間の話もしたように、ここは紹介するのがとても大切だ。
 あなたもそう扱っていたわけであるしな。ディータ殿も自分の伴侶の知人どころか、弟子がどのような人物かはすこぶる興味があるだろうし」

「でもディータにいきなりアーダンさんをお会いさせるのはちょっと……」

 待った。俺って人前に出すときに高度な政治的判断が求められる存在なのか? 家族会議で採決が求められちゃうの?

 あまり人前に出してはならないタイプだったのか? 公の場に出すと失笑を買われる存在なの? 

 そう扱われるのは不当だ。自分の名誉に関わる。

「いや、オヴェリアちゃん! 俺をそのディータとやらに会わせてくれ!」

「ええェっ!」

 声が裏返るとは彼女にしては意外なほどに驚き慌てている反応を見て俺は更にやる気を漲らせた。

 オヴェリアちゃんの夫の前で立派に振る舞いをし見返してやる。いくらなんでも馬鹿にし過ぎなのである。年下の十五歳の癖によぉ!

 二人だけの稽古の時はいくらでも馬鹿にしてもいいがアグの前では多少は控えていただきたいし。もう取り返しは付かないのだ。

「本人もやる気があるし良いことですね。では後ほどに」

 それに加えてアグも俺の良い所を発見してくれるだろう。良いことしかないな、これ。やらない手は無しだ。

 このことを教えてくれた点だけは俺はホリンを褒め称えるのもいいかもと俺は思った。他は一切駄目であるがな。


 そしてその時が来た。

 広場には東方の僧侶一団が椅子に座るオヴェリアちゃんに跪き、その中から一人の少年……いや青年か、身長が低めでそう見えたが、顔には鋭さがあり整っており眼鏡をかけその全身に活気を漲らせた見るからに利発そうで凛々しいが、結構に神経質そうだなと俺は観察しそれから分かった。

 彼がディータであり彼女の伴侶だと。そして彼は口上を述べるがその堂々たる態度にその声の大きさに俺は圧倒され感心した。

 明らかに出来る男! そうかこんなに立派な男だからオヴェリアちゃんの夫に相応しいのだなと。

 なんだよこれに会わせたくないってオヴェリアちゃん一流の意地悪のつもりだったのかなと俺は思った。

 やれやれ嫌がらせにも程がある。

 今度はオヴェリアちゃんが立ち上がり口上を述べる。

 これもまた堂々たるもので、いつものおふざけがまるでないまさに王者の風格すらあるというか、実際に女王であるから当然だがそれでも立派で見直してしまった。

 いつもは十五の意地の悪いクソガキなのに今だけ年齢を超越した大人の女にしか見えない。

 こうして一連の儀式が終わり部屋に戻ると、まだオヴェリアちゃんは女王モードなのか冗談やおふざけが一切ない。

 ということはここに彼が。

「失礼いたします姫」

 アグに付き添われたディータが現れた。

 姫とは誰だ? と俺はあたりを見回したが、アグからそしてオヴェリアちゃんに目が行き、了解した。

 こんなんでもお姫様だったな、と思い少し微笑んだところ何かに射られた。

 彼の視線が俺を射抜いている。なんだ? そのナイフのような一瞥! どうしたんだその表情は眼つきは?

 にっ睨まれている? どうして? まだ一言も口を利いてすらいないのになんでだ?

 まるで俺という存在に対して疑念を抱いているような。誰だお前は? と咎めているようで、まぁ確かに俺は誰だよになるわけだが。

 二人は型通りの挨拶をした後にオヴェリアちゃんが俺の紹介をし出した。

「私の弟子のアーダンです」

「弟子のアーダンです」

 ここではこうしかないなと俺は頭を下げた。

 弟子でないならここにいる理由はないし、そうでないなら正体不明のなにかだからな。

 だが彼の視線に変化はなかった。返事はない。なんでだ? 俺は弟子以外のなにものでもないぞ。

 まさかそれを認めたくないとか? なんだろう? 

 ザクには何か特殊な師弟関係のなにかがあるのか?

「弟子、ですか……」

 辛うじて出たというような呟きを俺は聴き逃さずに勢いよく返した。

「はい弟子です! いつもオヴェリアちゃんにはお世話になっております」

 そう言うと彼の後ろにいるアグが嬉し気に微笑んでいる。

 ならば完璧でこれで良かったのだな、と俺は満足していると、彼のこめかみに血管が浮き出ているように見えた。

 そもそも顔も真っ赤になっている。

 どうした? 落ち着いてくれ、あっ呼吸するのを忘れているのか?

 指摘した方が良いかな。大丈夫? 息をしなよって、すごく馬鹿にした感じになるが、呼吸をし忘れるってすごくお馬鹿さんだよなと、俺は混乱していると隣から乾いた笑い声が聞こえた。

 オヴェリアちゃん? と俺は振り向くと目が合った。

 とても、無理をして笑っている彼女の表情がそこにあった。

 オヴェリアちゃんもそういう表情するんだなと俺は驚いた。やはり夫の前だと年相応に幾分か緊張するのだろうか。とても苦しそうだ。俺の心も少し苦しくなる。

「もっもぉ駄目ですよ弟子! そんな愛称呼びをしちゃ」

 えっ愛称ってなんだ? オヴェリアちゃんとは愛称じゃなくて、お師匠と呼べないというこの余白のスペースではとてもじゃないが書き切れない複雑な事情の産物であって、その一言で片づけるのは雑過ぎるというか、いや、そこは知っているでしょ? 話してはいないが、なのになんで?

 大体俺はオヴェリアちゃんを他の呼び方で呼んだことが無いからそれは愛称にすらならないんだが。

 あるとすればクソガキか? それともなに? 夫の前だからちゃんづけはやめて欲しいってこと? 大人に見られたいということかな?

 もー子供みたいに、いや子供だからか見栄を張ってまったくめんどうだなぁ、ならこの場だけそのご要望に応じるとしよう。

「あっああすまないオヴェリア。彼氏の前で君を愛称呼びするべきではなかったな」

 答えるとアグが口に手を当て腰を曲げている。あっ声を殺して笑っているんだ。

 アグが楽しんでいるのなら良かった。俺にとってそこはとても大切なところだし。

 彼女の喜びは俺の喜びといったもの。

 一方のディータかというと、顔から血の気が引き真っ白となり血管も収まっている。

 息を止めているのを思い出したのかな? なら良かった落ち着いたかと安堵していると彼はこう言った。

「では、失礼します」

 深々と頭を下げそれから俺の眉間に向かって恐ろしい悪意の一瞥を喰らわせ彼は去って行った。

 俺は呪術をかけられたかのようによろめくなか彼と一緒に下がっていくアグの背中と共に見送った。

「彼はどうしたんだろ?」

 まるで分からない奇妙な彼の行動についてそう述べると、オヴェリアちゃんはこちらに笑顔を向けた。なにか諦観さすらあるやれやれな微笑み。儀式で疲れたのかな? お疲れ様でした。

「アーダンさんはまぁ気にしなくていいですよ。彼はちょっと気難しいところがありまして」

 そうなのかと俺は納得した。そのことをオヴェリアちゃんも知っているのなら何も問題はないな。

「じゃあ気にしない」

 こうして俺とディータとの初顔合わせは終了した。