乙女解剖学



 ふたりとも、数分前まではお互いに別の恋人がいたはずなのに、たった一瞬で関係性が弾けて、それぞれが個になった。

 たしかにこの感覚は不思議だった。空蝉さんはそれを「おもしろい」といったけれど、あたしはなんだか拍子抜けしてしまった。



「空蝉さん、愛されてたんですね」

「夢見さんは違うの?」



 いつの間にか砕けている空蝉さんの口調が心地よかった。そういえば、あたしは彼の年齢も、職業も、普段何をしているのかも知らなかった。たぶん、歳上だと思うけれど。あんなに時間があったのに、聞くタイミングを逃してしまった。



「……こちらは、すごく呆気なかったので」



 彼には、泣いて縋ってくれる恋人がいた。だけどあたしにはいなかった。別れよう、のひと言に、簡単な相槌ひとつで頷かれて、あたしと坂本くんの関係はあっさりと解消した。元々あたしは、彼の本命ですらなかったのかもしれない。

 空蝉さんはすこし考えたそぶりを見せてから口を開く。



「夢見さんの彼、ぜんぜん王子様っぽくなかったじゃん」

「運命の人じゃなかったんです、きっと」

「え。なに、そういうの信じてるの?」

「べつに、ただの比喩ですから」



 比喩なんかじゃなくて、本気だった。

 シンデレラには王子様がやってきて然るべきだし、灰をかぶったお姫様は報われなくちゃいけない。

 王子様のキスで目覚めたいし、塔の上で王子様を待ちたいし、毒殺されても愛されたいに決まっている。


 脳裏に浮かぶのは、先ほど別れたばかりの元恋人の姿だった。

 ふわふわの茶髪をあまく揺らして、柔らかいキスをしてくれた彼は、もうあたしのものじゃないし、王子様でもなかった。

 ……考えるだけで、クラクラとしてきた。

 ぐらり、視界が揺れる。そういえばここ数日、浮気をされたショックでまともにご飯を食べていなかった、ような気がする。