「……ばかじゃないの」
やさしい手つきで後頭部を撫でられても、やはり嵐先輩のことは好きになれないな、と思った。
きっとこの数年間で、嵐先輩をたくさん傷つけた。嵐先輩を、都合よく扱っていたのはあたしの方だ。
定期的に縮毛矯正をかけているあたしの黒髪を、嵐先輩は愛おしそうに指先に巻きつける。
「ひどいね、きみって人は。さっきは、またここに来てくれるなんて言っていたけれど、もうどうせ、きみとは連絡がつかなくなるんでしょう?」
嵐先輩は、あたしのことをよくわかっている。否定せずに曖昧に頷くと、先輩は、よく見ないとわからないくらいに小さいため息を吐いた。
「だから、最後くらい、夢を見させてよ」
仕方ないな、と思って、先輩を見上げた。
先輩はちょっとだけ悲しそうな顔をしながら、こちらに顔を近づける。軽く目を瞑ると、唇にあまい感触がした。触れるだけの唇同士の戯れなんかに、今更何も感じない。あたしは大学生活を通して、やや擦れてしまったようだ。
唇を離す。夢はもう終わりだ。
「では、お元気で」
コートを翻し、喫茶店を去った。外は雪がちらついていた。
目的地に向かう道すがら、ショーウィンドウに反射した自分の姿を目で追った。
大学1年生のあたしだったら着なかったようなえんじ色のニットに、雨傘を閉じたような形がきれいな、黒色のAラインスカート。真っ黒で流行り廃りのないデザインのロングコートにキャメルのマフラーを合わせ、ヒールのついたブランドブーツをこつこつと鳴らしている女がそこにいた。それぞれ、セレクトショップで選んだ、それなりに値段のするものである。
昔、人生で一番愛していた男に、「メイクも服もちぐはぐで似合っていない」と言われたことがあった。あの言葉の意味が、今でならわかる。
あたしのパーソナルカラーは所謂ブルベ冬だ。ワインレッドのような、明度の高くはっきりとした彩色や、鮮やかな寒色、そして黒い洋服がよく似合う。
あのときのあたしは、言ってしまえば、ダサかった。多少青みが入ったピンクブラウンシャドウや、朱紅やパープル系統の口紅が肌によく馴染む容姿だったのに、あたしはそれを知らずに、自分の好きなように、淡いピンクなど、可愛いと思った色を子どものようにむやみやたらと肌に乗せて、みんながしているから、という安易な理由で髪の毛を似合わない茶色に染めていた。
当時のあたしは、それでおしゃれをした気になっていたのだ。思い出したくもない、黒歴史のようなもの。


