乙女解剖学



 あたしは、その日のためにすべてを投げ出した。

 喫茶店のバイトは無理を言って2週間お休みをもらって、友人との約束など、細々とした予定をすべてリスケした。喫茶店のバイトの方はつねに暇だからそこまで嫌な顔をされることはなくて、嵐先輩のシフトがちょっと増えただけだった。


 そしてあっという間に訪れた、約束の日の早朝。

 満を持して、空蝉さんに会った。

 できるだけ荷物は軽く、と言われたから、両手が空くように、大きめのバックパックに最小限の荷物を詰めた。それでも荷物はかなり膨らんでしまったけれど、これが限界だった。

 ヒールのないぺたんこの黒サンダルに、シックなブラウンワンピースを合わせる。ワンピースに大きいバックパックが不釣り合いだったけれど、仕方ないからそれで行くことにした。


 待ち合わせ場所であるターミナル駅にはすでに空蝉さんの姿があった。

 彼の近くを通るひとは皆、空蝉さんを視線で撫でていく。彼の麗しさは全国共通の価値なのだなと思った。



「空蝉さん、荷物、それだけ?」



 挨拶よりも先に、そんな疑問が口をついて出た。空蝉さんはすこし大きめの、黒い革のトートバッグを持っていたが、これからの2週間をその荷物の中身だけで過ごすことを考えれば、その大きさでは心許ないように感じられた。



「少ないけど、なんとかなるよ」

「……コンビニもないような田舎だって、言ってたじゃないですか」

「それは、そうだね」



 空蝉さんが良いならそれで良いのかもしれない。腑には落ちないけど、納得はした。

 バックパックが重くて前屈みになりながら歩いていると、彼にそれを奪われた。「交換しよ」の一言で手渡されるのは、空蝉さんの持っていた軽い荷物だった。こういうところが好きだと思った。