乙女解剖学



 自然に、手が伸びた。俯きがちに話をする空蝉さんを、しずかに抱きしめていた。

 彼は、あたしのことが嫌いだった。それは、あたしが彼のお母さんに似てたから、なのだろう。

 現実を見れていなくて、王子様の幻想に溺れているところが、彼の目からはどうしようもなく重なって見えていたのかもしれない。



「家で廃人のように酒を飲むか寝るかしかしてない親父のために、高校に行かず、生きるために働いた。娼夫をやったのは、それが一番稼げる方法だったから。隣町の寂れた繁華街で、仕事は選ばせてもらえなくて、それでも働いた。働いた金は借金の返済と生活費にあてて、働いて、働いて、働いて、そのうち仕事も選べるようになって、それでも働いて、働いて、親父の借金を完済して、家を出て、それで、向こうで新しい暮らしをはじめた」



 抱きしめた腕の内側でずっと話し続ける彼の声を、一言も漏らさぬよう、ひとつひとつ、確実に咀嚼していく。



「おれはカラダ以外の金の稼ぎ方を知らないから、都会に出ても娼夫を続けた。親父が新たに借金をしないように実家に仕送りをしながら、自分が生活するだけの金をつくって、お金も貯めて、それでなんとか資格をとって、普通の仕事をしようって決めたはずだったのに、親父が死んだ。親父が死んでから蓋を開けると、こっちから仕送りをちゃんとしていたのに、親父は消費者金融で借金をしてた。それはおれが貯めた分を使って、一括で完済したけど、そのほかにも葬儀に火葬に、なにもかもにお金がかかって、首がまた回らなくなりそうだった。だから、最近は夜の仕事を増やして、麗の家に泊まったあとの3日間は出稼ぎに行ってた」



 だからあのとき彼と連絡がつかなかったのか、と勝手に納得していた。

 すぐそばにいたはずなのに、どうしてこうも、違ってしまったんだろう。



「やっと、ひとりで幸せになれると思ったのに。親父はいつも、大事なときにおれの足を引っ張る。マイナスがゼロになって、これからプラスになるときに足をとられて、またマイナスに逆戻りだ」



 知り得ないことだ。彼があたしをずっと敵対視していた理由も、納得だった。

 彼はたったひとりで現実と戦っていたのだ。そんなところにあたしが現れて、何も知らないあたしが、勝手に夢を見て、幻想を抱いて、王子様、と彼を呼んで。彼は、彼は。



「……何も言えなくて、ごめんなさい。だけどあたしは、空蝉さんと一緒にいたい、です」



 半分背負うだなんて言ったのに、あたしはまだ、何も背負えていない。彼の不幸を事実として眺めているだけだ。

 何かをしてあげたいとは思っている。だけど、何も、できる気がしなかった。