「愚弟よ、そうグテーイ!」

 俺は闇のなかで言葉責めを喰らう。師であるオヴェリアちゃんからである。

「やいやいこの愚弟! お前んところの地域ではお師匠ちゃんとよぶ習慣でもあるっていうのですか? 白状せよ」

「あるわけないだろ、そんな変な習慣が」

「アルワケナイダロソンナヘンナシュウカンガ? 現に、ここに、眼の前に、あるじゃないですか! 
 ならなぜそんなことをしているのか、詳細に述べよ」

「いろいろとあるんだ。その命題の真に驚くべき事情というものがあるが、この余白が狭すぎるのでここに記すことはできないんだ」

「余白ぅ? 白紙同然の頭の癖によくもまぁ最終定理みたいなことを言ったもので。なら私がその余白を埋めてあげますよ! 私を師と呼ばずにちゃんづけしているその心、大丈夫ですよアーダンさん。
 私はちゃんと察してあげていますから。書くほどのことが無いから書きたくないことは分かっておりますって」

「いや、それはその」

 俺の言葉を遮りながら彼女は笑いながら言う。

「年下の女の子に向かって師匠と呼びたくないし弟子とも呼ばれたくない、これですよね。
 男の沽券に関わるとか外聞が悪いとかお友達には見られたくないとか。分かっていますよ分かっています。男として弱さを認めたくないという思い、同郷の男達から軽んじられたくない、分かります。だからこそオヴェリアちゃんと呼ぶことによってプライドを維持させている。
 師はちゃんとあなたの心が分かっていましてよ。はいこれで余白は満たされましたね」

「話を聞いてくれ、その、それは」

「なら私のことを師と呼びますか?」

「呼べる。その、オヴェリア師……」

 闇のなか失笑が響きハリセンが頭に当たる。

「語感が悪い! やり直し! いいえやり直さなくていいです。ここで無理矢理呼ばせてあなたの反感を買ってもしょうがありません。敢えて余白は満たさずそのままにしておきましょう。そこには余裕が発生し関係性に心地良さが産まれますもの。
 私は未来の王として人情も詳しいのですよ。もちろん異性の心もです。人間はプライドとこだわりと被害妄想によって動いています。
 あなたは私の強さに被害者意識が抱いていることは分かっていますし受け止めてあげましょう。
 そして年下の女の子に何ひとつ敵わないのなら、せめてもと縋りついたのが年齢であるということですね。
 よろしい、なるほどこの点に関して私はあなたに敵いません。負けましたー! 負け負けですよ。
 完膚なきまでに打ちのめされもう逆転は不可能です。私は永遠にあなたの五つ年下。
 この勝利を記念して私を年下扱いして偉そうにちゃん付けして良いですからね。
 最後に残ったのは年齢と男であり、こんなものを後生大事にしながら私に平伏す、頭を下げているが俺は男で年上なんだと自分を立たせる……
 プププッああなんという愚かさ、やいこの愚弟が! 愚かで可愛いですね!」

「話を聞いてくれ! 弄りよりもまず俺はいつまでこの姿勢を取っていればいいんだ!」

 現在のこのやりとりは椅子に座ってのお喋りとかではなく俺はいま片足立ちをしている。

 目蓋を閉じての暗黒のなかという不安定さに加えてネチネチとした一種の嫌味も受けつつの苦難。

 傾くとハリセンで叩かれたり木刀で小突かれるというおまけつきだ。

「弟子よ、あなたは身体のバランスが良くありません。
 体幹がブレブレでフラフラ、たいへんな懸念事項です。剣士たるもの常にどんな体勢となっても剣を的確に敵に当てなければならないのです。
 つまり体勢が崩され倒れながらでも攻撃ができるという理想! その為にはまずバランス感覚。ほらまたふらつく!」

 痛い! と右わきを小突かれまた元へと戻る。

「では次は右足でどうぞ」

 左足から右足に移ったことで楽にもなるがなにせ闇のなか、あたり一面の暗黒であり聞こえるのは意地の悪い年下の女の子の声に風の音、そして初夏の香りのなかでタバコの匂いが鼻についた。

「あれ? オヴェリアちゃん、タバコを喫っているの?」

「えっ私ですか? いいえ、まだ喫っていませんが」

「ああそうなんだ。いや確かにいつも喫っているのとは違う匂いだけど、うん、良い香りだ」

 鼻孔に入る匂いが濃くなると共に足音が聞こえ誰かが近づいてくるのが音で分かった。

「わっ叔母様! おかえりなさい!」

「ただいまもどりましたオヴェリア様」

 女の声が聞こえた。低めでゆったりとした声。耳の奥の深いところにまで届き底に触れいつまでも残りそうな響きの声で、年上のものに聞こえる。

「おや、この人はどなたで?」

「愚かなグテイです」

「待って! それだと名前に聞えるし愚かさが二乗されていてすごく嫌なんだけど!」

「はいはいうるさいですね。では、さぁ弟子よ私の叔母様が帰ってきましたよ御挨拶を……あっ駄目ですよまだ瞼を開けてはもう少しです、時間通りに」

「まだなのか? あの、こんな変な格好で挨拶はできないというか、目をつぶって挨拶とかおかしいだろ」

「なんです? 私のトレーニング方法が変な格好ですって? うまぁなんて生意気な弟子なのでしょうね。叔母様ちょっとこっちに」

 彼女は何か言うとタバコの匂いがまた濃くなった。これはいったい?

