足先で、海面をなぞる。
きもちいいですね、と言って、空蝉さんの顔を見上げた。
彼は自然にあたしの顔を覗き込んで、そしてそっと、耳朶にキスをする。
「っ、あ」
「……ねえ、麗。おれ、やっぱり苦しい」
たった一言を耳元に添えて、彼の顔が離れていく。そのまま、高いところから見下ろされた。
「くるしい、んですね」
「いまは、穏やかでいられてる。でも、これからどうしていけばいいのか、まったくわからない。この時間がずっと続けばいいとは思っているけれど、夢はいつか終わって、また、現実がやってくるから」
「じゃあ、また夢を見せてあげます。だから、空蝉さんのそばに居させて」
あたしの言葉は、告白よりも懇願に近かった。どうかここにいて、あたしから離れないで、そしてすこしでも不運を忘れて、という祈りでもあった。
あたしに嫌われたいくせに、根っこの部分にあるやさしさを隠しきれないあなたが好きだった。そんなやさしさを真っ直ぐに向けられたときの幸福を知ってしまった。だから、あたしは空蝉さんから離れられない。
空蝉さんにも、そうであってほしかった。あたしのそばにいて、夢を見るこの時間から、離れないでほしかった。
「……空蝉さん?」
空蝉さんは唇をうすく開けて、何かを言いかけたまま黙り込んでしまった。言葉を選んでる、みたいな、それとも何かを躊躇ってる、みたいな。
やっぱりこの土地に来てから、空蝉さん、おかしい。急にあたしにやさしくなったり、黙り込んだり。いつもの横暴な空蝉さんの影はまったくない。
そんな彼は、少し経ってからやっと、その唇を動かした。
「……麗は、全部を棄てておれと一緒になる覚悟、ある?」
「ぜんぶ?」
「友達も、夢も、家族も棄てて、おれと一緒になる覚悟」
ある、と言いかけた言葉を咄嗟に引っ込めた。
これは空蝉さんなりの告白のようにも思えるけれど、これで安易に頷くような女を、彼はどう思うだろう。
たとえば。あたしがここで頷いたとして、「じゃあこれから一生、ここで暮らそう」だなんて言われたとしたら、あたしはきっと、躊躇する。あたしは、向こうの街に残してきたものが多すぎる。だから、すぐに頷くことができなかった。


