6年前まで、私は本当にありふれた穏やかで幸せな生活を送っていた。

優しくて穏やかなパパ、
料理上手で明るいママ、
綺麗で優しく、いつも私の味方をしてくれるお姉ちゃん。
そして、
隣に住む大好きな男の子、涼太。

そんな大好きな人達に囲まれて、毎日ただただ笑って幸せに過ごしていた。

そう、
あの男が全てを奪ったあの日までは――。



6年前――

「楽しかったねー、お泊まり会!」

「宿泊訓練だろ、楽しかったけど疲れたなー。
早く家で休みたいなー」

「涼太おじさんっぽいよー」

小学5年生の私と涼太は1泊2日の学校の宿泊訓練を終えて家までお喋りしながら帰っていた。

まだ昼前で太陽が気持ち良い。
疲れもあったけれど、隣に大好きな涼太がいる事が嬉しくて、私ははしゃいでいた。

「あ、でも今日土曜日だし優奈姉早く帰ってくるよな?
俺、河原で綺麗な石拾ったんだよ。
優奈姉にあげようと思ってさ」

少し恥ずかしそうにそう言って笑う涼太に、
私の浮ついた気持ちは一気にしぼんだのが分かった。

涼太は私のお姉ちゃんが好き。
いつからかなんて分からない。

だけど、いつも涼太を見ている私は涼太に打ち明けられる前から気づいてた。
だって、私が涼太を見るのと同じ顔で、
涼太はお姉ちゃんを見てたから。

でも、お姉ちゃんは今高校2年生。
彼氏はいないっぽいけど、高校生のお姉ちゃんから見たら涼太は弟みたいな存在だ。
お姉ちゃんに彼氏が出来たら涼太だって気づくはずだ、
お姉ちゃんは自分にとって、あくまで隣に住む年上の女の子なだけって。

だから、私はそれまで幼なじみとして涼太の隣にいる。

「お姉ちゃん、最近土曜日も帰ってくるの遅いよ。
彼氏でも出来たのかなー?」

それでも小さな嫉妬心からそんな事を言ってみる。

涼太はムッとしたような顔をして、
だけどすぐにおどけたように笑った。

「マジかー!
でも優奈姉美人だし、彼氏いてもおかしくないよなー」

そう言って笑った涼太が、
一瞬酷く傷ついた顔をして。
そんな顔をさせたのは私なんだって思ったら、
胸がチクチクと痛んだ。


「じゃあ後で優奈姉にお土産持ってくなー!」

「お土産って拾った石でしょ?」

「いいんだよ、マジめちゃくちゃ綺麗だから!」

そう言って家へと入っていく涼太を見届けてから私は自分の家のチャイムを押した。

いつもならすぐに出てきてくれるママが出てこない。
買い物にでもいってるのかな?
でも車はあるし……。

どうしよう、そう思いながらドアを押すと鍵は掛かっていなかった。

いつもきっちり戸締まりするママが珍しいな、なんて思いながら家の中へ入る。

……何か、変だ。
何か、おかしい。

昼間だというのに薄暗い。
それに、何だか、
変な匂いがする。
錆びたような、変な匂い。

「……ママ、パパ?」

不安になり小さな声でパパとママを呼ぶが返事はない。

そっとリビングのドアを開ける。
カーテンが全て閉められている上、錆びたような、
それでいて生臭いような匂いがいっそう強く鼻をつく。

不安が胸にとめどなく広がっていく。

ゆっくりと足を踏み出した私は、
何かに滑ってしまう。

そのまま倒れた私は床ではない何かに身体を押し付けた。
冷たくて、固い。

カーテンから漏れた光が部屋を微かに照らす。
その光は、床に赤黒い液体が流れている事を、
そして、
私の下にお姉ちゃんがいる事を、
私の目に焼き付けた。

「!!!」

声にならない、ヒュッと息だけがかろうじて出てきた。
喉の奥で声が詰まる。

お姉ちゃん、なの……?

震える手で触れるも、
いつもの暖かいお姉ちゃんじゃない。

お姉ちゃんはいつも私の頭を暖かい手で撫でてくれた。
暖かい手で、私と手を繫いでくれた。

優しい声で私の名前を呼んでくれた。
いつも、明るい笑顔だった。

なのに、
今のお姉ちゃんは、
冷たくて笑ってなくて、
私の名前を呼んでくれない。

「お、ねえ、ちゃ、……」

微かに声が出た。

「お姉、ちゃん……
お姉ちゃん……」

冷たいお姉ちゃんにしがみつく。

いつもなら、
抱きしめ返してくれるのに。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」

壊れたおもちゃみたいに、私はただただお姉ちゃんを呼ぶ。

その時、
誰かが奥のキッチンから出てくる気配がした。

パパかママだと思って顔を上げた私の目には、
刃物を持った男が映った。

「……何だよ、まだガキがいたのか」

そう言いながらこっちに近づいてくる男。

逃げなきゃ、そう思うのに身体は金縛りにあったみたいに動かない。
微かに出てた声も出ない。

ただただ、恐怖に支配され絶望だけが残された。