「では目蓋を開いていいですよ」

 意外にも早く許可が出て俺は瞼を開くと、強い光の中、二本の傷が目に入った。

 傷? いや、それは傷ではなく二本の縦の線、それが女の顔の左側に鋭く走っていた。

 痕にも見えようその入れ墨の間から紅の瞳がにこちらに向けられ、それから金色の髪が光を吸い込み後光の如き輝きを放っていた。

 異形さと美しさに圧倒されたように俺は驚き仰け反ろうとすると背中を木刀で叩かれた。

「驚きましたか? おっと倒れちゃいけませんよ」

 強めに押されたために前に倒れていくと紅の瞳は驚きから見開かれていき、そこに吸い込まれるように体がそこに入っていく感覚の中で俺はその女諸共に倒れた。

 真顔の女の顔が今度は下にあり俺を見つめている。俺は胸に激しい痛みを感じた。

 心臓の部分が熱く苦しくそれはもう叫びたいほどで……。

「タバコ! タバコ! 叔母様それ以上やめて!」

「効かないのか?」

「えっ! 熱い!」

 俺は跳ね上がって胸を叩いて痛みを誤魔化す。どうやらタバコの火を押し付けられていたようだ

「叔母様なんてことを!」

「そう言っても押し倒されたのだから反撃しないと」

「私の弟子ですよ」

「私は初対面だしなにより名前も知らない。名も知らぬ男に襲われたんだ、仕方がない」

「強めには押しましたがまさかあんな勢いよくだなんて。はい水で濡らしたタオルです。これで火傷を冷やしてください」

 左胸に濡れタオルを当てていると女は新しいタバコに火をつけてこちらを見ている。

 なにか困惑した表情であるもオヴェリアちゃんもなにも話さない。

 奇妙な間があり俺達は見ていた。少し経ってから俺は言った。

「押し倒した形となって申し訳ない」

「事故だったようで。こちらこそ火傷をさせてしまい申し訳ない」

「俺の名前はアーダン・ヤヲ。いつもオヴェリアちゃんにお世話になっている」

「ちゃん……フフッそうかそうか、私の名はアグ・リアスだ。オヴェリア様に構っていただき感謝する」

「ちょっとなんですかその言い方? 私と遊んでくれてありがとうとか、子供扱いしないでくださいよ」

「そうは言われましてもそうだとしか思えないが」

「逆ですよ、もー私がアーダンさんに構ってあげているのですってば」

「うーんそうなのか? まぁそこらへんは後ほどに。他にも挨拶に回るのでここは失礼します。また後ほどに帰ってきますので、では」

 言うなり彼女はその場から離れて行くのを俺はずっと見ていた。遠くに、見えて無くなるまで。

 わき腹に木刀の感覚が。彼女が小突いていた

「叔母様、少しとうが立っていますが、良い女でしょ?」

「何言ってるんだが。少しもとうは立っていないよ。それどころかすごい美人だな……信じられないぐらい美しい」

 俺は正直にそう伝えるとオヴェリアちゃんは唖然としていた。また極端に顔が崩れている。

「そんな! だってもう二十五ですよ」

「オヴェリアちゃんからみたらそうだろうが俺からすると少し年上のお姉さんなのだが」

「なんです!? まさか地位に目が眩んだとか」

「へっ? なに? すごく偉い人なの?」

「私の叔母ですよ!」

「ああそうか、そうなるのか。でもまぁ俺には関係ないからな」

「えっ? なんですって!? 若さと地位に興味が無いとか? さすがはその二つを持っていない貧しい人は言うことが違いますね」

「おいおい俺は二十だぞ!」

「私は五歳下だしー若くありませーん。まったく失礼ですね。あなたには驚きしかありません!
 その二つが無い癖に若くて地位が高い私を蔑ろにするとかあり得ないですよ! へんなのー!」

「子供は若いのがあたり前なのになんでそんなに主張するんだ! 地位とか俺に何の関係がある!」

「このぐていー愚かにもほどがありますよーおろかさそこぬけー」

 それからオヴェリアちゃんにハリセンで頭を叩かれた。なにはともかく俺は彼女に、アグ・リアスと出会った。